129.悪役令嬢の家族
テンプレな“真実の愛”のイジメ疑惑追及から始まった、エリザベスと周囲のお話—
※妊娠に関する描写があります。閲覧にはご注意ください。
エリザベスの幸せと、その周囲を描きたいと思い書いている連載版です。
ルイスと小さな小さな家族との生活としては6歩目。
引き続き、ゆるふわ設定。R15は保険です。矛盾はお見逃しください。
「伯父様、ルイス……。
麦にも、夏バテ、夏痩せって、ありえますか……?」
「?」
「…………」
二人の驚きと戸惑いの目線を気にせず、私は説明を続ける。
「実は、先月のチーズ価格についての報告書で、チーズの買取人が、『南部では急に暑くなり乳牛の乳量が減り、チーズの生産量もガクンと落ちた。成熟して出荷するころには、市場価格が多少値上がりしているかもしれない』と話していたとあったんです。
人間だって夏バテしますが、乳牛の例はわかりやすくないでしょうか?
暑さで食欲が落ち、飼料や牧草が食べられない。牛乳の量が減る。
王国でも視察で見てきました」
「病気ではなく、暑さの被害といえば干魃だが、干魃とは違うぞ」
伯父様は疑問視される。当たり前だ。こんなことは初めてなのだから。
「えぇ、旱魃 は“ひでり”、雨が降らないことによる、長期間の水不足です。
今回とは違います。
でも水は飲めてはいても、暑さに長時間さらされれば人間だって倒れます。
暑さ負けする人間は真夏に多く現れます。
逞しい騎士の中でも、騎士団の炎天下の訓練でそういう人はいたでしょう?」
「…………」
「…………」
元騎士の伯父様と、現役騎士のルイスは顔を見合わせる。
「そして、暑さ負けした乳牛の乳量が減ったように、麦も穂の実入りが減った、と考えられませんか?
他の作物もです」
「つまり、病気ではない、というのか?」
「この予測でいけば、病気ではありません。
伯父様。南部に行かれた農学者の方に、日陰で育てられた麦は、作物はどうだか、確認していただけますか?」
「日陰で?」
「はい。栽培には適しませんが、条件が悪い耕作地も必ずあるはずです。
通常、日陰は一部の作物を除き、麦や作物の生育には適しませんが、今回は違ったかもしれません。
暑い時に日傘を差していると楽ですもの。
伯父様やルー様も、訓練後、日陰に入るとほっとされませんでしたか?
日向よりも涼しくなるためです」
「なるほど……。比較して、予測が正しいか確認するのか」
「はい。でなければ、眉唾物扱いで、皇城で相手にしてくれませんもの。
伯父様もルー様も半信半疑でいらっしゃるでしょう?」
私は二人に微笑みかける。
ルイスは明らかにギクッとし、伯父様は顎を撫でるに留めるが、微妙に私の視線は避ける。
「……エリー。そ、んなことは」
「ルー様。それでよろしいんです。普通の反応です。
ただ、冷害、寒さ、温度低下の害にも色々あるように、暑さの害も旱魃、水不足の“ひでり”以外の可能性を考えただけですの」
ここで伯父様がはっとされる。
「そうか。霜が下りて枯れる場合もあれば、夏場、陽射しが差さず、作物の生育不良もある。
大雪害の時も……」
「はい。今回は陽射しが差しすぎた、暑すぎた、ための害と考えられます。
“熱射障害”とも言えましょう」
「“熱射障害”……。ふむ、なるほど……」
「小麦はどちらかというと乾燥を好み、病害を避けるため、水はけの良いように管理します。このため見過ごしたのかもしれません。
ですので、日陰の畑と比較したいのです。
他の作物も同様です」
「ふむ、わかった。明日、朝一番に“鳩”を飛ばそう。農学者に確認してもらう」
「ありがとうございます、伯父様」
「しかし、暑さの害と分かった後の、対策が問題だな」
「もうすでに開花したところは、陽射しを避ける、影を作り出すのはいかがでしょう?」
「影を作り出す?」
「生成りの布地で畑を覆うんです。
風が通るよう、作業しやすいよう、ある一定の高さを保って。
生成りは、熱を吸収して熱くなる黒とは逆に、熱を反射しますでしょ?」
「生地の確保が問題だな」
「麻なら最も安価で、これから迎える真夏に向けて、在庫は潤沢にあるはずです。
国民には古着と飢え、どちらを取るか、になりますが……。
それと根腐れしないために水たまりはできない程度に、水を引き入れられないでしょうか」
「そうか。水で地面を冷やすのか」
「そう、ルー様。管理が難しいだろうけれど……」
「いや、やるしかあるまいて。
エリー。儂はこれから皇城へ行く。
頭が柔らかそうな者が残っておれば、こちらへ引き込む。
“鳩”の準備もせねばなるまい」
「伯父様……」
伯父様は冷静な為政者の顔を取り戻していた。
今、頭の中では、皇城内での段取りを立てているのだろう。
そして、私の前に手を差し伸べる。
「エヴルー公エリザベス閣下。
あくまでも、まだ可能性だ。
だが、大きな視点転換で、対策まで考えてある。
非常に重要な意見具申だ。この国の政治を司る一人として感謝する」
私は伯父様の手を握る。厚みのある、逞しい、そして温かな手だった。
「タンド公爵閣下。どうかよろしくお願いします。この後を託します。必要な時はいつでもお声かけください」
私は堅く握手を交わすと、伯父様はそのまま立ち上がらせてくれる。
「さあ、もう帰りなさい。くれぐれも気をつけるんだよ。
エリー。おやすみ。
ルイス様、頼みましたぞ」
「はい、伯父様。おやすみなさい。神の恩寵が伯父様と共にありますように」
「公爵、安心して任せてほしい。おやすみ」
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
帰りの馬車の中で、大きく深呼吸する。
ある程度の可能性の高い、原因の候補は出てきたが、まだ確定したわけではない。
「エリー。エヴルーでは、南部ほどの暑さはなかっただろう?乳量が落ちたっていう報告もなかったはずだ」
「えぇ、そうね。念のため、気温の記録を取り寄せるけれど」
「記録?」
「エヴルーでは気温計や気圧計で測って、記録を残しているの。作物ごとの生育状況もね。
南部とは小麦の品種も違うし、土壌改良や水路の整備もしたから、もし仮に、今回の暑さ、“熱射障害”が起きても、対処はできるでしょう」
「麻の在庫が間に合えばいいが……」
「ルー様。
麻は庶民のほとんどが着る、夏の着衣よ。在庫は豊富にあるわ。
麻の在庫が使用想定量より足りなければ、早い段階で王国から緊急輸入の措置を取らないとね。
そのための友好通商条約でしょう?」
「はあ……。そこまで考えてたのか。俺はまだまだだ」
「これから鍛えていきましょう。
伯父様もあの後、領地の主産業、葡萄に異変がないか、絶対に確認を取るはずよ。
帝国の為政者でもあり、タンド公爵領の領主でもあるんだもの。
伯父様から話を聞いた、“頭の柔らかい”領主の方々も、何らかの手を打つでしょうね」
「なるほど。しかし、南部の直轄領に接する領主達が信じてくれればいいが……」
「そこは、皇城の行政官の腕の見せ所……。
そうだわ。“中立七家”の内、二家が接してる……。
信じていただけるかどうかわからないけれど、お伝えだけはしておくわ。主産業ではないけれど、領地の消費分は作ってらっしゃるもの」
「エリー。それは明日にするんだ。もうそろそろ、辛いだろう?顔色も良くない」
「ルー様……」
「入浴して、今夜は眠ること。明日から領主業務が忙しくなるのは確定したんだ。
エリーの体調も備えないとね。麻を買うように、睡眠も取ろう」
「はい、ルー様。
これから執務前に、毎朝クレーオス先生の診察を受けるわ。許可が出たら働きます。
その方が安心でしょう?」
「エリー……」
「ルー様に少しでも安心して欲しいの。心配してくれて、ありがとう。
ユグランと私を気遣ってくれて」
「俺こそありがとう。
心配は当たり前だよ。俺の最愛と宝物だ。
でも約束通り、心配し過ぎないよう注意するよ。
さあ、着いた。マーサが待ってる」
「ありがとう、ルー様。ルー様とユグランは私の宝物よ」
「家族三人が互いの宝物か。最高に幸せだ」
ルイスは馬車からエスコートした私の耳に、嬉しそうにそっと囁いた。
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
翌日——
約束通り、出勤するルイスを笑顔で送り出す。
私を抱きしめたルイスが乗った馬車を見送りながら、この幸せを護ってみせる、と改めて誓った。
ルイスとユグランと幸せに笑い合える、絶対的な前提条件は、エヴルー公爵領と領民、エヴルー公爵家の皆を守ることだ。
クレーオス先生の診察を受け働く許可を得て、マーサと共に執務室へ戻る。
補佐官出勤後、南部の小麦を始めとした農産物の被害は、“熱射障害”の可能性が高い、と説明し、その対策として、陽射しを遮る麻の在庫確認を命じる。
ラッセル公爵家へ前もって送金し、タンド公爵家から“鳩”を飛ばしておく。麻の緊急輸入資金のためだ。
北進次第では帝国内で麻不足が起こるだろう。
お父さまは大使館から独自に掴んでいるかもしれないが、この段階ではまだ南部の不作は伝えられない。
アーサーにも早馬で、内容をまとめ知らせておく。引き続き見回りはこまめに、と念押しした。
“中立七家”の内、南部直轄地に接する二家へ、当主宛てに手紙を書き、あくまでも“情報”として知らせる。
判断するのは各々の家だ。
マーサやルイス、クレーオス先生と周囲の皆に支えられ、悪阻の症状に、時折仮眠室のベッドに潜り込みながらも、アーサーや各所と連絡を取り合い、予測に基づき対策を進めていた。
アーサーと会合した地区の代表者達は、ほとんどがエヴルー公爵家の買上げに同意してくれた。
数人が反発したが、『エヴルー領の心象が悪くなれば、帝室と直接取引がある他産業にまで悪影響を及ぼす恐れがある。最悪“皇妃ご愛用”などを取り消されることが考えられ、エヴルー産小麦の評判悪化も避けられない』とアーサーが詳細に説明し、全員が契約書に署名した。
また法整備を行い、『災害時などの緊急事態においては、帝国民、領民の生活と公共の利益を保障するため、売買などを一時的に禁止する』と領内法に加え、公布した。
罰則は売買で得た利益を没収の上、お母さまの悪質な噂の時と同様、日中、領 地 邸前で、罪状を書いた板を首から下げ、1週間立つことだ。
夜は地下牢で、三食と寝床は保証される。
こんな風に過ごしているころ、お父さまからの手紙が早馬で届いた。
妊娠を祝福してくださり、とても喜んでくれ、『決して無理はしないように』と心配してくださっていた。
国王陛下も非常に喜んでくださり、二人で秘密の祝杯を挙げたともあった。
絵面が浮かび、微笑ましく思える。
クレーオス先生やルイス宛ての手紙もあり、本当に几帳面で、細やかな心遣いをなさる。
さらに何よりの贈り物があった。
お母さまが私を身ごもっていた時の日誌が同梱されていた。
日誌名は『サナちゃん日記』とある。
私はお母さまのお腹にいる間は、古代帝国語で『癒し』を意味する“サナ”と呼ばれていたらしい。
私とルイスの呼びかけ、ユグランと一緒で、共通点が嬉しくもあり、微妙に照れも感じる。
お父さまの手紙には、『恥ずかしくもあるが、アンジェラと私の想いを、母となったエリーに知ってほしくもあった』と書かれていた。
時を越えて、私とルイスと同じ立場の、お母さまとお父さまに、文章で出会える。
大切に読ませていただこう。
クレーオス先生に執務室に来ていただき、お父さまからの手紙を渡す。先生はその場で封を切り、さっと目を通し、にこっとされた。
「『よろしく頼む』と何度も書かれていらっしゃる。
子どもが幾つになっても親は親、じゃな。姫君」
「はい、ありがたさを噛み締めています」
お母さまの懐妊中の日誌も送ってくださったんです」
クレーオス先生は執務机の上にある『サナちゃん日記』を懐かしそうに見遣る。
「ほう、それは儂が勧めたんじゃよ。
姫君は読まれるのは初めてかの?」
「はい。初めてです。少しずつ、ルイスと一緒に読もうかと思います」
先生の目が優しく細まり、何度か頷く。
「ふむふむ、それはいいことじゃ。読んで気に入ったら、取り入れてみるのもよし。
子を持って知る親の恩、とも申すじゃろ?くれぐれも無理はせぬようにの」
「はい、ありがとうございます」
少し悪戯っぽく笑われ、クレーオス先生は出て行かれた。
その夜——
ルイスは夜食を食べた後、執務室を訪ねてくれた。
帰邸はここ数日、遅くなっている。南部の連合国の動きを探っているのだろう。
ソファーに座り私の妊娠中の日誌を読み、1日の飲食や様子を確認した後、小麦関連の情報共有を行う。
「エヴルーの小麦は、今のところ異変は出てないようだな」
「えぇ、ただ去年よりも少し気温が高いようなの。
何度から“熱射障害”が出るのか分からないから、慎重に見守ってるわ。
それと、ルー様。お父さまから手紙が届いたの。
これはルー様宛てよ」
「義父上から……」
ルイスは手紙を受け取ると黙読し、何度か頷いていた。
「うん、こっちの“籠城戦”の布陣も援軍も、まずは合格らしい。
エリーがお腹にいた時の日誌も送ってくれたってあるけど……」
「そうなの。これなんだけど……」
私は『サナちゃん日記』をルイスに手渡す。
少し目を通しただけでも、お母さまの自然な文章と、お父さまの緊張気味な取り組み振りが伝わってきていた。
このお父さまが、私の子育てを通して、孤児院視察前に、鏡の前で『いないいないばあ』を練習するまでになったのだ、と感慨深いものがあった。
お父さまも少しずつ親になっていき、今でも私のお父さまだ。
ルイスもパラパラとめくり、あるところで止まる。
「義父上が、ご自分のことを“パパ”と書いてらっしゃる……」
「そうなの。読んでて、私も小さい時は『パパ』って呼んでたなって懐かしくなってたわ」
「俺も『パパ』って呼ばれるのか……」
ルイスは皇帝陛下をパパと呼んだことは、恐らくはないだろう。皇妃陛下をママと呼んだこともだ。
残酷なものを見せてしまったか、と思った時、ルイスが照れ笑いをした。
「エリーそっくりの子に『パパ』って呼ばれたら、俺、メロメロになりそうだ」
その柔らかい表情と嬉しそうな言葉は、ルイスが少しずつ親になっている証のようで、胸に温かいものが満ちてくる。
「あら、ルー様に似ててもすっごく可愛がって、メロメロになってそうよ」
「そう、かな。いや、エリーが命がけで産んでくれる宝物なんだ。どんな子でもメロメロだよ。大切にする。
“ユグラン”、無事に生まれてくるんだよ。来年に会えるのを、パパは楽しみにしているよ」
「ママもとっても楽しみにしてるわ、“ユグラン”」
隣りに座っている私のお腹に、ルイスがそっと手を当て呼びかける。
私は自然体で自分を『パパ』と呼んだルイスの手に、自分の手をそっと重ねた。
ご清覧、ありがとうございました。
エリザベスと周囲の今後を書き続けたい、と思った拙作です。
※扱われている麦や作物の病害については架空のものです。
誤字報告、感謝です。参考にさせていただきます。
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