人間の世界に
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聞こえるか聞こえないかは、ほぼ賭けに近いものだった。
現在、リィケの身体は物理的、魔力的な聴覚は切断されており、身体に接触しなければ声を聴くことはできなくなっている。
しかし唯一、非接触でも聴こえた声は、同じ【サウザンドセンス】であるロアンの声だった。
他の音が遮断された中で、離れていたロアンの声をリィケの耳はしっかり拾ったのだ。
――――……もしかしたら、悪魔の中にいてもレイニールの声が聞こえるかもしれない。
悪魔たちをくぐり抜け、高い、周辺を見渡せる場所を探していく。その間に聞こえてくるのは、リィケ自身が発した声だけだが……
カチ…………カチ…………
時折、微かに自分の声とは違う物音がしている。
居ると思われるレイニールが、現在どういう状況なのかは分からない。声が出せるならば、とっくにリィケへアピールしていてもおかしくないのに、さっきから声らしい声が聞こえてこない。
――――いない……本当に?
『この悪魔の群れの中にレイニールいる』
それはリィケの勝手な確信に過ぎない。
「レイニール!! 返事して!!」
石像の上に登って何度目の呼び掛けをした時、背後から眩しい光が差し込んできた。
「…………朝だ……」
眼下の悪魔たちは陽の光に慌てるように、先程よりも激しく動いているように見える。
きっと、耳が聴こえていれば、彼らがぶつかり合うことでかなりの騒音になっていただろう。しかし、リィケの耳にはそんな雑把な音は一切届かない。
「……お願い……いるなら…………」
カチ………………カチャン。
何か落ちるような音がして…………
『…………………………たすけて…………』
とても小さな、すがるような声がした。
――――今、何処から聴こえた!?
ありったけの神経を集中させて、声がした方向を見回す。後ろを振り向くと、朝日に照らされた悪魔の群れが見える。
――――――……あっ!?
断言はできないがここにいる魔操人形たちの素材は土か石である。だから、光が当たってもぼんやりとした土の色だ。
しかし悪魔の群れの中、一体だけ朝日に白く浮かび上がっている。
リィケが山で会ったレイニールの身体は金属で出来ていたため、錆が浮き上がった表面でも所々鈍い金属の反射が見られたのだ。
――――レイニールだっ!!
「助けるから待ってて!!」
確信したリィケは反射的に叫んで、石像の上から悪魔の群れへ飛び降りる。
グシャンッ!!
三体ほどを下敷きにして、銃を抜くことなく体当たりで道を開く。
「レイニール!!!!」
二、三体を引き倒した所でレイニールを見付けて、リィケはその首に力一杯飛び付いた。
「うわわわわっ!?」
『っっっ!?』
リィケが飛び付いた力が思いの外強いせいで、特に身構えていなかったレイニールは支えきれずにひっくり返ってしまった。
二人は倒れてさらに五、六体の悪魔を巻き込んで転がっていく。
悪魔にぶつかりながら勢いが止まり、寝転んだままリィケは顔を上げる。
「うぅ…………はっ! レイニール!? レイニールだよね!?」
『あぁ、そうだ…………』
金属の反響音に紛れて、少年の小さな声が聞こえた。それは山で聴いたものと同じ声。
レイニールの口の部分の金属が壊れて落ちていたので、直接頭の中に響いて聞こえるようだ。
「良かった……お父さんと山を捜してもいなかったから…………」
『………………すまぬ』
レイニールが移動した原因はおそらくリィケなのだが、心配そうに涙を浮かべたリィケの顔を見てレイニールは思わず謝った。
ガチャガチャガチャガチャ!!
『っ!? リィケ、まだ終わっておらぬ!!』
「えっ!? あっ!!」
悪魔たちは二人の感動の再会など知った事ではない。目の前に動くものがいるというだけで、群がる目標をリィケたちに定めたようだ。
リィケはレイニールを後ろに隠すようにするが、群れの真ん中へ転がったために四方をぐるりと取り囲まれた。
『リィケ! とりあえず、余を置いて逃げろ!!』
「でもっ……!!」
『余は動けん!』
「…………!!」
魔操人形たちはリィケを攻撃してもレイニールを攻撃対象にはしないかもしれない。しかし、また見失ってしまうことがリィケには恐ろしかった。
「僕は、レイニールを護る……!!」
『リィケ!?』
腰の銃を取り出し構えるが、弾を全て命中させても倒しきれないのは明白である。
――――レイニールを護る……結界が張れれば何とかなるのに…………
リィケが“結界”と考えた時、脳裏に浮かんだのはミルズナの顔だった。
――――ミルズナさんの『神の欠片』なら…………
その瞬間、悪魔たちはリィケとレイニールに飛び掛かってくる。
二人は体を地面に伏せ衝撃に備えた。
『来るぞ!!』
「っっっ!? セ……『絶対なる聖域』!!!!」
ミルズナを思い出したせいか、リィケは咄嗟に彼女の『神の欠片』を叫んだ。
ドカドカドカドカドカドカッ!!!!
「…………え?」
『な……?』
近くで何かに次々とぶつかる音がした。
物音にリィケとレイニールが顔を上げると、悪魔たちが変な所で止まっている。いや、何かに阻まれているかのように、リィケたちに近づけないでいた。
「あ…………」
『…………何だ、これは?』
リィケたちの周りに、真っ白な“百合の花”が咲いている。それも石畳の上に大量に。
「百合の結界……?」
リィケがそう思ったのは、百合の咲いている場所から悪魔が近付いてこないからだ。
――――何で急に…………そうだ、前にもこういうことがあった。
百合の花が急に咲く光景を何処かで見た気がして、リィケは懸命に記憶を探る。
「ベルフェゴールと戦った時だ……」
あの時も、急に街道が大量の百合の花に覆われたのだ。しかしあの時は結界のような力ではなかったはずだ。
――――あの時は…………ベルフェゴールの魔力を吸い取って、お父さんの傷が治ったんだっけ…………?
リィケがぐるぐると考えを巡らせていると、レイニールが身体を起こしてリィケの肩を叩く。
『何をやった? 悪魔は来ないし、余の身体が……動くのだが……』
「え? あ、ほんとだ」
『まるで回復の術を受けたみたいだ』
「回復……」
生身のルーシャと人形のレイニールに同じ効果があるのかは分からない。
しかし先ほどよりも滑らかに、レイニールは身振り手振りを加えて話せていた。少しだけ身体のサビも少なくなったように見える。
『今なら自由に動けるかもしれん……』
「うん、良かった」
リィケがレイニールを支えて一緒に立ち上がると、それと同時に百合の花がハラハラと花弁を落とし始めた。
完全に花が落ちた百合は煙のように消える。
花畑の一番端の百合から消え始め、そこを境に魔操人形がジリジリと前に進んできた。
『ふむ。どうやら、花が散れば結界が失くなるようだな……』
「どうしよう……早く逃げないと……」
百合の花はリィケを囲むように咲いている。さらにその外側を魔操人形が隙間なく並んでいる。
『……逃げ道がないな』
「なら、また体当たりで…………」
再び体当たりをするつもりでリィケが身構えた時、ガコッ! と音がしてリィケの右腕がダラリと下にぶら下がった。
「あれ…………肩、外れちゃっ……た……?」
『お前、ここに来る際に派手に悪魔にぶつかっておっただろ。そんなに頑丈そうな造りではないのに……』
生ける傀儡であるリィケの身体は限りなく人間に近付けて造られていた。リィケの姿を見れば、明らかに肉弾戦には不向きで華奢な体格である。
『これ以上、悪魔にぶつかれば身体は壊れるのではないか?』
「う…………そうかも」
これは確実に当たって砕ける……リィケがそう思っている間にも百合の花の円陣は少しずつ小さくなっていく。
「花が…………」
『もう限界だな。リィケ、余がぶつかって道を開いてみよう』
「でも……」
『安心しろ、余は二年も生き抜いた。身体もお前よりは丈夫だ。行くぞ!』
「……………………」
――――護りに来たのに護られるなんて……………………ん?
「レイニール、伏せて!!」
『なっ……!?』
飛び出す寸前のレイニールを引き倒し、リィケは庇うように地面にうつ伏せになった。
『いきなり何を……』
「大丈夫。僕たち助かるよ」
『なに?』
「………………来た」
リィケが呟いた時、魔操人形たちの後ろで何かが煌めく。
朝日を浴びて銀色に光る刀身は、悪魔たちを次々になぎ倒していった。
「リィケ!! どこだ、無事か!?」
ルーシャがリィケを捜しながら悪魔を斬り伏せていく。
「お父さん!!」
「っ!! そっちだな!!」
辺りを見回しているルーシャへ向けて、リィケが満面の笑みを浮かべて叫んだ。ルーシャもそれに気付いて進路を定める。
『お前の父親……?』
「うん!」
『…………そうか』
呟くように返事をして、レイニールはそこから黙り込んだ。
ルーシャがリィケたちの前方の悪魔を倒している最中にも、結界の役割りをしていた百合の花はどんどん散っていき、そろそろ後方の悪魔が迫ってくるのが見える。
リィケはそれに対しても微動だにしない。
ガシャアアアンッ!!
前方に引き続き、今度は後方の魔操人形たちがバラバラになって弾き飛ばされていった。
「リィケ!」
「ライズさん!」
後方で動けるようになったライズが素手で戦っているのが見えて、リィケはそちらにも返事をして場所を報せる。
駆け付けた退治員二人の猛攻により、集まっていた魔操人形はあっという間に全滅してガラクタになった。
街を闊歩していた他の場所の悪魔たちも、昇りきった太陽の下で動きを止めたようだ。
「お父さん! ライズさん!」
「リィケ、無事で良かっ…………」
リィケを見付けてホッとしたルーシャが、一緒にいる人形を見て一瞬だけ警戒の表情に変わる。
「…………リィケ、この人形は?」
しゃがんでリィケの肩に手を置いて話し掛けるが、ルーシャもライズも視線は人形から離さない。
「この子が、山で会ったレイニールだよ」
『……………………』
レイニールは二人の様子をじっと見詰めている。おそらく、簡単に信じてもらえないと思っているのだろう。
「わかった。誰かに見付からないうちに移動しよう」
「今ならまだ、誰も屋外に出てこないだろうな」
『え……?』
しかし、レイニールの予想に反して、ルーシャもライズもリィケの言葉をあっさり信じた。二人とも武器も仕舞い、完全に警戒を解いている。
安全な場所へ移動しようとした時、レイニールが天を仰いで立ち止まった。
『…………戻って……』
「ん?」
『やっと……余は人間の世界に戻ってこられたのか…………』
「うん、そうだよ……良かったね」
リィケはニコリとして、レイニールの金属の手を引いて二人のあとに続いていった。




