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灰かぶりの毒薬  作者: 青月クロエ
Stand My Ground
53/110

Stand My Ground (2)

(1)

 それからしばらく経ったある日のこと――



「グレッチェン、そろそろ家を出ようと思うのだが、支度は済んだかね??」

 いつものように、グレッチェンを伴って仕事に出掛けようと、シャロンは彼女の部屋の扉の前に立ち、声を掛ける。

「……あ、あの、あと少しだけ、ま、待ってもらえますか……」

 扉の向こう側からは、怯えを含んだか細い声が聞こえてきた。

 まだ少女の身とはいえ女性の身支度には時間が掛かるもの、急かすことは紳士にあるまじき野暮な行いだと思ったシャロンは、黙って扉の前でグレッチェンを待ち続ける。


 待つこと、約五分。


 静かに扉が開き、中からグレッチェンが姿を現した――が、彼女を一目見るとシャロンの目が点となった。


「……グレッチェン、その髪は……」

「あ……、頑張って、自分で三つ編みに結ってみたのですが……。やっぱり、変、ですか??……」

「…………」

 グレッチェンの問いに、シャロンは言葉を詰まらせる。


 変も何も――、それぞれの耳の下で結われている髪の束がシャロンから見て右側は多く、左側は少ない――、つまり、三つ編みの太さが極端に違っているし、編み込み方が途中からぐちゃぐちゃになり、最早三つ編みなのか編み込みなのかすらも判別できない状態と化している。


 普段はマクレガー夫人か女中頭のエドナが髪を結ってあげているのだが、今日に限って夫人は朝早くから用事で家を出ているし、その分エドナが家の仕事に忙殺され、いつにも増して忙しそうだった為にどうしても頼み辛かったのだろう。

 家にいるのであればこのままでもいいかもしれないが、外出するとなるとこれはさすがにみっともない。

 しかもグレッチェンの髪を結う理由は、頭頂部からこめかみら辺まではアッシュブロンド、こめかみから腰までは灰色という微妙な髪色を目立たなくさせるためである。


「グレッチェン、私が髪を結い直してあげるよ。母やエドナがやるような凝った結い方は無理だが、三つ編みくらいなら私でも出来るから」

「本当ですか??……では、お願いします!」

「じゃあ、ちょっと部屋に入らせてもらうよ」

 シャロンはグレッチェンに断りを入れると、共に部屋の中へ入っていく。

 扉から見て左隅、ベッドの脇に置かれたドレッサーの前にグレッチェンを座らせると、結んでいるリボンをほどいてやる。

 絡みついている髪を強く引っ張らないよう、慎重に櫛で梳きほぐし、後ろで髪の量を均等に二つに分け、そこから更に三つの細かい束に分けていく。

 三つに分けられた毛束を順に編み込んでいき、リボンで留める。

 片方が完成すると、もう片方も同様に三つ編みの形に結っていく。


「よし、これでいいだろう」

「ありがとうございます、シャロンさん」

 先程とは比べ物にならない、綺麗な三つ編みの形にグレッチェンは感服しながら礼を述べる。

 グレッチェンは料理や菓子作り、裁縫の腕は日増しに上がっているのだが、髪を結うのだけは物凄く苦手で、練習を重ねても上手くいかないことが多い。

 まぁ、誰しも得手不得手があるからなぁ、などと思いながら、「さぁ、今度こそ家を出ようか」と、グレッチェンに手を差し出す。

 はい、と、返事をすると、グレッチェンは差し出された手をそっと握り締めた。



(2)

 一年を通して雨や曇りが多いこの国も、真夏に限っては晴天が続き、カラッとした暑さが訪れる。

 午前十時を過ぎた今太陽は中天まで昇り、外へ出た瞬間、強い日差しに当てられたシャロンは眩しさで思わず目を細める。

「グレッチェン、日焼けしてはいけないから日傘を差して出掛けようか」

 シャロンに言われるまま、グレッチェンは手にしていた真っ白なフリル素材の日傘を差した。

「そうだ。少しでも暑さを凌ぐために、今日はヨーク河沿いの通りを通って店まで歩こう」


 ヨーク河は、この街の東から西へかけて流れる大河で、ちょうどその中心の地に歓楽街がある。


 四十年ほど前までは工業排水、生活排水、下水、果ては動物の死骸などをヨーク河に流していたので、この街は悪臭と不衛生さが原因の病原菌が蔓延する問題を抱えていたが、現在では下水道や排水の設備を整えたことにより、元の清流へと戻っている。

 そのため、河には定期的に高速蒸気船が通り、夏になると小型のボートを使って下流から上流に上っていく舟遊びを楽しむ人々が大勢現れ、河の通り沿いには市場や露店が並び、賑わいを見せている。


 人々の活気に満ち溢れる古い石畳の道を、河の上を渡る風で涼を感じながら、シャロンは日傘を差したグレッチェンの手を引いて歩く。

 グレッチェンは日傘の隙間から、物珍しそうにして市場の様子をちらちらと横目で覗いている。


「グレッチェン、もしかして市場に寄ってみたいのかね??」

「あ……、いえ、結構です。お店の開店準備もあるでしょうし……」

「まだ時間はあるから、少しくらいなら……」

「いえ、いいんです!ちょっと見ていただけですし……、気にしないで下さい……」 

 大仰に首をぶるぶると振りながら、それよりも早くお店に行きましょう、としきりに急かすグレッチェンに、シャロンはそれ以上何も言う事が出来ない。

 物静かで大人しい割に変なところで意固地になりがちなグレッチェンなので、言葉を重ねれば重ねる程、益々頑なになってしまうからだ。


「む、そうか……。それじゃ、安息日で店が休みの日にでも連れて行ってあげるよ。その方がゆっくり見て回れるだろうしね」

「あ……、ありがとうございます」 

 どこかホッとしたような顔をするグレッチェンに苦笑しつつ、シャロンは店へ向かう足をいささか速めたのだった。




(3)

 ヨーク河の通り沿いから歓楽街へと入り、午前十一時半には薬屋に辿り着く。

 開店準備をグレッチェンも手伝っている(と言っても、掃除などの雑用だが)内に、壁時計の秒針は開店時間の午後十二時を指していた。

 開店から三時間程は客の訪れは少なく比較的暇なので、シャロンはグレッチェンの隣に丸椅子を置いて、本や新聞を読みながら店番をしている。

 しかし、グレッチェンは本を読みつつ、忙しくなるまでの時間帯はほんの少しだけ、そわそわと心を浮足立たせている。

 その証拠に、店の扉が開いた瞬間、反射的とも言える動きでさっと本に栞を挟み、静かに椅子から立ち上がると、シャロンが声を掛けるよりも早く、グレッチェンはその人物に声を掛けていた。


「こんにちは、アドリアナさん」

「あら、グレッチェン。今日は来ていたのね」


 グレッチェンが密かに来訪を待っていた人物――、亜麻色の髪の娼婦、アドリアナだった。

 彼女は、他の娼婦達が訪れる夕方から夜の時間ではなく、いつも昼間の日の明るい時間帯に店に訪れる。

 洗いざらしの下ろし髪に質素な私服姿、鼻の頭に散った雀斑がうっすらと見えてしまうくらいの薄化粧からは、彼女が高級娼婦だとは全く見てとれない。


「いらっしゃいませ、アドリアナさん。今日もいつもの潤滑剤を買いに来たのですか??」

「はい。あ、えっと……、在庫があるようなら、今日は二瓶欲しいです」

 アドリアナの要望に、シャロンは一瞬だけ表情を曇らせた。

「アドリアナさん、以前から注意を促そうと思っていたのですが……。潤滑剤は水糊を薄めただけのもので、人体に特別悪影響を及ぼすものではありません。しかしながら、だからと言って乱用していいものではないのでもう少し使用をお控えになられた方がいい、と思いますよ。一応在庫はありますし、今回はご希望通り二瓶お渡ししますけど」


 純朴な質ゆえ、アドリアナが客相手では潤滑剤がないと不都合が生じるだろうことは、シャロンも何となくは理解しているものの、やはり医学を学んできた者としては万が一の可能性を見過ごすこともできない。


「そう、ね……。わざわざ忠告ありがとう、シャロンさん」

 困ったように眉尻を下げつつも、アドリアナはシャロンの忠告を素直に受け取った。


 二人の間に流れる重たい空気に、グレッチェンは眉を潜めて心配そうに眺めている。

 その視線に気付いたアドリアナは、「大丈夫よ、グレッチェン。シャロンさんは私のために、あえて厳しく言ってくれただけだから」と、笑ってみせる。

「それよりも久しぶりね、元気にしていた??近頃はめっきり暑いから、体調崩したりしていないか、心配していたのよ」

「ありがとうございます。少し前に夏風邪を引いてしまいましたが、今は治ってこの通り元気でいます」

「あら……、夏風邪はこじらせると長引くって聞くから大変だったんじゃない??治ったからって無理だけはしないようにね」


 シャロンに代金を支払いながら、アドリアナはカウンター越しにグレッチェンの頭を優しく撫でる。

 頭を撫でられながら、グレッチェンは僅かにはにかんでみせる。

 数か月前に初めて会って以来、店に来店した際にグレッチェンを見掛けると、アドリアナは彼女に声を掛けるようになり、娼婦らしからぬ清廉さと優しい人柄にグレッチェンも次第に心を開き始め、今ではアドリアナにすっかり懐いていた。


「まだまだ暑い日が続くけど、雨降りや曇りよりはいくらかマシよね。お天気の日は早起きして、外を散策したくなるわ」

「全くです。今日が安息日なら、絶好のお出かけ日和でしょうに」


 お釣りを手渡しがてら、アドリアナと雑談を続けるシャロンの脳裏に、ふとある考えが持ち上がった。


「そう言えば、店へ向かう途中、ヨーク河沿いの通りで市場が開かれていましてね。グレッチェンが行きたそうにしていたのですが、時間がなくて連れて行ってあげられなかったのです」

「?!」

 突然、何を言い出すのかと言わんばかりに、グレッチェンは吃驚してシャロンを凝視する。


「まぁ……。うーん、……私の仕事が始まる時間までかなり余裕があるし……。私で良ければ、グレッチェンを市場に案内してあげましょうか??」


 シャロンの予想通り、アドリアナは彼が直接頼むまでもなく、グレッチェンを市場に連れて行ってくれる気になったようである。

 アドリアナの人の好さに付け込むみたいで申し訳なく感じる反面、こうでもしないと何かと意地っ張りで遠慮がちなグレッチェンを動かすのは至難の業だし、市場が遠ざかっていくにつれ、どことなく寂しそうにずっと目を伏せていたグレッチェンの顔がシャロンは忘れられないでいた。

 どんな些細なことにせよ、シャロンはグレッチェンの望みを叶えてやりたい、少しでも笑顔が増えてほしい、と思ってのことだ。


「ありがとうございます。では、折角ですし……、図々しくもお言葉に甘えさせてもらってもいいですか??」

「シャロンさん、わ、私は……、別に……」

「勿論!ヨーク河沿いの市場なら、いつも警察が見張っているから比較的安全だし、私もよく出掛ける場所だから幾らでも案内してあげるわ」

「ア、アドリアナさん……」

 戸惑うばかりのグレッチェンにお構いなく、シャロンとアドリアナの間でどんどん話を進めていってしまう。

「善は急げではないが、ほら、お小遣いも渡してあげるから、アドリアナに市場に連れて行って貰いなさい」

「……あ、あの……」

「あら、良かったわね!」


 普段通りの穏やかさなのに、有無を言わさぬ威圧感を含んだシャロンの笑顔と、屈託のないアドリアナの明るい笑顔。

 種類の違う、二つの笑顔を前にして、グレッチェンは反論の余地もなく言葉を飲み込み、半ば強引とも言える形でアドリアナと市場へと出かけて行ったのだった。

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