エピソード:1
帝歴4999年。 その日、世界は「音」を失った。
永きに渡るレガリア帝国とフロンティア連合の争い・・・特に戦争において、戦場の主役は常に「騎甲殻」と呼ばれる人型機動兵器だった。鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合い、パイロットの神経を削り合う、それが戦争の作法であったはずだった。
だが、レガリア帝国が中立国アマガハラへと放った一撃は、その稚拙な遊戯の歴史を、一瞬にして過去のものへと追いやった。
戦略核兵器。 起源暦に封印されたはずの、物理的な破壊の極致。
アマガハラ中央島の上空、高度五百メートルで炸裂したそれは、太陽の数百倍の輝きを持って降臨した。爆心地から数キロメートル圏内の全ての建造物は、衝撃波が届くより早く、高熱の光によって蒸発した。逃げ惑う人々は、悲鳴を上げる暇すら与えられず、その場に影だけを焼き付けて炭化し、次の瞬間に襲来した超音速の爆風によって、存在そのものを塵へと分解された。
かつて「地上の楽園」と謳われた都市は、わずか数秒で巨大な火葬場と化した。大気は数千度の熱風となり、肺を満たした瞬間に内臓を焼き、アスファルトは粘土のように溶け出した。
空を覆うのは、灰と煤が混じり合った不気味な黒い雲。その下では、崩壊したビル群が墓標のように並び、地獄の業火が生き残ったわずかな者たちの呻き声を飲み込んでいった。
これが、終わりなき戦争が行き着いた、一つの到達点。 救いなどどこにもない、絶対的な終焉の光景だった。
地上から深く、深く遮断された地下研究施設「第零実験場」。 分厚い岩盤と防壁によって、地上の熱波からは守られていたが、核の衝撃までは相殺しきれなかった。
施設を支える強固なフレームはひしゃげ、天井からは火花が散っている。補助電源の赤い警告灯が明滅する中、静寂を破ったのは、鋭い破壊音だった。
「…………」
施設中央に設置された「初號機専用培養カプセル」が、激しい振動に耐えかねて亀裂を走らせ、ついに爆発するように砕け散った。内部を満たしていた淡い緑色の培養液が、硝子の破片と共に床へぶちまけられる。
ドサリ、と重い音が響いた。 液体の中にいた「検体」が、床に叩きつけられた音だ。
それは、一人の少年だった。 年齢にして十六、七歳相当。短く切りそろえられた黒髪が、床に広がる液体に浸っている。彼は身に纏った薄い実験服を濡らし、人形のように動かない。核の衝撃による損傷か、あるいは不完全な目覚めによる拒絶反応か。
だが、意識を失ったままの少年の脳内に、直接語りかける振動があった。
『……起きて。アカツキ』
少年の指が、床に散った硝子の破片をなぞるように、ピクリと動く。
『目覚めて……生きるために』
その声は、電子的な冷徹さと、人間的な慈愛が複雑に混ざり合った、不思議な響きを持っていた。少年の身体が、意思に反して強制的に再起動させられるように、小刻みに震え始める。
少年――アカツキは、ゆっくりと目を開けた。 瞳に光はない。ただのレンズのように、無機質な黒が、破壊された施設を映し出している。彼は痛覚を感じているはずだったが、その表情には眉一つ動かすような変化はなかった。震える腕で床を押し、上体を起こす。
視線の先。 空間が歪み、ノイズを伴って一人の少女の姿が投影された。
膝まで届くような長い後ろ髪。黒いコートに、汚れ一つない白いワイシャツ。紺色の長ズボン。荒廃したこの場にはあまりにも不釣り合いな、凛とした佇まいの少女だ。彼女はアカツキと同じ、感情の起伏を感じさせない無表情を保っていたが、その瞳の奥には、確かな熱量を含んだ光が宿っている。
「私はアキハ。アカツキ……あなたの目覚めを、ずっと待っていた」
アキハ、と呼ばれた少女の声に、アカツキは視線を固定した。 彼は口内に残る苦い培養液を吐き出すこともせず、ただ、プログラムを確認する機械のような声で答えた。
「アキハ……。個体識別名称か」
アカツキの声には、生気がない。
「……俺は、何も知らない。戦う事しか教えられていない・・・。だから、どこに行けばいいか、わからない」
アカツキは自らの手を眺めた。 それは人を殺すために設計された、精密な「部品」のように彼には感じられた。
アキハは、アカツキの前に歩み寄るように一歩踏み出した。投影映像である彼女の足は、床を濡らす培養液に波紋を作らない。
「私が教えてあげる。あなたの道……戦うだけじゃない、最初の一歩を。あなたは単なる破壊者として産み落とされたのではない。この呪われた円舞曲を止めるための、唯一の希望としてここにいるの」
アキハは、優しく、しかし抗いようのない力強さを持って、アカツキに手を差し伸べた。
「行きましょう、アカツキ。あなたの『半身』が、深い眠りの中であなたを呼んでいる。共にこの灰の地を離れ、世界に引導を渡すために」
アカツキはその手を見つめた。 そこに温もりがないことは、視覚情報だけで理解できた。だが、彼の空白の思考領域に、アキハという名の存在が、消えない存在として刻み込まれた。
「…わかった」
アカツキは、表情一つ変えぬまま、アキハの虚像の手を掴もうとするかのように、自らの手を重ねた。
地上のアマガハラは死に絶えた。
だが、その骸の中から、世界を終わらせるための「黒い少年」が、ついにその足で歩み始めた。




