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読むな!  作者: 玄武 聡一郎
二章:マクガフィンによる悪夢の前奏曲
13/16

どんな謎を解いて欲しいの?


 午後の講義が休講になったので、芥子菜さんは部室へと足を運んだ。

 部室には誰もいなかったので、鍵を開けて部室に入った。

 荷物を置き、何か甘いものを食べたいと思った彼女は、鞄から財布を取り出し、文化部棟から徒歩五分の距離にある購買へと向かった。

 お目当てのお菓子を買い、部室に戻った後は、一か月後にある「青葉祭」に出す部誌の見本誌をぱらぱらとめくっていたらしい。

 その時、財布は炬燵机の上に置いていたそうだ。


「だから、この時までは、財布は手元にあったはずなの」


 部室の中に招かれた僕と凪田は、炬燵机を囲って彼女の話を聞いていた。

 部室は綺麗に整理され、床にはふかふかの絨毯が敷かれていて、古びた外見からは想像がつかないくらい居心地の良い空間だった。

 大きめの本棚が四つに、炬燵机意外にも作業用の机が二つ。

 上には割と新しいノートパソコンが乗っていた。


「財布が消えたのは、その後ってことだね」


 芥子菜さんは小さく頷いた。

 見本誌を眺めてから三十分ほどして、彼女はお手洗いに行くために再び部室の外に出た。

 トイレは文化部棟の一階にある。

 部室には他に誰もいなかったので、芥子菜さんはきっちりと鍵をかけて、一階へと向かった。そして――


「五分くらいして部室に戻ってきたら、炬燵机の上から、財布がなくなってたんだ……」

「なるほど……。ちなみに、芥子菜さんが戻ってきた時、部室の鍵はかかってたの?」

「うん、かかってたよ」


 芥子菜さんの返答を聞き、凪田が机の上の本をぺらぺらとめくりながら言った。


「だったら文芸部の誰かが盗ったんじゃねぇの? この部屋の鍵持ってるの、部員だけだろ?」

「うん……」


 小さな声で答え、芥子菜さんは視線を下げた。

 同じ部活の部員を疑いたくない気持ちと、他に考えられないという冷静な思考がせめぎ合っているのだろう。


 確かに凪田の言う通り、財布を盗った可能性が高いのは同じ文芸部の部員だと、僕も思う。

 鍵は部室ごとに異なっているし、見た目でどの部室の鍵か分かるわけもないから、たまたま文芸部の鍵を拾った誰かの犯行とは考えにくい。

 ただ気になるのは、最近軽音部に入ったという泥棒の話だ。もし同一犯なのだとすれば……。


「ま、この鍵なら針金があればピッキングで簡単に開いちゃうけどなー」

「そうなのか?」


 凪田はこの手の雑学に詳しい。

 犯罪すれすれの内容にまで詳しいのは、聞いていてたまにハラハラさせられるけど。


「ディスクシリンダータイプだろ。一番ピッキングで開けやすいやつ。時間があれば俺でも開けられるよ」

「……やったことあるのか?」

「昔、爺ちゃんに実家の倉庫に閉じ込められた時、ピッキングで脱出したことあるだけだよ。犯罪に使ったことはないね」


 他人の不幸は蜜の味、だけど進んで誰かを不幸にしたいとは思わない、というのもコイツの持論だから、信じても大丈夫だろう。

 僕は続きを促す。


「だったら、この前軽音部に入ったっていう泥棒の可能性もあるのか?」

「いや、多分それはないと思う。開けやすいって言っても、ヘアピンとか使ってガチャガチャやるわけだからな。こんな人が多い時間にやったら絶対怪しまれる。あと――」


 立ち上がり、ドアのカギ穴を指で撫でながら凪田は続けた。


「よっぽどうまいやつじゃないと鍵穴に独特のひっかき傷みたいなのが残るんだけど、それもなさそうなんだよな。だから多分、ピッキングはされてないと思うぜ」


 だとすればやっぱり、財布を盗んだのは文芸部の誰か、ということになる。


「心当たりはある、芥子菜さん? その……こういうことしそうな人、というか……」

「私の知ってる限りはいない、と思う。もちろん、まだお話ししたことのない人とか、名前も曖昧な人とかもいるんだけど……」


 四月に入部していたとしても、まだ入部して三か月弱。

 顔も知らない部員がいたとしても不思議ではない。


 しかし……やっぱり妙だ。

 芥子菜さんの話を聞いて、僕は二つ引っ掛かることがあった。


 一つは犯行時間の短さ。

 芥子菜さんの話では、部室を空けていたのは長くても五分くらいだという。

 その短い間に部室に入り、財布を見つけ、それを盗んで部屋から出たのだとすれば、タイミングも思い切りも、あまりにも良すぎる。


 もう一つは、芥子菜さんの財布()()が盗まれているという事実だ。

 部室には他にも高価な物が沢山ある。机の上にあるノートパソコンは新しい機種だし、棚の中には「お茶代」と書かれた缶々も置いてある。

 さっき開いて中を見てみたが、結構な額が入っていた。金銭目当てなら、こちらにも手をつけていていいはずだ。


 これらを踏まえると、どうにも「()()()()()()()()()()()()()」が目的であったように思えるのだ。

 そう僕が言うと、凪田が答えた。


「芥子菜さんの財布がすげー高価なものだから、とか? ほら、ブランド物とか」

「いや、多分それはない」


 僕もその可能性は考えた。

 だけど、今朝芥子菜さん自身が言っていたように、あの財布は、ぱっと見では高級なものとは分からないように作られている。

 もちろん、僕と同じように普段の芥子菜さんの持ち物を見て、推測することはできるとは思うけれど……短い時間の中で、盗みが見つかる危険を冒してまで欲しい物なのだろうか。


「僕はそれよりも、芥子菜さんへの嫌がらせなのかな、とか思ったんだけど」


 いわゆるイジメというやつだ。

 なぜ芥子菜さんにそんなことをするのか、なぜ盗んだのが財布だけなのか、など疑問は尽きないけれど……。しかし僕の案は、凪田にばっさりと却下された。


「やー、それもないだろうなー。うちの大学、今そういうのには超絶うるさいから」

「どういうこと?」


 僕の問いに、芥子菜さんが神妙な顔で答えた。


「あまり表沙汰にはなってないみたいなんだけど……数年前、ある部の学生がイジメを受けて、その……自殺、しちゃったみたいでね。それ以来、文化部、運動部には頻繁に通告が来るようになったらしいの。イジメを見つけたらすぐに知らせてくださいって」

「月一で部全体の会議みたいなんがあるんだけどさー、そこでも毎回議題に挙がってるらしいぜ。それだけ口酸っぱくして言われてる中で、わざわざ目立つような行為をするやつはいないと思うんだよな」


 僕は部活に入っていないから知らなかったけど、そういう事情があったのか。

 確かにその状況で特定の相手への目だった嫌がらせ行為は、自分自身の首を絞めるし、部への悪影響もある。可能性としては低いかもしれない。


「ん……?」


 手を後ろに置くと、かさりと乾いた音がした。手に当たった物を取り上げると、お菓子の包み紙だった。


「あ、それ私が出したゴミ! ごめん、すぐ捨てるね! おかしいなぁ……机の上にまとめてたはずなんだけど……」


 わたわたと僕の手からゴミを受け取った芥子菜さんのセリフに、僕は少し違和感を覚えた。

 よく見れば、他の場所にもお菓子の包み紙が落ちている。


「結構たくさん食べたんだね」

「あ、あんまり見ないで! おいしくてつい食べちゃったんだよー……」

「包み紙は、炬燵机の上に置いてたの?」

「うん、後でまとめて捨てようと思って。トイレ行くときに落としちゃったのかなぁ」


 包み紙なんて軽いから、扉を開けた時の風や、横を歩いただけでも落ちてしまうかもしれない。

 だけど……。


「ねぇ、芥子菜さん。トイレに行く前と後で、部室で変わってた部分って他に何かなかった? 財布がなくなってたり、お菓子の包み紙が落ちていた以外で」

「え? う、うーん……どうだろう」


 眉間にしわを寄せて、机の周りに視線を向けたり、目を瞑ったりした後、芥子菜さんは「あっ!」と声を上げた。


「見本誌が一冊ないかも」

「見本誌って、青葉祭に出すって言ってた部誌の?」

「そうそう、私が読んでたやつ。確か五冊あったはずなんだけど、今四冊しかない……気がするかも?」

「なるほど……」


 正確な情報がないのは仕方がない。普段から身近な物の数や場所を完全に把握している人間なんているはずがない。

 だけど、トイレに行く前後で、財布がなくなった以外にも、お菓子の包み紙が落ちていたり、部誌が一冊消えていたりと、変わった点がいくつかあるようだ。

 誰かが入室していたことは、ほぼ間違いないだろう。 


 これらを踏まえると、どんな仮説が立てられるだろうか。

 一番可能性が高いのは、同じ文芸部の部員による窃盗だ。

 この場合、部長か誰かに相談して、部全体に連絡を回してもらうのが良いのだろう。見つかるかどうかは分からないが……現状、犯人を特定できる情報はない。


 だけど、いくつか不可解な点もある。

 犯行時間の短さ、芥子菜さんの財布だけを狙った犯行。僕はそれを、芥子菜さん個人に対する嫌がらせ、と仮定していたわけだけれど……どうもそれも可能性は低そうだ。


「……やっぱり、うまくいかないな」


 芥子菜さんを助けたくて、あの人のまねごとをしてみたけれど、僕ではこれが限界か。

 だけど……これで必要な情報は揃ったんじゃないかな。

 立ち上がり、扉の方に歩を向ける。


「おい、どこ行くんだよ?」

「ごめん、十分……いや、五分だけ待っててくれない? ちょっと電話してくる」


 凪田が何か言う前に部室の扉を開け、廊下に出てスマートフォンを操作する。

 お目当ての番号は、すぐに見つかった。最近登録したばかりの番号をタップし、耳に当てる。

 数コールでコール音が途切れ、聞き慣れた声が鼓膜に届いた。


「やっほー篠原君。どしたの? そろそろ飲み会が始まってる頃じゃないの? ……あ、もしかして慣れない飲み会で寂しくなって、私の声が聞きたくなっちゃったとか? やだー、篠原君のえっちー」

「開幕早々怒涛どとうの勢いで変な濡れ衣着せないでください。あと、それと僕がえっちであるかどうかは全く関係ない話だと思います」

「分かってるよー、冗談じゃん、じょーだん。それで――」


 いつもの調子でへらっと笑うと、五百雀さんは同じ調子で、まるで夕飯の献立を聞くみたいに、僕に問いかけた。


「――どんな謎を解いて欲しいの?」


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