第259話 復讐の一針
ルルードの怨嗟を聞いたヘルヴィムは以外にも冷めた目付きになって、打ち込まれる長針にも身悶えしなくなっていった。
「昨日の事の様に思い出す……お前にゴミか何かの様に殺され、そして無残に捨てられた。我が最愛の妹――ルミナの事を」
絶えず刺し込まれていく針に体をビクつかせながら、ヘルヴィムは中空に縛り上げられた姿のまま、復讐の鬼と化した男を見つめる。
「ルミナ……」
そうヘルヴィムが呟き落とすと、ルルードはおどける様に肩を上げた。しかしその顔は決して笑ってなどおらず、冷淡かつ刺すような気迫が漂っている。
「なんだ、愛しかった筈の妻の名も忘れたのか下郎?」
「……」
「ならば年寄らしく昔話でもしようか……今より二十三年前の、あの忌まわしき惨劇の日を」
何を思うか静まり返った神罰代行人は、猛禽類の様に細く、そして恐ろしい眼で虚空を眺め始めた。
そして彼等はあの日へ立ち返る――
「大粒の雪が降り落ち、凍て付く寒波が都を襲ったあの日の夜、胸にまで迫る積雪の中で、ロードシャイン邸に謎の火柱が上がった」
「……」
魔糸に絡み上げられた体を中空に投げ出したまま、血が噴き出す程に代行人の四肢が締め上げられていく。
「何の因果かあれは丁度、お前がルミナと婚約の契りを交わした二度目の記念日だったな。ほんの数日前に息子も産まれ、正に幸せの絶頂期になる筈だった」
切り裂きの老騎士は嘆くでも無く、悔やむでも無く、ただそこに毒沼の如く禍々しきを内包して語り続ける。
「私が騎士を引き連れて辿り着いた頃には……もう遅かった」
「……」
「邸宅が炎に包まれる惨劇の中、お前はただ呆然と雪の中に立ち尽くしていた。その胸で泣き声を上げる、生後間も無い息子を抱いて……」
「……」
「それだけであれば、不幸な事故に見舞われたと思う事も出来た。例え最愛の妹を失っても、お前の様な男にもどうにもならん事象もあるのだと、ただ悲観に暮れる事も出来た……せめてそうであったらばと今は思う」
そこまで言うと、ルルードは黒い黒い眼を吊り上げて背後一面に白の空間を表した。そしてみるみるとそこから溢れ出し始めた長針。反射する銀は一つの結晶体となって捻れ合い、より鋭利となって集っていく。
「私は部下が止めるのも聞かず、炎に巻かれながら妹を捜した」
「……」
「……そして見付けた、見付けてしまった……一人その姿を目撃してしまったのだ!」
「……」
「寝室に横たわった彼女はまるで……まるで……ッ」
言い淀んだルルードは、その時に焼き付いた映像を一枚の絵画の様に克明に思い起こしていた。
――くるみでも叩き割ったかの様に頭蓋を割られ、そこにあった重大な臓器を撒き散らしていた妹の亡骸を。
「彼女の頭を叩き割ったまま、逆さに突き立てられた聖十字の大槌は、まるで墓標の様だった」
未だヘルヴィムがその手に握る巨大な銀の聖十字、妹の頭を残虐に押し潰した、紛れも無い現物をルルードは睨んでいく。
「何があったのか、何が起こったのかどうしてそうなったのか!! ……お前は茫然自失としながら、頑なに語ろうとしなかったな」
連なり一つの巨大な杭となった鋭利の尖端が、ヘルヴィムの胸へと狙いを定め始める。
「やがてお前は審問に掛けられた。……しかしその判決は思いも寄らず、第三者による犯行と結論付けられた」
「……」
尚も語らないヘルヴィム。口を閉ざした彼の姿はまるであの日見たままで、憎らしい象徴としての聖十字が煌めいていた。
そしてルルードは空気を震わせる程の怒号を放つ――
「ふざけるな……第三者とは誰だ……! そいつは神かッ!」
ルルードの長針が聖十字を握り込んだヘルヴィムの掌を貫くが、彼は決してその象徴を地に落とす事は無かった。
「私は見たのだ。聖十字架の鉄槌を扱えるのが代行人の他に誰が居る?」
「……」
「私は苛烈に訴えたが……判決は変わらなかった」
ヘルヴィムが見下ろすは、眼下でメキメキと音を立てて形成された極大の長針の結晶体――無慈悲なる一針。
「『復讐の一針』」
捻れゆく針の流動体が、吊り上がったヘルヴィムの心の臓腑を狙い澄ます。
「あの日、何も語らずに無抵抗に私に切り刻まれ続けたお前を……いっそ殺してしまえば良かった」
審問の後、雪原で繰り広げたヘルヴィムとの決闘を、ルルードは涙ながらに悔恨する。
「ルミナの遺した、ただ一つの命。その幼子から最後の肉親であるお前を奪い去る事が……私には出来なかった」
「フゥウウ……! ぅううう゛ッ」
「いつかこのヘドロのヌメリ気も落ちると、茫漠と過ぎ去っていく時が薄めてくれると、そう思った……」
「クァァァァあ――――ッッ!!」
「しかしこの思いは消えなかった。あの決断は間違いだった。長年の月日は、この憎悪を余計に焚き付けて燃え上がらせるだけだった!」
「ゥウウアアアアア゛――ッ!!」
「愛すべき我が妹をゴミの様に殺したッお前へのこの復讐の念はッ!!」
激しく叫び、肉に食い込んでいく魔糸を無理に引き千切ろうと、ヘルヴィムは全身に血管を浮き上がらせながら力む。
ルルードは瞬きする事も忘れ、中空で悶える憎き怨敵を凝視した。
――そして背後の巨大な一針を射出する構えとなって、胸のハンカチーフを空に投げる。
「良かったなヘルヴィム。まるで十字架に張り付けにされた主の様だぞ?」
――風を切る突風。そして銀の杭がヘルヴィムへと迫る。
「ぉぉおおあぁアアアアア――ッ!!!」
慟哭とも聞こえる雄叫びと共に、神罰代行人の聖十字が発光する。そして彼の紫の眼光が拡散し始めた――!
「フゥアアガアアァァァラァァア――ッ!!」
「――何! あそこまで深く絡み付いた魔糸を……!」
喰い縛って赤面した顔から血を噴き上げながら、ヘルヴィムは肉が千切れるのも構わずに全身の拘束を振り解いていた。
末恐ろしい神罰代行人の底力。恐々としたルルードの視界には、絶体絶命の危機を頭上にやり過ごし、落下してくるヘルヴィムの憤激の相。
「『狂怒神罰』――ッ!!!」
「――!」
聖十字が空に輝き、ルルードの頭上に振り下ろされて来る。
窮地に陥ったルルードは愕然として彼を見上げ、
――脅威落ちてくる最中で口角を上げた。
「流石は13番目の神罰代行人。ロードシャインの末裔だ」
「――カ??!」
躊躇いも無く振り下ろされていた聖十字がルルードの額スレスレで止まる。そして中空で静止してしまった自らの体に、ヘルヴィムは一瞬目を白黒とさせて動揺を見せた。
――そしてコツコツと鳴る、ルルードの歩みが聞こえて来る。
「破れる筈の無い拘束、果たせる筈の無い難敵、打ち破れる筈の無い困難。それらを越えて奇跡を起こすのが――ロードシャインだ」
「ぁ…………っ」
混じり合う程に肉薄した距離で、ルルードの冷酷な視線がヘルヴィムを下から覗く。
「信じていたよ、ヘルヴィム」
「こ……この老いぼれぇぇええ――!!」
ルルードが構えていた第二の罠。越えられる筈の無い力の先に、彼はあえて魔糸傀儡による網を展開していた。
「――キィィエエエアアア゛ッ!!」
覚醒を果たした代行人は、その剛力で絡まった魔糸をブチブチと引き千切っていく。先程よりも緩い拘束はもう数秒とせずに破られて、頭上で静止した大槌は再びに動き出して老獪の頭を潰すであろう。
だが――
「先に辺獄で待っていろ」
「――!!」
「なに、老い先短い私もすぐに逝く」
――ただ一瞬、動きの止まるそのコンマ数秒と、懐から取り出した針の一本さえあれば、彼には十分だった。
――投げ放たれた一本の長針。
それはまるでスローモーションの様にゆっくりと、そして正確無比に――
「――ぁ……う……!?」
ヘルヴィムの心臓に真っ直ぐ刺し込まれた。




