026 魔女の願い
陸上船”テイク・ザット”は巨大だ。
縦にも横にも大きく、タンカーとか豪華客船とか空母とか、そういったものを彷彿とさせる。俺はそういうのにどれも乗ったことはないので推測でしかないけれど。
宴席で急にいなくなったジナイーダを探して、俺はまず飛空船ゾンネンブルーメが着船している上部甲板に向かった。ひとりで戻っているかもしれない。もしかしたら、いきなり婿だの結婚だのいい出したリトル・ジョーと、それに押し切られそうな俺に腹を立てたのかも……。
ところが、俺は何をどう間違ったのか、とっくに出ていておかしくない上部甲板にいつまでたってもたどり着けないでいた。来たはずの道を変なところに入ってしまったらしい。
「っかしいな、何でこんなところに……?」
元は壊れた〈方舟〉のかけらだったという陸上船の内部は、地球の建物で例えれば高層ビルとか首都圏の大きな駅のような大空間が広がっている。こんなものが地面の上に浮かんでいるなんて信じられない。
これで封印しようとしていた地獄というのはいったいどんなものだったのだろう。そしてそこから生まれた〈業魔〉に乗っ取られた〈方舟〉は、今どんな状態なのだろう。興味は尽きないが、いまは後回しだ。
俺は無意識にポケットに手を突っ込んで、自分にツッコミを入れた。何でこの期に及んでスマートフォンを探そうとしているんだ、俺は。そんなものはこの世界にはない。
代わりに念波通信という、テレパシーを外的に発生させる装置はあるが、あいにく手元にはない。
異世界に召喚されて迷子になって、俺はいったい何をやっているのだろう。
あえて言うなら”勇者”だが。
ジナイーダはこんな俺に優しくしてくれるが、それはやっぱり俺が3年前まで名実ともに勇者をやっていたという実績があるからだろう。ジナイーダは記憶を失っているいまの俺ではなく、3年前の俺のことを大切に思っている。いまの俺が、いつか記憶を取り戻してくれるからと信じているから、俺に優しい。そう考えるのが自然だ。
妙な話だが、俺は3年前の自分に嫉妬していた。
「ああ、情けない」髪をぐしゃっとかき混ぜて、俺は長大な吹き抜けの手すりに寄りかかった。「ていうかどこだよここ!」
「テイク・ザットの武器格納庫だそうですよ、ハル様」
「どぅわ!」
誰もいないと思ってついた悪態に反応があって、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
いったいどこから現れたのか、そこにはジナイーダの姿があった。
「あそこ、見てください。大砲がありますよ」
そう言って指差す方向、吹き抜けの下の階層には彼女の言う通り長い砲身を持った大砲が設置してあった。これまた大きい。武装陸上商船団はその名の通り武装した陸上船団なのだとひと目で知れる威圧感がある。
「自衛のための武装があるからこそ、世界中を走り回っていても生き残ってこれたのでしょうね。アイレム機関と同等の発言権を持つ組織だというのも、その戦力があればこそ」
「なんか、すごいな。こんな武器があるのなら、俺がOMSで何かしたところで大した足しにならないんじゃないか?」
「そんなことありません、ハル様」ジナイーダはそっと俺に寄り添って、ひじのあたりに手を触れた。「あなたはまだ本当の能力を思い出していないだけ」
「本当の能力?」
「はい。OMSの……流体腱筋のリミッターを超えたパワーを引き出す能力はまだ入門編に過ぎません。その先にある能力こそがハル樣を勇者たらしめたのですから」
「そうなんだ」
「はい」ジナイーダはうなずいてから、俺の顔を不思議そうな表情で覗き見た。「……興味、ありませんか?」
「いや、そんなことないよ。気になる話だけど」
「だけど?」
「うん……いまは、ジナイーダのことのほうが」
「わたしが?」
「うん。その……急にいなくなっちゃったからさ。何かあった?」
「……ごめんなさい、やっぱりとても失礼な振る舞いでしたね」
「まあ、ちょっとびっくりしたかな」
「お受けになるつもりですか? リトル・ジョーの……プロポーズ」
「え!? あ、いや……話がいきなりで受けるも受けないもないっていうか……」
ジナイーダはいたずらっぽく笑って、「でも条件はすごくいいかも。武装陸上商船団のジョー一族といえば、船団の中でも重要な地位を占めている家ですから」
「そうなの? でもそういうことじゃなくってさ……」
俺はごにょごにょと口ごもった。
ジナイーダがいるのに結婚なんてできない、と言ってしまえばすっきりするのだが、それを明言する勇気は今の俺にはなかった。
「と、とにかく、リトル・ジョーには悪いけどまだそういうことは考えられないって、断ってこないと。ジナイーダも一緒に戻ろう……っていうか、道に迷ったから誰かに案内してもらわないと戻れないんだけど」
「ふふっ、わかりました。行きましょう、ハル様」
ジナイーダはいつもの穏やかに包み込むような表情でそう言うと、帰り道の方向を指差した。
彼女は俺を先導しない。一緒に歩く時はいつも横か後ろに控えて、俺が前に立つように位置する。これは偶然ではなくいつもそうなのだ。文字通り俺を勇者として立ててくれているのだろうと思う。ジナイーダの思いやりを感じるとともに、自分が果たしてそうされるにふさわしい人間なのかどうか考えさせられる。
せめて格好はつけないと。
幻滅されたくないからね。
*
宴席に戻った俺とジナイーダはグランド・ジョーに非礼をわびて、その上でリトル・ジョーとの結婚の申し出は今の時点では受けられないと断った。
自分が勇者として活躍していたはずの3年前の記憶を持たないことも話した。いまは世界を少しでも人類の手に取り戻すことが大切で、そのためにまずアイレム機関総本部への帰還が最優先であるということも。
「ふむふむ、勇者どのがそこまでおっしゃるのならばこのじじいも無理にとは申すまい」
グランド・ジョーがそう言うと、リトル・ジョーはすっかり意気消沈して肩を落とした。どこまで本気で結婚話を言い出したのかわからないが、少なくとも面白半分の発言などではなかったようだ。
「ですが、お願いがある。どうかこの子をアイレム機関の一員として飛空船にご一緒させてはもらえまいか」
「おじいさま!」
リトル・ジョーはぱっと顔を輝かせた。
「この子は生まれも育ちも陸上船で、地上での暮らしを知らぬのです。世界中を巡っているようで、その実船乗りとしての生き方しか知らない。多感なこの時期にもっと多くの人々と交流をもたせたいと──この世界の実情を自分の目で見るようにさせたいと思っておったのです」
「ううむ、たしかにアイレム機関は人手不足ではあるが……」グレナズムが無精髭の生えたあごを困り顔で撫でさすった。「しかしですなグランド・ジョー、〈業魔〉との戦いにおける最前線にお孫さんを投入しても良いとおっしゃるのか? 観光の旅ではないのですぞ」
「わかっておりますとも。こんな時代だ、命の保証は世界中のどこであっても確たるものではない。ならばせめて世界の浄化に役立つ道を歩ませたい。それに孫には陸上の船も空の船も手足のように操る才がある。それを活かしてくれればありがたい。もし足手まといになるようなら船から降ろしてもらって構わんですよ」
「そうまでおっしゃるなら……」と、グレナズムはそこで俺を見て、「だそうだ、勇者どの。どうするね」
「俺に聞くの? まあ、しょうがないんじゃない?」
「おじいさま、グレナズム船長、ハルさん、ありがとうございます!」リトル・ジョーがぴょこんと頭を下げた。「このリトル・ジョー、ジョー一族の名に恥じぬ働きをしてくるのです!」
そんな風に彼女の乗船とアイレム機関入りが決まった。
にぎやかになるな、と他人事のように想像をめぐらしてから、気づいた。
そのにぎやかさにはまず間違いなく俺自身が巻き込まれることになるのだ。
と、顔から若干血の気が引くのを感じたそのとき。
ウシの悲鳴のような警報が部屋中に、そしておそらくは船内中に鳴り響いた。
*
幽霊船団。
それが”敵”の名前だった。
岩山に偽装した、無人の陸上船の群れが武装陸上商船団の進路上に突然現れたという。
「元々は我らの船だったものが、ネクロボーンに乗っ取られて人類の敵に回ってしまった。それが複数集まって、いつしか船団を造って行動するようになった。それが幽霊船団じゃ」
グランド・ジョーが矍鑠と解説した。宴席での穏やかな表情とは打って変わって、鷹の目の老司令官という雰囲気だ。
「グレナズム船長、出発は少し遅れることになりますが勘弁願いますでのぉ、振り切るには位置が悪い」
「お気になさらず。念の為、ゾンネンブルーメはいつでも発進できるようにしておきます」とグレナズム。
「あいわかった。リトル・ジョーよ、飛空船に乗っても常にジョー一族の模範たれ。頼んだぞい」
「はい、おじいさま。行ってまいります」
リトル・ジョーは太い眉をきりりと引き締めて、背中と両手の大荷物を持ち直した。
「持ってあげるよ、おチビちゃん」
スローネが重そうな荷物ごとリトル・ジョーを持ち上げおんぶした。
「ひ、ひとりで持てるのです! 子供扱いするんじゃねーです!」
そう言われてもスローネは降ろさない。”金剛身”のスローネは体内の魔力を身体能力に変換できる。荷物を持ち上げることなど造作も無いのだ。
俺とジナイーダ、スローネ、リトル・ジョー、そしてグレナズムは、それぞれにグランド・ジョーたちを始めとしたテイク・ザットのクルーに別れを告げ、ゾンネンブルーメへと急いだ。
敵は間近に迫っていた。




