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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Stand My Ground
60/110

Stand My Ground (9)

(1) 

 教会と広場の中をくまなく探しても見つからなかったため、シャロンはイースト地区全体を走り回ってグレッチェンの行方を追っていた。

 それでもグレッチェンの姿は見つからず、日が暮れていくにつれて不安と焦燥、苛立ちばかりが募っていく一方であった。

 アドリアナの死をひた隠しにしていたのを知られたこともだが、まさか邸宅を抜け出して(おそらくマクレガー夫人や使用人達には黙って行動に移したのだろう)教会まで来るとは夢にも思っていなかったし、たかだか逃げ出した子供一人を捕まえるのがこんなに難儀なことだとも思わなかった。


(……否、『まだ子供だから』と、どこかで見縊っていた私の考えが甘すぎたのだろう……)


 シャロンはただ、グレッチェンがアドリアナの死によって深く傷つき、悲嘆に暮れる姿をどうしても見たくなかったのだ。

 自らの判断の甘さを悔やむ気持ちと、彼女を傷つけたくなかったという言い訳がましい気持ち。

 二つの矛盾した思いを抱え、シャロンはハルと落ち合う約束をしている教会の正門前へと急ぐ――。



(……誰もいないじゃないか……)



 急いで走って来たものの、グレッチェンを連れたハルの姿はどこにも見当たらない。

 盛大に舌打ちを鳴らしたいのを堪え、代わりに地面を軽く爪先で蹴ってみせる。

 今の自分はどこまで余裕を失くしているのだ、と、皮肉交じりに自嘲すると共に、ノース地区に足を踏み入れてしまったかもしれないグレッチェンの身を案じ、心が更に激しくかき乱される。

 出来ることならば、自分もノース地区まで足を運び、ハルと共にグレッチェンを捜索したかった。

 見知らぬ場所と言うだけでなく、危険かつ不衛生極まる土地柄に入り込んだのだ。

 強い不安に身を打ち震わせ、さぞかし怯えていることだろう。

 徐々に下がり始めた気温と冷たさが増していく木枯らしが吹きすさぶ中、ただ待つことのみしか許されていない我が身に歯噛みしつつ、シャロンは二人が帰還するのを辛抱強く待ち続けていた。



 どれ程の時間が経過したのかは分からない。



 寒さと落ち着かない気持ちを誤魔化そうと、門の前を忙しなく右往左往していたシャロンだったが、ブナの並木道を見慣れた長身の男が足早に教会に向かって歩いてくるのを目に留める。

 男の背中に小柄な少女が背負われているのをはっきりと捉えたシャロンは、安堵の余り、その場に崩れ落ちるようにしてしゃがみ込むと、体内の空気を全て吐き切る勢いで長く深いため息を吐き出す。


「おい、馬鹿シャロン。とっとと立て。お前のリトルレディなら無事に捕まえたぞ」


 数分後、頭上からハルのつっけんどんな言葉が降ってくる。

 声に引き寄せられるように、シャロンはゆっくりと立ち上がる。

 ハルの隣には、彼の背中を降り、気まずそうに小さな身体を竦ませて目を伏せるグレッチェンの姿が確かにあった。


「グレッチェン。心配掛けたのは事実だから、まずはシャロンにちゃんと謝れ」

「…………」

 ハルに促され、俯いていたグレッチェンが恐る恐る顔を上げ、シャロンに謝罪しようと口を開きかけた、その時。



 バチン!!



 一瞬、グレッチェンは自分の身に何が起きたのか理解できず、頭の中が真っ白になった。

 ハルですら目の前で起きた出来事に驚き、目を剥いて呆気に取られている。

 二人が呆然とする原因を作ったシャロンですら、たった今自分が行った所業が信じられず、拡げた掌を震わせて全身を硬直させていた。 


「…………ごめんなさい…………」


 叩かれた頬を押さえ、消え入りそうなか細い声を辛うじて絞り出すように、グレッチェンが小さく謝る。

 おどおどと顔色を窺う薄灰色の瞳に見上げられ、シャロンはハッと我に返る。

 か弱い少女、それも日常的に暴力を振るわれていた過去の経験があるにも関わらず、手を上げてしまった、という、紳士、否、人としての最低の行いを仕出かした事実、グレッチェンへの罪悪感。

 弁解をしようにも思考がまともに追いつかず、グレッチェンの怯えた瞳から目を背けようとした――



 バキッ!!



「ちったぁ落ち着け、この大馬鹿野郎」


 頬に衝撃と激痛が走り、呆れ返ったハルの声でシャロンは再び正気を取り戻した。


「ったく、普段は嫌みなくらい冷静で余裕かましている癖に……。今日のお前はどうかしているぞ」

「…………」

 ハルは蔑んだ目付きでシャロンを一瞥すると、グレッチェンの頭をポンポンと優しく叩く。 

「大丈夫か、グレッチェン。家に帰ったら、ちゃんと冷やしておけよ。それと、後でこの馬鹿を十発くらい殴ってやれ。何なら、顔の形が変わるくらいやってもいいと俺は思うぜ。ただ……」

 ハルはあえて途中で言葉を切り、諭すような口調に切り替える。

「シャロンは、お前が憎くて叩いた訳じゃないのだけは分かってやれ。心配しすぎる余りに、つい気が昂ぶっちまったんだ」

「…………はい…………」

 まだ怯えているものの、グレッチェンは素直に頷いてみせる。

「あぁ、あとシャロン。この騒動も元を質せば、お前がグレッチェンに嘘をついたのが始まりだってことはよーく肝に銘じておけよ」

「……お前に言われなくても分かっている……」

「さぁ、どうだか??」

 ハルの挑発に反発するように、シャロンはハルをきつく睨みつける。

 構わずハルは話を続ける。

「アダの死や、死の真相でグレッチェンを傷付けたくないんじゃなくて、お前が傷付いたグレッチェンの姿を見たくなかったってだけだろう??グレッチェンを守っている振りをして、単にお前が面倒な事に向き合いたくなかっただけの話だ」

「……何だと??……」

「事実だろうが。確かに、グレッチェンの境遇を思えば聞かせたくない話には違いない。でもな、アダの死を知らせた上で一緒に哀しみを分かち合ってやる、その上で立ち直らせてやるのが一番正しい方法だったんじゃねぇのか??」

「…………!!……………」

「何だよ、そこまで考えが至らなかったってか??お前って奴は……。お勉強以外に関しちゃとことん頭が悪すぎて、こっちの気が滅入ってくるぜ。悪ぃが、今日の所はもうお前には付き合い切れねぇ。帰らせてもらうわ」

「…………」


 ハルはわざとこめかみを押さえつけ、憮然としたまま立ち尽くすシャロンと、二人の話を黙って聞いていたグレッチェンを置いて、すたすたと門の前から立ち去っていく。

 が、数歩歩いたところで一度振り返ると、「あぁ、帰る途中でお前らを拾ってくれるよう、通りがかった馬車に声を掛けておくから。馬車が迎えに来る間、そのままそこで反省していろ」とだけ告げると、再び二人に背を向けて歩き始めたのだった。




(2)

 教会の正門の前で、二人は大人しく馬車が来るのを待っていた。

 するとしばらくして、遠くから一台の辻馬車がガタゴトと車体を大きく揺らし、教会に近づいて来るのが見えてきた。

 御者は二人の姿を見つけると、少しずつ馬を走らせる速度を落としていき、二人の傍まで近づいたところで停車させた。 

 一応、ハルが呼んだ馬車なのかを確認した上で車内に乗り込む。

 後から乗り込んできたグレッチェンを中へ引き入れようとするシャロンの手が、グレッチェンの手に触れると――。

 グレッチェンは全身をビクッと震わせ、一旦手を引っ込めてしまったものの、すぐにまた遠慮がちにそっと差し出してきた。

 平手打ちの件を含め、互いに後ろめたいものを多く抱えているせいでぎくしゃくした態度になりがちなのも致し方ない。

 シャロンとグレッチェンが座席に腰掛けるのを見計らい、御者は扉を閉める。

 馬車が動き出してから自宅に辿り着くまでの間、シャロンは窓から外の景色を眺める振りを、グレッチェンはスカートの膝をきつく掴んで俯いたままで、二人は一言も言葉を交わさなかった――




 馬車から降り、玄関を開けると同時に憔悴しきった顔付きのエドナが扉から顔を覗かせた。

「……お帰りなさいませ、シャロン様、グレッチェンさ……。……奥様!!奥様!!グレッチェン様がお戻りになられましたよ!!!!」

 エドナはグレッチェンの顔を見るなり血相を変え、少年の頃から彼女を知るシャロンですら聞いたことのない、悲壮さすら感じられる大きな声を張り上げて、夫人にグレッチェンの帰宅を知らせる。

 程なくして、スカートの長い裾を引きずる音とパタパタと大きな足音が廊下から響いてきて、慌てふためいた様子で夫人が玄関へと駆け込んでくる。


「……グレッチェン!!!!」

 夫人はエドナを押しのけてグレッチェンの目の前に立つと、細い肩をガシッと勢い良く掴む。


「グレッチェン!!!!勝手に屋敷を抜け出すなんて駄目でしょう!?!?どうしてそんな危ない事をしたの!!!!」


 シャロンとよく似た涼しげなダークブラウンの瞳を吊り上げ、夫人はグレッチェンの肩を激しく揺さぶった。

 朗らかな笑顔を絶やさない夫人が初めて見せる険しい表情と厳しい叱責を前に、グレッチェンは無言で項垂れる。


「黙っていては分からないでしょう?!ちゃんと理由を言いなさい!!」

「お母さん、余り大きな声で叱らないでやって下さい」

 激昂する母の姿が先程の自分と重なり、いたたまれなくなってきたシャロンは堪らず夫人を制した。

「私はこの子が大事だからこそ叱っているのよ!体調が悪そうだったから部屋で休んでいるものだと思っていたのに、忽然と姿を消していたのだもの!すぐにエドナと一緒に地区内を探し回っても見つからなくて警察に捜索をお願いしたけど、まともに取り合ってもらえなくて……。今の今までとにかく心配で心配で……、生きた心地がしなかったわ!!!!」

「……お義母様、エドナさん……。本当に、本当にごめんなさい……」


 叱責される以上に、夫人やエドナにまで心配を掛けてしまったことに良心の呵責を感じ、グレッチェンは声を震わせながら二人に謝罪する。

 グレッチェンの心からの謝罪と見るからに反省している様子に、夫人の怒りも引き始めたのか、次第に表情が和らいでいった。


「……グレッチェン、さっきも言ったけど、どうして黙って屋敷を抜け出したの??そこまでして何処へ行きたかったの??」

 それまでとは打って変わり、いつものおっとりと優しい口調で夫人は改めてグレッチェンに尋ねた。

「……それは……」

「グレッチェン、正直に教えて頂戴。シャロンは知っているのよね??」

 母からの問いにシャロンは頷いてみせる。


 観念したグレッチェンは、ここ十日の間に見せていたシャロンの不審な行動が気になっていたこと、シャロンとエドナの会話を偶然聞いてしまったこと、会話内容とシャロンの行動からアドリアナが事件に巻き込まれたのではと疑い、後を追いかけたこと等、一連の出来事(ただし、ノース地区での一件だけはこれ以上心配させたくなくて黙っていた)を包み隠さず、夫人達に打ち明けた。

 話が全て終わると、今度はシャロンと夫人が気まずそうな表情を浮かべ、アドリアナの死や事件について隠していたことをグレッチェンに謝罪したのだった。


「……そのことについては、もういいんです……。シャロンさんもお義母様も、私のことを案じて下さった上での判断ですから……。でも……、アドリアナさんのことも含めて、今はまだ頭も心もぐちゃぐちゃに混乱していて……。正直な事を言いますと……、今日はもう、一人にして欲しいんです……。大きな騒動を起こして心配とご迷惑をお掛けしたことは、本当に、本当に申し訳ないと反省していますし、身の程を弁えない、とんでもない我が儘を口走っているのは、充分分かっています……。……でも……」

「グレッチェン……」

「……今だけは……。……本当にごめんなさい!!……」


 自分を囲んでいるシャロン、夫人、エドナ――、それぞれに順番に視線を投げ掛けると、グレッチェンは逃げるように玄関から二階へ続く階段を一気に駆け上がり、自室の奥へと閉じ籠ってしまった――

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