人狼
神様
俺は人間とは程遠い存在でした。
そんな俺と彼女を巡り合わせ、最後に人間らしい生き方ができたことに感謝しています。
もし、また生を授かり、生まれ変われることができたなら、その時は人間として生まれることができるでしょうか?人々に愛してもらえるでしょうか?
俺は確かに人の腹から生まれてきたが、人の姿とはまるでかけ離れた姿で生まれてきた。そんな姿の俺を村人たちは受け入れるはずがなく、俺は、人の目を避けるために村のはずれにある深い森の奥に暮らしていた。
そんな生活の中、彼女と出会ったのは、秋の終わり頃、木々の茶色い葉を冷たい風が散らせ、もうすぐ冬がやってくることを知らせている頃だった。
俺は、冬に使う薪を手に入れるために斧を担ぎ、森で木を伐っていた。
ちょうど昼頃になると、冷たい風が弱くなり、葉をすっかりと落とした木々の枝の間から、暖かい木漏れ日が俺の灰色の毛皮に注いだ。朝の冷たい風に吹かれ、冷えていた体が暖かくなり、心地よく感じた。俺は、近くにあった大きな木の下に腰を掛け、昼飯に持ってきたパンを食べると、少し休むことにした。
目が覚めると、木々の枝の間から見える空はもう赤くなっていた。どうやら居眠りをしてそのまま日が暮れてしまったようだ。仕方ない、採れた薪の量は少ないが、今日はもう帰ろう。
俺は、ゆっくりと立ち上がり、大きく伸びをする。そして、立てかけてあった斧を手にし、持ち上げようとした時、木の葉が風で揺れたときのようなかすかな音がどこかから聞こえた。そのままじっと耳を澄まして聞いていると、それは人間の女がすすり泣く声だと気が付いた。
声のする方へ行ってみると、そこには、若い女が木下にしゃがみ込み、泣いていた。彼女の艶のある長い黒髪は、夕日に照らされ淡い赤色に映え、彼女の服の間から覗く真っ白な肌は純白の柔らかい粉雪が日の光に照らされ輝く様を思わせる。
この森の中、彼女一人が消えたところで誰も気には留めないだろう。
俺は、彼女の頭を手にしている斧で叩き割り、彼女の肉を食べることを考えていた。人の肉は食べたことはないが、若い女の肉は柔らかくとても美味しいものだと森の獣たちから聞いたことがあった。
俺は、息を潜めると、斧を両手で強く握り直し、足音を殺してゆっくりと、しゃがみ込む彼女に近寄っていった。
そして、彼女の頭に斧が届く距離まであと一歩になると、握りしめた斧をゆっくりと振り上げながら、もう一歩前へ踏み出そうとした時だった。
足の裏で何かを踏んづけたような感触と、それが折れた細い音が、静かな森の中で小さく、短く響いた。足元を見ると、足の下に二つに折れた細い木の枝があった。俺は、思わず後ずさりをした。
「誰?」
若い女は顔を上げ、辺りを見回している。服から覗く白い肌と同じように雪のような白い顔で、その顔は、有名な彫刻士が作り上げた石灰の彫刻よりも整っていて、涙で濡れた頬が夕日に照らされ淡い赤色に輝いて見えた。
「お父さん?お母さん?怖いよ。返事をして」
彼女は今にもまた泣き出しそうな顔をして立ち上がると、両手を前に突き出し、前を探るようにして危うい足取りで歩きはじめた。どうやら目が見えないらしい。
俺は、彼女のあまりの危うい足取りに狼狽し、思わず彼女の目の前に手を差し伸ばした。
「むやみに歩いてはいけない!俺の手を取れ!目の前にある!」
俺の声を聞いた彼女は、立ち止まると、両手で目の前を探り、俺の手を掴もうとした。そして、俺の手を掴んだ瞬間、小さな悲鳴を上げ、手を引っ込めた。
「け、毛が......」
その時、俺の手が人間の手とは違う形なのを忘れていたことに気付き、さらに狼狽した。
「ああ、ほ、他のやつらより毛深いんだ......」
俺がそう言うと、彼女は、初めて安心したような顔を浮かべ、再び、ゆっくりと俺の手を握った。
「大きな手......」
彼女は、握った俺の手をもう一方の手で撫でながら感心したように呟いた。
「ああ、森に住んでると体が大きくなるんだ」
俺は、適当に嘘をついてしばらく誤魔化し通すことにした。正体がバレたら面倒なことになる。
「この森に住んでるのね。名前は?」
「ヨハン......」
これは本当の名前だった。幼い頃、親に呼ばれていた名前だ。親にまつわる記憶はそれだけしかなく、今はもう親の顔すら覚えていない。
「クリスチャンみたいな名前ね。教会に通ってるのかしら?」
「いや、親がそうだったかもしれないが、俺はクリスチャンじゃない。小さい頃に親とは別れたから、親のことはほとんど覚えてないんだ。お前の名前は?」
「マーガレットよ」
「そうか。ところで、どうしてこんな処に?ここは村から大分離れた所だろ。お前一人で来たのか?」
「ううん。お父さんとお母さんに連れて来られてここに来たの。すぐに戻ってくるからここで待ってろって言われて待ってたんだけど、いつまで経っても戻ってこないの」
「そうか。両親を待つにしても今日はもう遅い。俺の家に泊まっていけ。明日、村に帰ればいい。そのうち両親も村に帰ってくるだろう」
俺は、マーガレットの両親に彼女を迎えに来る気がないのを知っていた。村では、貧しい人間が食べるものに困り、年老いた自分の両親や幼い自分の子供、目や耳や手足が不自由な者など、力のない者、働き手にならない者を森の奥に置き去りにする「口減らし」をしているのだ。このようにして森に置き去りにされる人間は、森の中で飢えて死ぬか、獣に食われて死ぬ。どちらにせよ死ぬのだから、俺が彼女を食べてしまってもなんら変わりはないだろう。さっきは思わず手を差し伸べてしまったが、今度は、彼女を家に連れて帰り、隙をみて殺して食ってしまうことにした。
家に帰った俺は、ろうそくに火をつけ、マーガレットを食事の席に座らせ、暖炉とかまどに火をくべた。
「今、晩飯を作るから少し待っててくれ」
俺は、そう言うと、キッチンでナイフを手に、庭の畑で採れた野菜と森に生えるキノコを一口大に切った。今日の晩飯はクリームシチューだ。俺は、クリームシチューを絡めた野菜とマーガレットの柔らかいであろう肉を口の中に頬張るところを想像した。口の中にとろけそうなほどジューシーな彼女の肉の味とクリームソースの味が広がっていくような気がして、口の中に涎が溢れた。
俺は、口から溢れそうになる涎を飲み込むと、壁に立てかけてある斧を手にし、ゆっくりとマーガレットの後ろへと回り込み、斧を振り上げ、思いっきり振り下ろそうとした。
「ねぇ、ヨハン」
マーガレットの声を聞いた途端、全身の毛が逆立ち、心臓が口から飛び出そうなほど大きく動き、斧を振り下ろすのを止める。
「な、なんだ」
「あら、そんな所にいたのね」
俺の声が後ろから聞こえたのに気づき、彼女は、俺の方に振り向いた。
「あ、ああ、テーブルの準備がまだだったのを思い出したんだ」
俺は、慌てて、隠す必要のない斧を後ろへ隠し、もう片方の手で彼女の前にランチョンマットとスプーンを用意した。
「で、どうしたんだ?」
俺は、少し深く息を吐いて落ち着くと、隠していた斧を側の壁に立てかけた。
「あなた、神様っていると思う?」
「なんだ、そんなことか。さあな。俺は、見たことがないものをいるとは思えないね」
「私ね、あなたに助けられて神様って本当にいるんだなぁって思ったの」
彼女は、微笑みながらそう呟いた。
とんでもない話だ。俺は、こんな醜い姿に生まれて、その上、今さっき彼女は俺に殺されそうになったのだ。神様もへったくれもあったもんじゃない。
「くだらない。ただお前の運がよかっただけさ」
俺は、ため息をつき、キッチンへと戻った。今日は肉のないシチューで我慢するしかないようだ。俺は、彼女の肉を食べる気が失せてしまった。本当に運のいいやつだ。
肉なしの野菜とキノコのシチューが出来上がると、俺は、それらをテーブルの上に並べ、席についた。
俺が座った音を聞くと、マーガレットは、手探りでスプーンとシチューの入った皿を慎重に探り当てると、手にしたスプーンでシチューを掬い、そっと口に運んだ。口にあったのか、彼女はこれ以上にないくらいに幸せそうな顔をしていた。
そんなにおいしいのかと思い、俺も口に運んでみたが、いつものシチューの味で、そんなにおいしいとも思えなかったし、肉が入ってないと思うと、少し物足りないように感じる。
俺とマーガレットはしばらく沈黙のまま食事を続けていたが、マーガレットが不意に沈黙を破った。
「ヨハン、頼みたいことがあるの」
「なんだ?言ってみろ」
「明日、村に帰ろうと思うんだけど、私一人じゃ森を抜けられない。村まで送ってほしいの」
当然、村に俺の醜い姿を晒せば村人たちは俺を駆除しようとするに違いない。かと言ってこのままマーガレットをこの家に置いておくわけにもいかないだろう。
俺は、少し考えた末、大きなフードがついたローブを一着持っていたことを思い出した。フードを深く被れば顔を隠せる。
「わかった。任せておけ。無事に村まで送ってやる」
村は、色々な人間でごった返しになっていて、通りには多くの店が並んでいるが、フードを深く被っている俺を、狼人間であると気づいている人間はいないようだった。
俺は、マーガレットの手を引いてすれ違う人間を避けながら通りを歩いていったが、こちらに歩いてくる男を避けきれず、すれ違いざまに肩がぶつかってしまった。
ぶつかった男は、怒った様子でこちらを振り返ったが、俺の顔を見た途端、その顔はみるみるうちに真っ青になり、しまいには後ずさりして尻餅までついた。
「お、狼......狼だ!!」
男が俺を指差し、叫んだとき、フードを被っていないのに気が付いた。男と肩がぶつかってしまった時、脱げてしまったのだろう。
間髪入れずに、村中の男が、マーガレットの手を引く俺を取り囲む。マーガレットは、不安そうに俺の腕にしがみついている。
「ヨハン......怖いよ......手を離さないでね......」
どうやら俺のことを指して言った狼のことを近くに本物の獣の狼がいるのだと思い込み、怯えているらしい。
「大丈夫、俺が守ってやる。狼なんかにお前を食わせるもんか」
俺は、彼女の小さな頭を撫でてやると、小さな声でやさしく言って聞かせた。
その次の瞬間、雷のような大きな音が鳴り響いたかと思うと、俺の腕が、彼女の手からするりとほどけていき、風景がひっくり返ったように見えた。風景がひっくり返っている中、囲んでいる男たちに混じって、銃を構えている男が見えた。構えられている銃の口からは、煙が立ち上っている。
身体から、生ぬるい液体が流れ、毛を濡らしていて、それが血であることに気が付いた。不思議と痛みはないが、うまく力が入らず、立ち上がることができない。
「ヨハン!ヨハン!!」
マーガレットは今にも泣きだしそうな顔で、必死に俺のことを呼んでいる。
「落ち着け。狼は村の男に銃で殺されたよ。もう心配ない」
薄れていく意識のなか、俺は声の震えを抑えながらそう言った。
「本当......ヨハン、どこにいるの?」
彼女は少し安心したように見えるが、まだ俺を探しているようだ。
「お前のそばにいる。ここからはお前だけで行け。できるな?そのまままっすぐ歩けば村の男がいる。そいつに保護してもらうんだ」
「そう......短い間だったけどありがとう。ねぇ、また会いに行っていいかな?今度はお土産も持ってくる!」
「そうだな......また会えるといいな......」
身体が鉛のように重くなり、冷たくなってくる。気怠い疲労感と眠気に襲われる中、彼女がゆっくりと前へ歩いていくのが見えた。そのあと、目の前が真っ白な光に包まれていくような感覚に陥り、そこで神様を見たような気がした。
神様......もし、また生を授かり、生まれ変われることができたなら、その時は人間として生まれることができるでしょうか?人々に愛してもらえるでしょうか?




