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読むな!  作者: 玄武 聡一郎
二章:マクガフィンによる悪夢の前奏曲
14/16

不思議な子

「……はは」


 話が早くて助かる。思わず口角が上がってしまった。

 相変わらずつかみどころがなくて、どこまでふざけているのか分からないけれど……やっぱり五百雀さんは頼りになる。心の底から、かっこいいなと思った。

 手短に、かいつまんで事情を説明すると、ふんふんと頷きながら彼女は言った。


「なるほどなるほど。それで、その芥子菜からしなちゃんって子のために、財布の行方を推理して欲しいんだね?」

「はい。まぁ、時間が経てば財布も見つかるかもしれないんですけど、何か力になれればと思って……」

「ふふーん。そういうことかー」


 電話越しに聞こえる五百雀さんの声は、なぜか上機嫌だった。

 今にも鼻歌でも歌い出しそうな声音で、彼女は続ける。


「まったく、しょうがないなぁ篠原君は」

「すみません、できれば自分の力で、とは思ったんですけど……」

「あぁごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。篠原君はとってもよく頑張ったと思うよ。帰ったら、ご褒美にハチミツたーっぷりの紅茶を淹れてあげるね」


 それは心底いらないと思ったけれど、五百雀さんの楽しそうな声を聞いていると断るのも悪い気がして、僕は笑って「ありがとうございます」と答えた。

 残すのは申し訳なくて毎回全部飲み干しているからか、どうも僕は甘い紅茶が好きだと思われている節がある。


「じゃぁまぁ、手短に済ませちゃおうか。お財布が手元にないのは不安だろうし」

「お願いします」

「ふふ、まつりお姉さんにまかせなさい? これくらいの謎、ちょちょいのちょいなんだから」

「若干ワードセンスが古いですよね」

「切るよ?」

「すみません本当にすみません」


 見えないだろうけど何度も頭を下げながら僕は誠心誠意謝った。

 まったく、と吐いた息に乗せて、五百雀さんは言う。


「今回、私からの質問は一つ。芥子菜ちゃんの鞄って、ちょっと変わった形してる?」

「かばん……ですか?」

「そ。かーばーんっ」


 一体何の関係があるのかさっぱり分からないけれど……。

 僕は、今日見た彼女の鞄の形を思い出しながら、答える。


「変わってる、かもしれないです。鞄の種類にはあんまり詳しくないですけど……。ぱっと見は普通のショルダーバッグで、チャック付きの大きな口が二つ付いてます。見た目より収納力が高そうな感じです」

「あー、なるほど、だからかー」

「どういうことですか?」


 簡単な話だよ、篠原君。と五百雀さんはいつものセリフの後に続けた。


()()()()()()()()()()()()んだよ。それも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にね」

「えっ?」

「私の推理はこう。まず――」


 そうして説明してくれた五百雀さんの推理は、やっぱり尤もらしくて、僕は思わず大きく息を吐いた。なるほど、確かにそれなら全てのつじつまが合う。


「ありがとうございます、五百雀さん。早速確かめてみます」

「あぁ、ちょっと待って篠原君」


 急いで部室に戻ろうとする僕を、五百雀さんが引き止めた。


「その推理、自分で考えたってことにしてね」

「ん? どういうことですか?」

「いいからいいから! じゃ、飲み会楽しんでー!」


 意味の分からない言葉を残して、ぷつん、と電話が切れた。相変わらずよく分からない。

 僕が推理したことにするなんて、どう考えても不自然だろう。


「……まぁ、いいか」


 ひとまずそれは置いておこう。今はとにかく、芥子菜さんの財布が本当に鞄の中にあるかどうか確かめるのが先だ。



◇◇◇



「芥子菜さん、鞄の中って確かめた?」


 部室に戻ってすぐに、僕は芥子菜さんに聞いた。


「うん。一応調べたよ。当然、入ってなかったけど……」

「いつも財布を入れてるのとは違う場所も調べた?」


 僕は芥子菜さんのショルダーバッグの片方の口を指さしながら言った。

 綺麗に使われてはいるけれど、よく見ればチャック部の汚れ具合が少し違う。

 よく開け閉めしている方のチャックは少し、よれている。

 恐らく芥子菜さんがいつも財布を入れているのはこちらの方だ。


「こっちの中ってこと? ここにはいつもお財布は入れないんだけど……」

「念のため、確認してみてくれる?」

「う、うん、分かった」


 じじっとチャックが開く音がし、芥子菜さんが右手を中に入れた。そして――


「え、嘘……あった! あったよ篠原君!」

「あはは、よかった」


 ――今朝僕が拾ったピンク色の長財布が現れた。流石は五百雀さんだ、外さない。


「すげーな、コーキ。何で分かったんだ?」


 珍しく素直に感心しているらしく、凪田は目をぱちくりさせていた。

 僕は五百雀さんから聞いた推理を、そのままなぞる。


「これは盗みでもなんでもなかったんだよ」


 キーとなるのはやはり、短い間に消えた芥子菜さんの財布と、それ以外は何も盗まれていない状況だった。この二つには、僕も違和感を覚えていた。


「今回、消えた財布に関わった人物は、たったの数分しか部室にいなかった。なら、()()()()()()()()()()()()()()()()()んだと思う?」

「さぁ? 数分しか部室にいなかったのは、財布を盗ったからだろ?」

「その前提が間違ってたんだよ、凪田。その人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだ」

「あっ」


 思わず、といった感じで、芥子菜さんが声をあげた。


「部誌を取りに来た……?」

「その通り」


 青葉祭に使う部誌の見本。

 恐らく部室に来た人物は、これを取りに来たのだろう。

 部長に渡すため、広報に使うため、印刷に使うため。その理由は分からない。

 とにかく、その人は急いでいた。


「だから炬燵机の上にあった部誌を取り上げた時、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お菓子の包み紙とか……財布とか」


 時間がないながらも、流石に財布が落ちたのは見過ごせなかったのだろう。

 その人は財布を拾い、そして――


「そしてその人は、拾った財布を芥子菜さんの鞄に入れた」

「いや、なんでだよ!」


 凪田がつっこんだ。いい合いの手だ。


「普通、元あった場所に戻すだろ!」

「そうだね。だけどその人はそうしなかった」


 恐らく、最近軽音部が泥棒に入られたことを気にしていたのだろう。

 芥子菜さんと仲の良い子だとすれば、優しさから財布を鞄の中に入れた可能性もある。

 ただ、その人は急いでいたから、芥子菜さんに書置きをする暇も、彼女を待つ時間もなかった。

 そして芥子菜さんは一応鞄の中も探してみたものの、いつも自分が財布を入れている場所しか確認しなかった。


「もしかしたら、スマホに何かメッセージ入ってるかもしれないね。帰ったら確認してみなよ」

「そ、そうだね!」


 もし芥子菜さんの友達なのだとすれば、『あんなとこに財布置いといたら駄目だよ! 鞄の中に入れといたからね!』、みたいなメッセージが送られてきているかもしれない。

 スマホの充電が切れていなかったら、問題なく解決していたのかもしれないな、と思った。


「やっぱり篠原君はすごいね! こんなに早くお財布が見つかるなんて思わなかったよー!」


 ぴょこんぴょこんと、ポニーテールが跳ねた。

 日の光をたっぷり含んだ瞳は、スノードームみたいにキラキラ輝いていて、彼女が心からの言葉を口にしていることが伝わってくる。


『その推理、自分で考えたってことにしてね』

 

 五百雀さんのセリフが脳裏をよぎった。

 どういう意図があってあんなことを言ったのか僕には分からないけれど……ごめんなさい五百雀さん。

 僕はこの子を騙すなんてこと、できそうにないです。


「いや、実はさっきの推理、ある人の受け売りなんだ」

「ある人……?」

「うん。五百雀さんって言うんだけどね――」


 こうして僕は、五百雀さんのことを説明し、さっきの推理も電話をして教えてもらったことを全て明かした。案の定、最初に凪田が切れた。


「なんだ、誰に電話してたのかと思ったら、噂の美人お姉さんかよ。ちょっとお前のことスゲーと思った俺の感動を返せ。」

「悪かったって。なんでか分かんないけど、口止めされててさ」


 理由は未だに分からない。帰ったら聞いてみようと思う。だけどなんとなく、そんなに深刻な理由じゃない気がしていた。


「というわけで、今朝の推理もどきも、その人のクセが移っちゃっただけなんだ。だからすごいのは僕じゃなくて、五百雀さんなんだよね。今朝伝えられなくて、ごめんね」


 どうせ話すつもりではあったけど、随分情けない形での告白になってしまった。

 がっかりさせてしまったかなと思ったのだけど……僕の予想に反して、芥子菜さんは目をぱちくりとさせた後、破顔した。


「すごい!」

「え?」

「篠原君は、名探偵の弟子なんだね!」

「で、弟子? いや、そういう訳じゃないよ。ただ、たまたま部屋が隣だったってだけで、僕がすごいわけじゃないし……」

「んー? でもさっ。五百雀さん? の謎解きを何回も聞いて、影響を受けて、今日みたいに私のことを助けてくれて。それで自分の力じゃどうしようもないなって思ったら、五百雀さんに助けを求める」


 ふふっと、彼女は上品に笑った。


「それってやっぱり、とっても素敵なことだと、私は思うな」

「……芥子菜さんって、人のこと褒めるの上手いってよく言われない?」

「えー、どうかなー? 悪いとこ見つけるのが下手、とはよく言われるけど」 


 それは一周回って一緒のことなんじゃないだろうか。

 彼女と話していると、なんとなく自分にも良い所がちゃんとあるような気がして、気分が高揚する。きっとこういう子は、たくさんの人に愛されるんだろうなと思った。


「とにかく財布、見つかってよかった。そろそろ行こうか、凪田」

「お前今日絶対つぶすからな」

「なんで⁈」

「美人なお姉さんの隣に住んでるだけじゃなくて、こんなかわいい子にも好かれてるなんてお前はあれか? 前世で人類でも救ったのか?」

「言いがかりもそこまでいくといっそ清々しいな」


 大体お前は五百雀さんの顔を見たことないし、芥子菜さんだって別に僕のことをどうとも思ってないだろう。いや、もちろん五百雀さんは美人なんだけど。

 「見てろ。野活式の洗礼をとくと味わわせてやる」と不穏なセリフを残し、凪田は文芸部の部室から出て行った。一体何されるんだ僕は……。


「し、篠原君」


 凪田の後に続こうとした時、芥子菜さんが控えめな声で僕を引き留めた。


「ん?」

「あの、今日は本当にごめんね。私がスマホの充電しっかりしてたり、財布を出しっぱなしにしてなかったり、鞄の中、もっとちゃんと確認してたら、こんなことにはならなかったのに……」


 なんだ、そんなことか。

 僕は笑って答える。


「いいよ、そんなの。気にしないで。誰だって、何でも完璧にできるわけじゃないんだから」


 何事にも些細なミスはつきものだろう。

 それを咎められるほど僕は立派な人間じゃないし、無事に丸くおさまったのだから良い思う。


「そう、かな……」

「うん」

「え、へへ。ありがと。篠原君は優しいね」

「気が弱いだけだよ」

「そんなことないよ」


 囁くように芥子菜さんは言った。


「出会って間もない私のために、一生懸命考えてくれた。電話で相談したことなんて隠してればいいのに、それも私にちゃんと伝えてくれた。知識をひけらかしたいわけじゃなくて、恩を売ろうとしたわけでも無くて……ただ困ってる私のために行動してくれた。だから篠原君は、真摯で優しくて……とっても素敵な人だって、私は思うよ」

「……」


 言葉に詰まった。僕の行動はそんな風に受け取られていたのか。

 大げさだ、大したことないと言ってしまうのは簡単だったけど。

 彼女のまっすぐな瞳を見ていると、そんな風に一蹴するのは逆に失礼な気がした。


「もしよかったら……また文芸部に遊びに来てくれない? 色々、お話し聞かせて欲しいな。五百雀さんのこととか、し、篠原君の、こととか……」

「いいよ。また連絡するね」


 そう即答したことに、自分でも驚いた。

 まっすぐで褒め上手な彼女の前では、何かを否定するという選択肢を失っているかのようだった。


「ほ、ほんと? やった! すっごく嬉しい! 私も連絡するね!」

「うん、了解。楽しみにしてる」

「引き留めてごめんね? 五百雀さんに、芥子菜がすっごく感謝してましたって、お伝えしてくれると嬉しいです。あ、あと、凪田君にも今度お礼しなくちゃ」

「分かった、伝えておくよ」


 その後、一言二言会話を交わしたのち、僕は文芸部の部室を後にした。

 隣の部屋から、騒がしい声が聞こえる。飲み会が始まっているようだ。


 目を瞑れば、芥子菜さんの実直な綺麗な眼や、心地の良い声音がリフレインする。

 別段キャラが濃い訳でも、強烈な個性を持ち合わせているわけでもなかった。

 だけどなぜか、強く印象に残る、そんな子だった。


「不思議な子だな……」


 ぽつりとつぶやいて、僕は喧騒の中に足を踏み入れた。



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