第260話 血の記憶ブラッドホーリークロス
「か……!」
ルルードの直ぐ頭上に吊り下がった格好の神罰代行人。前開きになったスータンの左の心臓部分には、渾身の一針が突き立っている。
「憐れ、ロードシャイン。ヘルヴィム・ロードシャインよ」
ヘルヴィムの鼻眼鏡越しの苛烈な眼光は消え失せ、ただ一点の鋭利が肉厚な胸筋を貫いていた。
瞳を閉じたルルードは、妹を思い囁く。
「こうして殺るものだ……お前の様に力任せに脳髄をぶち撒けるのでは無くな」
復讐を果たした男が、貫かれた腹を抑えて一歩後退したその時――
――ヘルヴィムの首元で千切れた何かが、音を立てて老騎士の足元に投げ出された。
「――――!!」
それを見下ろしたルルードの驚愕はとても計り知れないものであった。彼程に品格を保った男が今や口元をだらし無く開いたまま、わなわなと肩を震わせるだけになってしまっている。
――揺れる瞳は、心臓に針を突き立てている男にそろそろと向かい始める。
「――何故それをお前が持っている……!」
「……」
「妹をクズ同然に殺したお前の様な男が! 何故!!」
額から滝の様な汗を流した老人は、ブレる視線を必死に抑え込みながら、つま先に転がった銀のロケットを拾い上げた。
「持っている筈が無い。お前が……貴様の様な男が……!!」
見覚えのある緻密な銀細工のロケットペンダント。それはルルードが愛しき妹に贈った筈の婚約祝いの贈答品。
針の一点で貫かれたそれは、開閉部が馬鹿になってアッサリとその内部を晒した。
「……っ!」
心臓でも止まった様に息を吸い込んだままになったルルード。彼が手元に開いたロケットから、番いとなった二つの指輪が姿を表す。
「――!!」
それはヘルヴィムがあの日から肌見放さず持ち歩き続けた、ルミナとの愛の証――
彼がルミナを愛し続けている証明――
「あり……得ない……何故、何故……」
放心したルルードが、頭上に糸を引き千切る音を認識して顔を上げる。
「返せよジジィ……」
「ヘル……ヴィム……」
そのロケットの守護の元、銀の一針を心臓まで刺し込まれる事の無かった男が、レンズ越しに瞳を滾らせ始めていた。
「ぅぅぅ……ぅウウウォア……ッ!!」
体に纏わり付いた魔糸を力強く引き裂き、ヘルヴィムは地に降り立つ。そして迫真の形相へと蘇ってルルードの前に立った。
「…………っ!」
「……あの日、お前達の身に何が起こったと言うのだ」
ヘルヴィムの全身から溢れる血を浴びた、巨大な銀の聖十字がルルードの絶句した表情を反射している。
「ぅぅウウ……!!」
「……未だ、語らぬか」
――獣の様に唸り、捻れた髪を空に逆立てる。
「フゥウウウ……!!」
禍々しいまでの男は長く荒い息を吐きながら、発光する銀の聖十字を腰の辺りに構えていった。
「本気でいくぞルルードぉぉ……」
「――くっ」
ヘルヴィムの発し始めたその覇気に、ルルードは思わず後退っていた。
「ケェェエエエエエィァ゛――ッッ!!」
「……っ、『空間収納』――!」
足元の白き空間より中空に投げ出されたヘルヴィムを、無数の針が襲う。
「『奔放なる針達』!!」
「――ぐ」
幾らか針を被弾しながらも、その殆どを大槌で弾き落としたヘルヴィム。そのまま着地すると、間髪も入れずに頭上からのシャンデリアが彼を押し潰していった。
「『奔放なる針達』!」
凄まじい物音を立てて壊滅していくロビー。積み上がった瓦礫に追い打ちを掛ける様に、ルルードの針が四方から降り注いでいく。
「――ぅ!」
――しかしルルードは肝を冷やす。
瓦礫の合間からこちらを睨め付ける――紫の発光に気付いて。
「――ヘェァアアァア――ッッ!!」
「なん――……っ!」
その豪腕で振り抜かれた大槌が、山となったシャンデリアの残骸を一撃で壁に叩き付けた。
キラキラと舞い光る金の装飾品の下で、ルルードは苛烈に踏み出して来る代行人を認める。
「舐めるな代行人……! 『魔糸傀儡』」
降り注いだ針に繫がった魔糸が、真っ直ぐに歩んで来る男を雁字搦めにしていく。
「ふぅうおアアァァ!!」
しかし憤激した男の前のめりになった足は止まらない。一本一本がワイヤーの様な強度である筈の糸を、ただ無理矢理に歩む事だけで引き裂いていく。
「フ……フフ、まるで逆巻く烈火の様だな」
思わず呟いたルルードは、困惑した面相のまま無理に笑っていた。
「……?」
ルルードは豪快に迫り来る目前の男が、何やら懐から灰色の布切れを取り出し始めたのに気付く。
そうこうしている間に彼は、魔糸による拘束を物ともせぬままに、その布を発光する聖十字へと巻き付けていった。
「それは……?」
あえて普段の会話の様な調子でルルードが語り掛けると、ヘルヴィムが答えるよりも先に、布に包まれた聖十字が血の様な真紅に変貌していった。
そこから溢れ出した超絶的な力に気付いたルルードは、目を見張りながらも平静を装う事しか出来なかった。
「聖骸布……主の亡骸を包んだ布だ」
「ほう……してその慈愛の布が、何故そんな攻撃的な力を?」
真紅の十字架を握り込んだヘルヴィムは、血反吐と共に不敬に吐き捨てる。
「知らねぇよ神だからだろ……!」
丸いレンズの煌めいた男に向けて、ルルードは背後の空間からまた針を束ね始めた。
「くく……そうか」
シワを刻み込んだルルードは、今度は柔和に笑っていた。
――そしてこう告げていく。
「『復讐の一針』」
捻れ上がった数多の針の結晶体が、ヘルヴィムへと指し向いて輝く。
そして躊躇無くそれは――
「受けてみせろヘルヴィム――」
――解き放たれた。
「…………ッ」
迫り来る銀の流動体を前に、ヘルヴィムは紅き聖十字を頭上に掲げていく。正面から迫る風巻が周囲の景観を消し飛ばしていく――
「それを本当に受けるつもりかヘルヴィム?」
「……」
「お前といえど消し飛ぶぞ。無理をせずに回避に徹しろ」
「黙れ」
「……もっともそれを避けようと、私の空間収納によって『復讐の一針』は、また背後からお前に迫り来るだけだがな」
「……だァあまれぇええええ!!!」
嘲笑混じりの旧敵の声も聞かず、ヘルヴィムは頭上に掲げた聖十字架を主張し続けた。
「ホォオオオザンナァァァァアアアアアアアアアアアアア――ッッ!!!」
――そして迫る鋭利の集合体を前に、彼は全力全開で力み――紫眼を見開いた!!
「血の聖十字――ッッ!!」
ただ真っ直ぐに振り下ろされていった真っ赤な聖十字。それに対するは無数の長針の結晶体。
だがそんな意地のぶつかり合いの結果は明白であり、それを理解していたルルードは微かに頭を振っていた。
何故ならばルルードの復讐の一針は、対象に応じてその形状を変える事が出来る能力。
――すなわち、その柔は剛では絶対に討ち滅ぼせず、敵の矛に合わせた形状へと変化して敵を貫通していく。いわば柔軟な矛を叶えた奇跡の結論。
「惜しかったなヘルヴィム」
そして真っ赤な聖十字が、ルルードの復讐の一塊の尖端と接触する。
――ルルードの前には、ただなるべくして訪れる結果が返って来る……筈であった。




