感情の檻
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“レイニールがサーヴェルトを起こすことができるかもしれない”
この言葉にルーシャは首を傾げた。
「……じいさんを起こすって……『神の欠片』でそんなことができるのか?」
「ああ。まだ俺もレイニールも、直接サーヴェルト様に会ってないから賭けでしかないが……」
法術も駄目、魔術も駄目。
ローディスとイリアの魔法では、サーヴェルトの眉ひとつ動かすことはできなかった。
それならば魔法ではない『神の欠片』ではどうか?
すでに四日も目覚めないサーヴェルトは、回復の法術で身体の機能こそ保たれてはいるが、少しずつ体力は削られて衰弱してきている。
このまま目覚めなければ、サーヴェルトの身体はゆっくりと死に近付いていってしまう。ならば、少しの望みがあるものを試すのみ。
そして、本部のミルズナの研究報告もされているレイニールの能力ならば、様々な応用ができるとリーヨォは考えていた。
「こいつが使う『感情の檻』の能力は、寝ている相手にも有効だそうだ。そうだな例えば…………おい、レイニール」
リーヨォはレイニールの方を向き、ちょいちょいとソファーで寝ているリィケを指さす。レイニールはこくんと頷くと、リィケの傍にしゃがみ込みその額に人差し指を軽く当てる。
「すぴー……」
「………………」
パリッ……
レイニールの指先に微かな紅い光が走った。
その光がリィケにまとわりついた途端、
「――――――うに゛ゃあっっっ!?」
「えっ!?」
リィケはビクンッと身体を揺らしたあと、弾かれたようにソファーから転がり落ちた。
痛覚はないので痛くはないだろうが、驚いた顔で床に座ったまま固まっている。
「……ひゃうぅ…………び、びっくりした……」
「リィケ、大丈夫か? 一体何が…………」
「“恐怖”の感情だ」
「え?」
「余の『感情の檻』は、余が知りうる限りの“仮の感情”を相手に反映させることができる……」
リィケを床から引っ張り上げながら、レイニールは淡々と説明を始めた。
「今のリィケは普通に寝ているだけだった。だから、極々薄い“恐怖の感情”を与えて揺さぶりをかけた」
「恐怖を与えるって…………そんなことして、リィケはなんともないのか!?」
「お父さん、僕なんともないからっ……」
レイニールの言葉にルーシャが顔色を変えた。
ルーシャがレイニールに少し怒りを向けていたが、子供に“恐怖”を与えられたと聞けば、親としては当然の反応だろうとリーヨォもライズも黙っている。
「ふむ……“恐怖”と言ってしまうと物騒ではあるか。そうだな…………………………」
レイニールはひとりで考えに没入し、しばらくして小さく頷く。
「今のを例えて言うのならば……うとうとと寝ている時に、階段を踏み外す夢を見てガクッと起きる感じ…………だろうか?」
わかりやすく説明するために黙っていたようだ。
あまりに庶民的な例えに、ルーシャはきょとんとしてしまう。
「へ? そんなレベル……?」
「いや、あれ軽く悪夢だろ。俺はよく居眠りしてる時にイスからひっくり返るし……」
「焦りますよね……あれ」
「さっきはびっくりして起きちゃった」
全員がウンウンと頷いた。
「だけど、そんなことでサーヴェルト様が起きるのか? 相手は魔法が効かないから、最後の頼みで『神の欠片』を使おうとしているんだぞ?」
今のはほぼ物理的な起こし方に近い。
リーヨォはレイニールに具体的な案を尋ねた。
「いや……今のは普通に寝ていた場合だ。患者に別の者が神の欠片を行使していた場合は、それによって与える“感情”を変えて起こせばいい。もしくは、同じ『感情の檻』を使われていた場合は、単に能力を『解除』すればいいだけ……」
「同じ能力……」
「……………心当たりがあるようだな?」
呟いたリィケをレイニールはじっと見詰める。
まるで考えを見透かされたようで、リィケは困ったような顔で下を向いた。
「その……レイニールと同じ『神の欠片』を使う子が……」
「……………………『ロアン』という者か?」
「え……?」
「そのロアンという者が、余の身体を持っているのだな?」
「「っっっ!?」」
ルーシャとリィケがリーヨォを方へ同時に振り向く。リーヨォは驚いた顔で手や頭を横に振った。
「もう教えたのか? まだよく分かってないのに?」
「誤解だ! こいつにはまだ何も言ってねぇぞ!? そもそも俺も分からないものを、身内にだってペラペラ話さねぇからな!!」
「じゃ……じゃあ、なんで……!?」
「…………兄上やお前たちの会話の端々……これまでの余が見たもの…………それらの総合で推測した。それらは後に詳しく聞くとして、今は病院へ行くのだろう? ほら、早く行くぞ」
「「「………………………………」」」
スタスタと廊下へ歩いていくレイニール。
リーヨォが片手で額を押さえて、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「だから……あいつの前では下手なことは言えねぇんだよ……」
「………………そうだな……」
ルーシャたちは肝に銘じておくことにした。
…………………………
………………
病院へ着くと、建物の入り口ではアルミリアが待っていた。
「おはようございます、皆さん。そうですか…………あなたが……」
アルミリアはレイニールの正面に立ち、深々と一礼をする。
「こちらからご挨拶が出来ずに申し訳ございません。私は【聖職者連盟】トーラスト支部支部長、アルミリア・M・ケッセルでございます……」
周りにはルーシャたち以外は誰もいなかったが、アルミリアはレイニールの素性がわかる言葉を使わなかった。
「いや、余が動けるまでは、何人も研究室への出入りを禁止していたからな。こうして話せるだけでも嬉しく思う。それよりも……余ができることがあるのだろう? 案内してくれるか」
「はい。感謝致します……」
もう一度頭を下げ、すぐにレイニールをサーヴェルトの所へ案内する。
「なるほど……ずいぶん深く眠っておるな……」
「…………寝息は聞こえるのですが、寝返りもなく指も動かないのです」
ベッドの上のサーヴェルトはまるで人形の様だ。レイニールが彼の頬や首元に触れるが何の反応もなかった。
昨晩、ルーシャも少しだけサーヴェルトを見舞ったが、そこから時が止まったように何も変わっていない。
「おじいちゃん、ずっと寝てるの?」
「えぇ。こんなにじっくり寝顔を見るのは初めてだわ……」
弱々しい皮肉を聞きながら、レイニール以外は病室の入り口で佇んでいた。
「で? どうなんだ、レイニール?」
「…………確かに、これは神の欠片だ……余と同じ『感情の檻』で間違いないだろう」
「それじゃあ……やっぱり、ロアンが……?」
サーヴェルトを眠らせた犯人がロアンだと確信したリィケは、泣きそうな表情でルーシャの服の裾を掴む。
「まだわからないだろ? じいさんが起きたら聞いてみないと。な?」
「うん…………」
不安そうにする周りをチラリと見回して、レイニールは再びサーヴェルトに視線を落とすとその額に手をあてた。
「魔法ではないということで目覚めが遅くはなったが……これが神の欠片ならば、余がすぐにでも解除ができる。早速始めるが……いいか?」
「はい。お願いいたします……」
「……………………」
レイニールは黙って頷く。
パリッ…………パリッ、パリパリッ……!
しばらくすると静かな部屋に小さな破裂音が響き、それはだんだんと音を増やしていった。
バチンッ!!
一段と大きな音がすると、その後は何もなかったかのように静まり返る。それが終わりだったのだろう、レイニールが立ち上がって入り口にいた全員の方を振り向いた。
「…………終わった。まもなく目を醒ますはずだ」
バタバタとサーヴェルトの周りに集まり、彼の寝顔を固唾を飲んで見詰めていると……
「…………う…………」
「あなた、あなたっ……!」
小さく唸り覚醒しかけているサーヴェルトに、アルミリアは肩を叩いて呼び掛け始める。
ゆっくりと目を開けるサーヴェルトは、最初にアルミリアをしばらくぼう然としたような顔で見ていた。
「………………ミリア……か?」
「はい…………私です……」
二人の分かりきった質問と答えを聞きながら、ルーシャたちは安堵のため息をもらす。
二、三言アルミリアと言葉を交わしたサーヴェルトは、ぐるりと部屋を見回して最後にルーシャに視線を合わせた。
「……ルーシャ、お前……王都にいたはずなのに……」
「じいさんが倒れたと聞いて、昨日帰ってきたんだ」
「そうか。俺はどのくらい寝てた……?」
「…………四日ほどだ」
「………………………………」
まだ頭がハッキリとしないようで、何かを考えるために黙り込んだように見えた。
サーヴェルトが黙っている間、アルミリアは改めてレイニールに頭を下げる。
「ありがとうございます……なんと、お礼を言えばいいのか…………」
「いや、余にできることがあっただけで良い。それに………………すまぬ、余は少し部屋を出ている。ゆっくりしてくれ」
「あ、待って! じゃ、おじいちゃんまたね!」
レイニールは一礼すると、何故か慌てたように廊下へ歩いていく。それをリィケも追い掛け、あっという間に角を曲がって見えなくなった。
「じゃあ、俺たちも一度連盟に戻ることにするか。支部長、あとはよろしくお願いします」
「ええ。ありがとう、皆……」
「あぁ。じゃあ、オレはまた夕方に来るから…………」
「支部長、サーヴェルト様、失礼致します」
ルーシャたちもレイニールを追って退室しようとした時、サーヴェルトがルーシャを呼び止める。
「ルーシャ……」
「…………何?」
「すまないが、次に来る時はお前一人で来て欲しい」
「え?」
「『あの子』のことで話がある……」
言葉を濁したが、それがリィケ……もしくはロアンのことであるとルーシャは瞬間的に悟った。
彼はルーシャがマルコシアスに言われたことの意味を知っているのだ。
――――『リィケとはどこの子供か?』
「…………解った。仕事を終えたら必ず来る」
振り向かずにそう言い、病室を出て病院の入り口へリーヨォたちと向かうと、そこでレイニールとリィケが待っていた。
「良くやったなレイニール! 帰ったらさっそく、お前の顔も造ってやらないと。病院以外じゃ、その包帯ぐるぐる巻きの顔は目立ち過ぎる」
リーヨォはくしゃくしゃとレイニールの頭を撫でるが、特に嫌がる風もなく撫で回しているリーヨォを見上げた。
「…………兄上」
「なんだ?」
「兄上は余の身体を使っているかもしれない、その『ロアン』という者がどんな人間か、知っているのですか?」
「え……」
レイニールの質問に、リーヨォだけでなくルーシャたちも固まった。
「俺は……会ったことないからわからねぇな。報告書で確認できることだけだ。知りたいなら、あとで資料を…………」
「その者はどんな境遇に置かれて、あんな感情を持ったのだろう…………」
「レイニール……大丈夫?」
リィケは微かにレイニールの声色が震えているように感じた。
「どういう意味だ…………?」
「サーヴェルトに掛けられていた“感情”を取り払った時に感じたのだが…………その…………」
言葉が詰まったように、すんなりと出てこない。
「感情自体が『何も無い』というものだった。普通、人間ならばそんなことは…………ありえない」
病院の入り口にはぽつりぽつりと人が増え始めている。
その人々のざわめきが耳に入らなくなるほど、ルーシャたちはレイニールの言葉を図りかねて立ち尽くしていた。
次回で本編の四章が終わりです。




