第272話 人外の刻印
「ええい、忌々しい侵入者! ダルフ・ロードシャインめっ!」
子どもの様に泣いて喚く男にいい加減始末を付けようとした信者を、フゥドの声が止めていた。
「待て、そいつは不死だ、俺が相手をする。お前達はその隙にユダを殺せ」
ピタリと止まった剣先の代わりに、石の様に硬い膝がダルフの顔面を蹴り上げていった。
フゥドは棒付き飴をコロコロと転がしながら仰向けになったダルフの元へと辿り着くと、その腫れ上がった顔を見下ろしながらしゃがみ込んだ。
「お前よりも、あのガキの方がよっぽど利口らしいぜ?」
再びに取り囲まれていったラァムを横目に、ダルフは胸ぐらを掴まれて引き起こされていった。
丸いレンズを冷徹に輝かせたまま、フゥドは口元を動かして飴を転がす。
「Holy shitだぜ……」
黒きレザーに包まれた拳が振り被り、甲に刻印された聖十字が白く発光していく。その力強い姿を見上げたダルフの脳が、彼の姿に鴉紋を重ねていく――
「ッやめろ……やめてくれぇええっ!!」
「お前の様な臆病者は楽園から立ち去れ……」
「ひ……ッ」
「――こぉおのクソがァァァ!!」
眩い光を凝縮した鉛の拳が、打ち込んでいった線上に白き閃光を残す。
とてつもない衝撃で胸を貫かれていたダルフは、無様に何回転も転がって仰向けに倒れ込んだ。
「……こ…………ぁ……」
胸の中心をくり抜かれたダルフは、呆然としたまま空を、視界の端で暴れ始めたラァムの姿を見つめた。
「やめて! ダルフをもう痛め付けないで!!」
「黙れユダめ!」
「キャッ!!」
容赦も無く殴り付けられた少女は、ジワリと瞳に涙を溜める。
「……っ!」
しかしラァムは泣かなかった。そして腫れ上がった頬を高潮させていく。
「ダルフを虐めないで! 私は死ぬから、大人しく死ぬからお願い!!」
そのまま力づくで抑えつけられていった少女の願いは、フゥドには聞き入れられなかった。
ラァムの感情に応じて湧き出した魔物は、十字の剣によって瞬く間に断罪されていく。
「まだ死なねぇよなぁ……不死」
舌を覗かせたフゥドが、ダルフの頭を掴んで引き起こしていった。そして片方の口角を上げて棒付き飴を舐る。
「Happyかい、Shit?」
「ぁ……ぅ…………ぁ」
胸を突き破られたダルフは、肺を破られて喘ぐ事しか出来ないでいた。
ダルフを責める目に余る仕打ちに、リオンとピーターは目の色を変え始める。
「ダルフくん!」
「お前、それ以上ダルフをいたぶるつもりか!」
しかし信者の剣の切っ先が、二人の喉元へと突き付けられた。
煙草の様な仕草で棒付き飴を口から取り出したフゥドは、垂れた血液にずぶ濡れになった男へと囁く。
「可哀想になぁ……見てみろよ、お前のせいで苦しんでるんだぜ?」
「……っ」
ダルフの名を呼び続けながら、尚も暴れようとするラァムの体は踏み付けられ、後頭部を殴り付けられていた。
「このまま殴り殺しちまってもいいんだ!」
「小せえ頭を潰しちまえ! 容赦をするな、こいつはユダだ!」
「ひぅ……ぁダル……フ……っ」
その蛮行が繰り返される度に、少女の頭は揺れて喘ぐ。小さな体が痛みに跳ね上がる度、切れた皮膚から血が噴き出していった。
「……ぅ! ……っ」
「お前が黙ってれば、こんな怖い思いをする事もなかったのによ」
「ぅう……!」
「死ぬべき者に希望を持たせ、輝いた瞳を汚泥の中でもがき苦しませるのがお前の趣味か……Shit?」
「ふ……ぅうぁ……!」
そこまで語ると、フゥドは引き揚げていたダルフの耳へと手を伸ばし――
「あぎ……ッ――ァァ!!」
「聞いてんのか?」
――左耳を削ぎ落とした。
ラァムは泡を吹いてもがくダルフを認めると、絶叫して自らに絡み付いた腕に噛み付いた。
「いでぇッ!!」
「また逃げるつもりかこのガキ!」
「ダルフをもうイジメないで……っ!!」
拘束を抜けて駆け出そうとするラァム。
しかしダルフは失血で薄らいでいく景色の最中に、追い回された挙げ句、強引に衣服を掴んで引き摺り落とされていったラァムの姿を見ていた。
「イヤぁッ!!」
ラァムの纏っていたボロ布が引き千切れ、少女の肌が露わになる。すると彼女はうずくまり、僅かに残った布をかき寄せながら、その背を隠そうとした。
「いや、い、イヤ! ……見ないで!!」
何やらひどく動揺して頭を抱え込んだラァムは、それを眺めた人間の視線や嘲笑から逃れる様に、目を瞑って怯え始めた。
「わっハハハ、なんてザマなのだ!」
それを認めた人間達の口元は好奇に歪み、そして愉悦のままに笑い始めた。
少女の背に刻まれていた、数え切れない程の痛々しい傷跡を指差して――
「なんだその背中の傷跡は! 夥しい位の切り傷だ!」
「う……っ」
「ギヤハハハハ! 農園から逃げ出すからだ! 死ねと言っているのに、一人逃げ出すからこうなったのだ!」
「ぅぅう」
「醜い傷だ、もう一生消えはしまい! それは貴様が犯した罪の刻印だ!」
激しい羞恥心に苛まれた少女は赤面していく。
その背に深く刻まれた傷は、ラァムが人間達から受けた仕打ちの痕跡。あまりにも惨く容赦の無い罰の印。人外の刻印。
「あああ……うわぁあ、うわぁぁぁあ……!」
必死に堪えていた少女の涙が、堰を切って溢れ出していた。人々の罵りから逃げる様に、耳に手を当てて小さくなっていく。
「ああああああ……っあああああぁ!!」
それだけは誰にも見られたくは無かった。誰にも知られたくは無かった。僅かに残されていた尊厳さえもが、彼女にはまるで無いかの様に嘲笑されていく。
「わぁァァァァァァんっ……あああああぁ!!」
ここまで強く振る舞っていた少女も、自らの恥部をひけらかされる仕打ちには、耐えられはしなかった。
目を真っ赤にして、ラァムは何時までも泣き続けた。
「見ろよダルフ。泣いてるぜ? お前のせいだ」
フゥドに締め上げられていく首に、ダルフの顔が真っ赤に染まっていく。
醜い人間達の声に巻かれていく中で、ピーターは一人苛烈な視線へと変貌していった。先程までのやるせなく、弱々しい表情はみるみると消え失せていって、今や震える程に奥歯を噛み締めている。
「小娘……ごめん」
「……?」
「私、間違っていたかも……!」
次第に過激になっていく語気を横目に、リオンもまた人間への憎悪に顔を曇らせていった――
冷たい鼻眼鏡越しの視線が、淡々とダルフを締め上げていく。
聞くに堪えない下卑の渦の中で、力無く垂れていたダルフの手が震え、その口元がパクパクと動き始めた。
「…………ぅ、な」
「何か言いたいのか? 残念、肺が破れてるんだろ、分かんねぇよ」
「……うな……」
「あ?」
「ら、うな……」
「――!」
破れていた筈の肺で言葉を紡ぎ始めたダルフの腕が、フゥドの前腕を溢れんばかりの力で捻じり上げた。
「笑うな――ッッッ!!」
真っ赤に充血した金色の眼が、確かな眼光を灯して、目前の男に差し向けられていた――!
「なぁ――っ!?」
ギョッとしたフゥドは咄嗟に飛び退くと、万力で締め上げられたが如く、自らの前腕に付いた赤い手形に目を疑った。
一度腕を振るった彼は棒付き飴を噛み砕くと、不敵な笑みを茹だる気温に残す。
「病み上がりか? 弱々しいなぁ」
と不敵に言いつつも、フゥドはズレた鼻眼鏡を直しながら、目前の男が立ち上らせた気迫に背すじを緊張させていった。
「胸の傷は? 腹にも風穴を開けた筈だぜ? 耳は? よく聴こえてんのか?」
やせ衰えた体を前屈みにして、獣の様に唸った激憤の男を前に、フゥドは勝ち気な向こう面を見せる。
「不死……自らの中で消費する老いを加速させ、再生を早めた?」
金色の髪に差した白髪の束を認めながら、フゥドは聖十字の輝く両腕を十字にクロスしていった。そしてヘルヴィムそっくりの笑みをそこに刻み込む。
「いいぜ、今すぐここでジジィにしてやるよぉ……Holy fucking shit!」




