第235話 主に寵愛を受けた少女
第三十ニ章 13番目の神罰代行人
鴉紋が内なる人格との融合を果たした時、王都ティファレトの古城、高き尖塔の上では、六枚の翼を躍動させた天使が空を眺めていた。
ミハイルは闇夜の空――ゲブラーの方角を眺めながら、絹の様に滑らかな金髪を涼風にそよがせて、浮かない表情を露わにし始める。
「私の眼を越えた先に行くか、鴉紋」
混じりけの無いイエローの瞳は、穏やかなこの空の先で巻き起こっている惨事を感じていた。
「残るセフィラはあと二つか……」
彼の先見の眼はその時点で既に、ギルリート・ヴァルフレアの結末を見抜いているらしい。
「また蛇に乱される」
そして肩を落として顔に手をやると、今度はてんで別の方角へと見当を付けて視線を投げ始める。
「……」
黙したミハイルは、九つあった都が今や二つにまで減少してしまった事実に、人類の危機を感じずにいられなかった。
そして風が感じ取った遠方からの邪悪に、ほとほと呆れ返ってしまった。
「常世で天輪を開くか……ルールもヘッタクレも、やはり君には無いようだ」
永く泰平を保っていた世界の秩序が崩壊を始めている。これより、ロチアートや魔物の動きも遥かに激化するのであろう。永き抑圧から解き放たれた生命が、人類へと報復を果たす為に。
「私一人の手には余るな」
むせ返る様な悪意と、脂っぽい血の臭気がミハイルの鼻腔を突いていく。そこから感じられる巨悪の気配に、来たる最終戦争の日の陰惨を予感せざるを得なかった。
「最期の剣よ……」
かつて彼自身がそう称したダルフ・ロードシャインを思い、ミハイルは瞳を閉じる。
心の壊れてしまったダルフの現状も、そしてこれから巻き起こる彼への過酷な試練も承知済みのミハイルは、主に祈る様にして天空を見上げ、瞳を見開いた。
――そこに開いた白き天輪から、都の全土を照らす白光が闇夜を押し返す。
「どうか間に合ってくれ十のセフィラ。人類の希望よ」
その時ミハイルは、銀製の鞘をカツンと地に下ろした物音に気付く。
「そう心配されるなミハイル様よ」
亜麻色の長髪を風に流した若い女が一人、西のテラスに立ってミハイルに微笑みを向けている。
「人類は負けんよ。私が負けさせん。その為なら何度だって奇跡を起こそう」
明らかに異様な雰囲気を纏い上げる、天輪からの光にスポットライトをあてられた少女は、物怖じもせず、年寄りじみた口調をミハイルに披露した。
「起こしてしまったかい? ジャンヌ」
ミハイルは、若干18歳にして全ての騎士の頭領――“グランドマスター”の座に着いている、異様な経歴の少女に視線を向けていった。
「主の寵愛を受け、その力を手中に収めた奇跡の少女よ」
テラスへと舞い降りたミハイルが少女の前に立つと、ジャンヌは空より落ちて来た羽をそっと掌に握り込み――その手を開く。
するとその一枚の羽は、風が凪いでいるのにも関わらず、天高く何処までも舞い上がって消えていってしまった。
「声が聴こえます。主の声が。いかなる困難が待ち受けようと、人類は必ず勝利を収めると」
「それは心強い」
ジャンヌは輝きを帯びている自らの白い肌を撫でると、ミハイルの頬にそっと触れる。
「いひひ」
そして今度は、幼い少女の様な笑みで八重歯を見せた。
ミハイルはそんな少女を無表情に見下ろすと、取ってつけたような微笑みを返した。
「そうだね。君もヘルヴィムも、メロニアスだって居る。かつての様に私はルシルを奈落へ堕とすだろう。この世界の為に」
「貴方の創りし世界。招かれざる客にはご退席を。さすればここは、誰もが焦がれる生命の理想郷なのだから」
ジャンヌが鞘から抜いた剣を空に向けると、天上の光が凝縮して眩い刀身を作り上げた。
燦々と照る眩い光の結晶体は、清く神聖な神の意志の様だ。




