悪魔と人形と十字架
リィケの胴体を貫いたスキュラは、そのままの勢いでリィケを持ち上げ、地面に叩き付けた。
「うぐっ……!!」
銃を納めていたホルダーのベルトが外れて地面に落ちる。
もう一本の触手が脚に絡み付き、片脚を付け根からねじ切った。
普通の人間ならば、ここで死は免れなかっただろう。しかし、生ける傀儡はこれくらいの損傷では死なない。痛みなどを感じる神経も普段は通していない。
「あー!! ちょっとぉ! やっと見付けたのに、ここで壊しちゃダメよ!」
スキュラの背後で、あの女の声がした。
触手にぶら下げられたリィケは、気だるそうに頭を動かして女の方を向く。
女がリィケの千切られた脚を拾っているのが見えた。
「……見付けた。どこに行っていたか分からないけど、アタシから隠れるなんてたいしたものだわ」
女はぶら下がっているリィケを、目を細めて見上げる。
「ねぇ、あなた……さっきのは『能力』? アレ、持っているんでしょ?」
「…………知ら、ない……」
歯を食い縛り、女を睨み付けた。
しかし、これはますます女の興味を引いたようだ。
「そう。まぁいいわ。アタシの仲間にね、坊やみたいな子を探している奴がいるの。一緒に行きましょうよ、きっと楽しいわよ」
にっこりと笑いかける女の顔に、リィケは首を横に振る。女は少し呆れたようにため息をついた。
「あのね、坊やみたいな子は、人間の中で生きるのは大変なの。あなたは本来、アタシたち悪魔の仲間。人間に知られれば大事になるからって、正体だって隠しているんじゃないの?」
「……………………違う……」
否定はしたものの、女の言うことは当たっている。
「本当の理解者なんて、人間にはいないわよ。アタシたちの所に来れば、あなたは自由になれる。それこそ、いつも他人を気にして怯えることなんてない、平和で穏やかな生活ができるわよ?」
退治員姉妹に向けられた、恐ろしい様子が女から感じなくなった。むしろ、リィケに優しく接してくる。
金色の瞳がじっと、リィケを見詰めてきた。
「さぁ、行きましょうか。アイツも喜ぶわ」
「……………………」
女の白い手がリィケの腕を掴もうと伸ばされた。
――――お父さんにまた会いたかったなあ……。
二年前、『自分には父親がいる』と、聞いた日。
リィケの身体は出来上がっておらず、父親の顔も何も想像がつかなかった。
だから、顔を作ってもらう際に『お父さんに似た顔にして』と、お願いもしてみたが、結局は母方の兄弟の顔と髪の毛の色にされた。似ているのは固そうな髪質くらいだろう。
どうやら、ルーシャの実家であるケッセル家の人間だと分かられてしまうと、余計な勘繰りをされたり、必要以上にリィケに対して、すり寄ろうとする者が出てくるだろうと心配したためらしい。
リィケの周りの人間は皆、優しく理解のある者ばかりだった。話を聞いてくれて、いつも気にかけてくれる。本当の事をちゃんと言えば信じてくれる。
それが人間というものだと、リィケは思っていた。
きっと父親もそういう人間だ。
実際のルーシャも決して冷たい人間ではなく、尋ねれば答えるし、知らないことを教えてもくれた。
しかし、子どもだと名乗った時、リィケを激しく拒絶した。
今考えれば当たり前だ。
リィケはルーシャの事を教えてもらって、ずっと会いたいと考えていた。しかし、ルーシャはリィケの事を何も知らなかったのだ。
なのに突然、死んだと思っていた子どもと名乗られ、静かに冥福を祈る日々を崩され、冗談かもしれない赤の他人が自分の心に土足で踏み込んで来た。
ルーシャはさぞ動揺しただろう。
知らない者をいきなり信じることは無理だ。
リィケは目を閉じて俯く。
…………もっと前に言っていたら信じてくれた?
いや、名乗らず側で見ていれば嫌われなかったのだ。
人形の目からボロボロと涙が出てくる。
この機能は人工眼球と皮膚を乾燥から守るために、頭の中に入れられていた水分が、感情の神経に反応してしまったもの。
どう見ても普通に“泣いている”ようにしか見えない。
「あらあら、泣かないでぇ。でも、あなた本当に生身の人間みたい。坊やを連れていくの楽しみだわぁ。うふふ……」
「お……お父……さん……」
「……“お父さん”?」
女がピクリと眉をひそめる。
その次の瞬間、リィケから飛び退くように離れた。
ヒュッ!!
風を切るような音と共に、女の居た場所に白い光の刃が走る。さらにその音がもうひとつ聞こえると、リィケをぶら下げていた触手が、急に力を失い地に落ちた。
『ギャアアッ!!』
「うわっ!」
外れて地面に転がったリィケが見たのは、触手のひとつを切断されて暴れ狂うスキュラと、腕組みをしながら光が来た方向を睨む女の姿。
「あ…………」
女の視線の先、街道をずんずんとこちらに向かってくる人影があった。
「…………ルーシャ……」
「その子、うちの連盟の子供だから……勝手に何かされると困るんだが…………」
銀のナイフを握り締め女を睨みながら、ルーシャはスキュラの触手が届かない位置で立ち止まる。
リィケから離れてはいるが、ルーシャは息があがっていて、ここまで相当急いで来たのが一目で分かった。
「あら? 坊やを助けに来たのが、まさか…………ふふふ……偶然って恐いわぁ……」
女がルーシャの顔を確認し、片手で口を押さえて薄く笑う。逆の手には再び小箱が握られていた。
小箱を軽く前に掲げ、握る手に力を込めている。
ミシミシと小箱から圧力に負けていく音が聞こえた。
ルーシャは女を少し見ると、ますます顔を険しくする。
「……金色の瞳……【魔王階級】か……!?」
「嬉しいわ……『魔王殺し』に会えるなんて」
一目だけで、ルーシャの顔に緊張が走ったのが分かる。
それくらいにこの女悪魔が強敵だということだ。
「ルーシャを……知ってるの……?」
女がルーシャを知っているようだったので、リィケは思わず声に出してしまった。
リィケに尋ねられ、女は得意気な笑顔を向けてくる。
「ええ、悪魔の間じゃ有名人よ。銀紫の髪に紫紺の瞳、そしてその顔……。五年前に自暴自棄になったあげくに、腑抜けになったって……でも実際に会うと、なかなかのいい男ねぇ。あははは……」
ミシミシ、ミシ……。
女の手のひらの小箱からは軋む音が止まない。
先ほどから、スキュラは横で静かに動かないでいる。
「ねぇ、魔王殺しさん。ちょっと聞きたいのだけど……」
「…………何だ?」
「ふふ……そんな怖い顔しないでちょうだい。あんただって戦わないで済むならいいでしょう?」
ルーシャだって正直、知能のある悪魔との戦いは、できることなら避けたいものだ。もし、話し合いでお互いに分かり合えるなら、それに越したことはない。
女は足元のリィケの首根っこを掴んで持ち上げる。
「この坊や、あんたの子どもよね?」
「っ…………!!」
「………………何のことだ?」
リィケはあからさまにドキリとしたが、ルーシャは冷静に女の言葉に答える。
「あら、隠さなくてもいいわよ? あんたが来た時の、この子の顔見れば一発で分かるもの。素直な子よね? ま……そんな事はいいか……」
女は小箱を前にかざした。
「この子、アタシにちょうだい。くれるなら、アタシは大人しく帰ってあげる」
「お前が帰っても、他の悪魔は残していくってことだな? あと、残念だが最初からそいつはやれない。返してもらうぞ」
「う~ん、やっぱりダメかぁ……」
「………………ルーシャ……」
悪魔との交渉で気をつけなければならないのは、言葉の裏側をよく読まないと、悪魔に足元を掬われることだ。
「間もなく、他の人間の退治員もここへ来る。【魔王階級】が居ると知られれば、お前は有無も言わさず退治対象として、全てから追われることになるぞ……」
さらに、少しでも怯めば相手に隙を与えてしまう。
脅しに近いもののひとつも言えなければ、すぐに精神的な弱さを見出だされ攻められる。
「そぅ、残念だわ…………やっぱり、あんたとは戦うのが礼儀かしら?」
ミシミシ………………ミシミシミシ…………ミシッ……。
張り詰めた神経に、やたらと音が響いてくる。
「戦えば損だぞ。大人しくすれば、この場は問題にしない…………その子を返せ!」
「損? 別にアタシは見逃されなくてもいいわよ?」
ビシィッ!!
女の手のひらで小箱が大きく歪んだ。
大きく開いた箱の隙間から、黒い煙と共に砂のようなものがサラサラと落ちてきている。
「誰か来る前に、あんたを殺せば問題ないもの!!」
女は小箱を握りつぶし、それをスキュラに投げつけた。
『ギャアアアアア!!』
「なっ……!?」
「……ルーシャ!!」
小箱の残骸から出た砂混じりの煙がスキュラを覆い尽くした。激しく声をあげて暴れるスキュラだったが、その体が少しずつ大きくなっていく。
「何だ……これは……」
一瞬のうちに、スキュラは倍の大きさになり、触手の数も増えている。土台になっている狼の、牙と前足の爪は槍の先のように鋭くなっていて、一撃でも食らえば人間などボロ布にされるだろう。
あの二人が言っていたのはこれか……?
ルーシャは巨大になったスキュラを正面に見据えた。
宿場町の教会へ避難してきた退治員姉妹は、女が老婆だったスキュラを“強化”したと言っていたのを思い出す。
だが、そのスキュラの変化を見ていたために、ルーシャは気付くのが少し遅れてしまった。
囲まれたか…………!!
遥か正面には【魔王階級】の女とスキュラ。
ルーシャのすぐ側の左右、後方、そして真上には、ゴーストやクイックシルバーなどの死霊系や霊体系の悪魔が犇めいていのだ。
『キィイイイイイ――――ッ!!』
『あぁあああ……あぁ……!!』
まるで囲いのようにルーシャの周りを固めているが、どれも女の指示を待っているようだ。腕が届かないギリギリの場所でとどまっている。
「……もう一度、確認ね。この子、アタシにちょうだい」
「断る」
「そう……………………なら、死になさい」
女の声と共に悪魔の囲いは崩れ、そのままルーシャになだれ掛かった。
「ルーシャっ!!」
潰されるっ……!?
リィケが顔を背けそうになった時、ルーシャの手に大きな金の十字架が握られていたのが目に入る。
まさに悪魔がルーシャを埋め尽そうとした瞬間、中心から光が幾つもの線になって四方八方へ突き抜ける。
遅れて、覆い被さった悪魔たちが一斉に弾け飛んだ。
街道に悪魔が消滅する際の蒸気が広がる。
「えっ……!?」
「へぇ……」
驚くリィケに対して女は感心したように呟いた。
「悪魔殺しから離れてても、やっぱり低級悪魔じゃ魔王殺しは殺せないか……」
「あ…………」
ヒュッ!!
漂っていた蒸気が切り裂かれ、ルーシャが数歩前へ進み出た。
手には一振りの大剣を握っている。
大剣は白銀の幅の広い両刃。
剣の柄は金色の十字架を模した造りだ。
刀身は青白く淡い光を放っている。
「……十字架の……剣? …………っ!? ルーシャ!!」
『ギャアギィイイイイッ!!』
スキュラが叫びながらルーシャに突進していた。
ルーシャが近付いたので、攻撃の範囲に入ったのだろう。触手を何本も突き出しながら襲い掛かった。
真正面からの攻撃に、ルーシャは大剣を体の脇に構える。
そしてそこから、一気に横へ振り抜く。
「祓え!! “レイシア”!!」
スキュラの攻撃がルーシャに浴びせかけられる前に、剣から発せられた光の刃が、スキュラの触手を凪ぎ胴を突き抜ける。
『ギャアアッ…………!!』
絶叫をあげ、スキュラは狼の土台から、ヒト型の上半身が離れて落ちた。
しゅうう……と、大きく二つに別れたスキュラから白い蒸気が上がり、どんどん萎んでいく。
『ギィ……ギ……ギギギ……』
か細い声を出しながら、ルーシャの足元に枯れ木のような腕がまとわりいた。
その先にいるモノとルーシャの目が合う。
落ち窪んだ老婆の、真っ黒な瞳が少しだけ見開かれると、頭から地面に倒れ伏す。
気のせいかと思ったが、倒れる瞬間、老婆のスキュラはルーシャに笑い掛けたように見えた。
息絶えたスキュラは灰のように変質し、風に流れて完全に形が失われていく。
「…………すまない……」
ルーシャは足元に向けて呟くと大剣を構え直す。
薄く光る切っ先を、今度は女に向けた。




