第160話 氷獄
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赤き天の下に魔女は一人佇む。
澄ました顔をしているが、背にくらった傷が思いの他深い。そして残された魔力にも底が見え始めていた。
自らのダメージを鑑みた結果、この拮抗状態が続けば不利なのはリオンの方である。それを察した彼女は、早々に敵の首を取りにかかる。
「魔眼ドグラマ右の目『傀儡』」
「勘弁して欲しいものです。また別の魔眼ですか?」
得体の知れないリオンの右の目に、フロンス達が身構える。
「全てを無に変える両目に、魔力を打ち消す左目……残された最後の力は一体何だと言うんです!」
苛ついたフロンスを他所に、リオンは手元に氷の槍を創造していく。その手元の標準をセイルに定め、見下ろしながら。
――――そして躊躇も無く放った。
シクスが異形を纏わせながらセイルへと危険を知らせる。
「嬢ちゃん来るぞ!」
「…………っ」
しかしセイルは彼等に背を向けたまま、うんともすんとも言葉を返さず、身構える事もしなかった。既に氷の槍が放たれたというのに、防御魔法を展開する動作すらも見せない。
「…………嬢ちゃん?」
それを不審に思ったシクスが尚も呼び掛ける。するとようやく動き出したセイルは、自らの首を締め上げ始めた。
「何やってんだよ!? おい!」
揺り動かされるセイルであったが、彼女は正気を失ったままにリオンに向けた視線を離さない。その取り憑かれた様な虚ろな眼を覗き込んだフロンスが、一つの結論に至る。
「精神……操作――ッ!?」
精神に影響を及ぼす魔力など聞いた事も無かったフロンスが我が目を疑う。しかしセイルは渾身の力で持って自らの首を締め上げ続ける。
風を切って訪れる氷槍。
慌てふためいたシクスとフロンスは、彼女の前に立って防御魔法を展開した。
「おいおいおいおい! 奴の目を見たら操られちまうってのかよ!」
「その様です! 本当に、デタラメですが!」
二人の背に視線を遮られた事によって呪縛から解き放たれたセイルが次に見たのは、目線の寸分先まで迫って停止した透明の槍先であった。
「わひゃあ――っ!!?」
フロンスは飛び起きたセイルに胸を撫で下ろしながら、防御魔法を貫き掛けている厄介な氷魔法の感想を述べる。
「恐ろしい練度で練り上げられています。一度にでも気を抜けば防御魔法を貫いてしまう程に」
防御魔法を解くのと同時に、音を立てて氷の槍が地に転がった。
「ね、ねぇ何があったの? 私、途中から意識が無くって……」
シクスは名残惜しそうにダガーを放り捨てながら、背後のセイルに半分振り返る。
「奴の目を見るな嬢ちゃん。操られちまうらしい」
「え、操るって、そんな事ある訳……」
操られた際に、直ぐに自害されぬ様にと投げ捨てたシクスの愛用のダガーを見つめながらに、セイルは首元にじんわりと残る痛みに気付いて手を触れる。
「……ううん。ありがとう助けてくれて」
「おうよ」
「安心するのはまだですよ」
三人に向かって確かに歩み寄る物音がある。それが早々に決着をつけようというリオンのものであるという事は明白であった。
セイルは怒りながらも、伏せた瞳を上げずに後退る。
「目を見たら駄目だなんて……どうしたらいいの?」
「奴の足下だけ見るんだ」
「そうするしか無いようですね。ですが、今すぐにでもリオンさんを見上げそうにもなる……戦いの最中に敵から視線を外す事は死と同義ですから」
肩身を寄せ合う彼等に向けて、リオンはあえて聞こえる様にと技の名を続けた。
「『氷雨』」
冷気が吸い上げられて、パキパキと音を立てて膨らんでいく。その光景を見上げずとも肌で感じていた三人は、リオンの思惑通りに益々と混乱を大きくしていくしかない。
「ちっ……!」
「どうしよう。顔上げちゃ駄目だよね……! でもまた氷の雨が降って来るよ! 見なきゃ何処から飛んでくるか分からないよ!」
「この状況にて頭上からの攻撃……本当に人の心理を揺さぶるのが得意な様で」
今すぐにでも顔を上げてしまいたい衝動が3人を襲う。だがその欲求に随順すれば、肉体は傀儡と化す。
「――――ッ!」
だが黙っていても、氷の雨が彼等を貫いていくだろう。いち早く攻撃の出処を確認しなければ、自在の角度から降り落ちて来る氷塊を防ぐ手立てが無い。
鋭いシクスの五感が、茫漠と空に広がっていく冷気を知覚して肩を震わせた。
「テレポートで一旦離れるよ!」
セイルの展開した桃色の魔法陣に、3人の体が吸い込まれて行く。
「――――ッ」
転移魔法でその場を離れた3人が、元居た地点に氷の柱が雨あられと突き立つのを目撃する。
「まだですセイルさん!」
空に何重にも張り巡らされた氷結の柱が、標準を定め直して放たれたのをフロンスが察知する。
「もう一度テレポートで逃げよう……!」
「駄目です間に合わない! 防御を!」
「こんちくしょぉがあの魔女ぉ!!」
そして巨大な氷柱がセイル達に降り注いだ。展開した防御魔法に鋭利な切っ先が突き立っていく。
怒涛の連撃に、間もなく防御魔法を砕かれるのを感じながらに3人は呻く。
「『煉獄』!」
氷塊を見上げる事も出来ぬままに、セイルは遮二無二炎の壁を起こしていた。
だがそこに薄ら笑いする魔女の声が落ちる。
「何処を見ているのかしら?」
空に包囲する様に展開された氷が、あらゆる角度からセイルの炎を掻い潜って来ていた。
それが彼等の防御魔法をすら潜り抜けて襲い来る。
「――きゃあ!」
「ぁぁあ゛!! 痛え!!」
「いつ……終わるのですかこの嵐は!!」
――ようやくと空からの氷柱が放出し尽くされると、肩や腕を氷で貫かれたままの3人が、辛うじて膝を付かずに居る光景が露わとなった。
「驚いた。今ので終わらせるつもりだったのに。しぶといのね」
息も絶え絶えな様子で、セイルは手元に炎の大弓を起こした。そしてこちらに歩んで来るリオンの足下に向けて標準を絞り始める。
「強がっても駄目よリオン! もう魔力が尽き掛けているのは分かってるんだから!」
体に突き刺さった氷を引き抜きながらに、シクスとフロンスもよろよろと攻撃体制を取り始める。
「『幻』……!」
「サハトよ!」
続けざまの大技に、確かにリオンの魔力は枯渇しかけている。けれど彼女はそれを感じさせない軽快な足取りをして髪を払う。
「さぁ、どうかしら?」
当初纏っていたリオンの禍々しい妖気は確かに影を潜めている。その事にフロンスも気が付いていた。
だが、否――だからこそ、その大それた自信に違和感を覚える。
「まだ何かあるのですか……?」
彼等の周囲に降り注いだ巨大な氷塊。散乱した礫の一つ一つが、ただの氷とは似つかぬ程に日の光を鏡面の様に照り返している。
視線を上げられ無くとも、足下に転がった礫は彼等の視界に否応無しに映り込む。
「……まさか」
クリスタルの様にギラギラと光を反射する氷塊を見つめて、フロンスの脳内に嫌な予感が起きる。
リオンは一度よろめいて血を吐くと、怪しげな血の滴る口のままに、呪文の様なものを唱え始めた。
「氷は硝子。氷は鏡。赤き残光よ奔放に飛び変え……」
周囲に冷気を取り巻きながら氷塊を形成し始めたリオンが言い終わる前に、シクスは湧き出した異形達を彼女に差し向ける。セイルもまた、大弓の弦をギリギリと絞り込んだ。
「今しかねぇ! 畳み掛けるぞ嬢ちゃん!」
「分かってる!」
しかしフロンスは一人、彼女の背後から無尽蔵に広がり始めた氷の壁やオブジェクトに目を剥いて驚嘆していた。
そして魔女は綴る。詩の様に――
「何処までも続く合わせ鏡。硝子の世界に逃げ場は無い……」
フロンスがセイルとシクスに向けて叫び付ける様に言い放っていた。
「いけない……目を閉じて下さい!!」
――そして氷の世界は完成された。
「『氷獄』」




