第126話 意外な一面
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3週間後の正午。未だダルフの目覚めぬまま、リオンは普段の通りにラルと二人の夕食の席に着く。
「こんな事いつまで続けるのよ。あなたと食事を続けていたって、私の心は揺れ動かない。むしろ嫌気が増すばかりなんだけれど」
リオンは宮殿に住まう際に一つの条件を提示されていた。それは夕食をラルと二人きりでとるという事である。
「クク、そう言うな魔女」
過ぎる程の大部屋に据えられた巨大な丸机。そこに向かい合う様にして二人は席に着いている。テーブルには隙間も無い程に白い皿が置かれ、毎夜宴が催されている様相だ。
きらびやかな装飾のランプの下で、ラルは巨大な肉を鷲掴みにして口に頬張り始める。
「それにしても強情な女だ。死んだ男の事など忘れてさっさと俺様の物になれば良い物を」
ラルを含め、この都にダルフの『不死』の能力を知る者はいない。故にリオンは、亡骸を自室に連れ込む奇異な女と思われている。
「何時まで死体を部屋に匿っている? 貴様の氷をもってしても、そろそろ肉が腐って臭いを発して来るだろう。いい加減忘れてしまえ」
リオンもまた、目前の肉ばかりの料理に手を伸ばす。それにしても、ダルフが見たら憤死しそうな光景である。ラルは余程肉を好んでいるらしい。確かに、10代の青年らしい嗜好ではある。
「問題無いわ」
「……ふん。俺様の物になると誓ったら、みずぼらしい貴様が想像も出来ぬ程の豪勢な生活をさせてやると言うのに……」
ラルは食事のマナーをろくに学んで来なかったのか、口一杯に肉を詰め込んで食べ散らかしている。
「まぁいい。ゆっくりと懐柔していくこの時が一番楽しいのだからな」
野菜のスープを飲んだ後に、リオンはナプキンで口を拭ってから口を開く。
「あなたは随分と気楽そうね。ナイトメアがいつこの都に訪れるかも分からないのに」
「ナイトメアなど、日々コロッセオで研鑽を積む我が栄光の騎士達の前では敵ではない」
自信気に口角を上げるラル。そんな彼に、表情を現さずにリオンは嫌味を返す。
「それは随分と貧弱だったあの騎士達の事? 既に3つもの都を陥落させたナイトメアの力を見誤っているんじゃないの?」
ラルは険しい顔付きとなって勢い良くテーブルに肘を落とした。皿は乱れ、豪華な料理達が散乱するが、ラルはテーブルに打ち付けた肘を抑えながら、口をすぼめて痛みに悶絶していた。
「……っあの、女騎士は我が栄光の騎士の面汚しだ! あれを基準に力を推し量っているのなら、改めるべきだ魔女!」
リオンは返事も返さずにパンを手に取って頬張る。その様子をまじまじと眺めながら、ラルは問い掛けた。
「なぁ魔女。貴様には眼球が無い。そうだよな?」
リオンは食事の手を止めてラルに相貌を向けると、その瞼を指で押し上げてその空間を露わにする。それを見たラルは苦い表情をして顔を背けた。
「もういい。……そんな目では不便だろう。俺様の物になるのならば、その目も瞬く間に治してやろう」
「必要無いわ。私は何も見たく無いもの」
気心の知れぬ魔女に、忌々しい視線を送るラルが長い前髪を整える。
「富も、愛も、眼球も、全てやるというのに、貴様は応じない。これ程扱い辛い女は初めてだ」
「あなたはこれまで、そうやって偽りの愛を得て来たのね」
ラルは視線を豪奢な天井へと彷徨わせながら鼻を鳴らした。
「貴様も必ず俺様の物にしてやるぞ。死んだ男はいかにしても戻らず、その記憶など、すぐに薄れていくのだからな」
「……」
「高飛車な貴様が瓦解するその時程に、俺を興奮させる事は無いだろう……まぁ、じっくりと待たせて貰おう。クック……俺様の物にならぬ女など、この世にはいないのだからな」
リオンは薄ら笑いを浮かべると、パンを置いて、足を組みながら片方の眉を上げるラルに、氷の様な一言を突き刺した。
「愛に怯えているのね」
「な……っ」
魔女の囁いた一言に、ラルは組んだ足を解いて前のめりになっていく。
「愛されない事に怯えている。自分にも愛を勝ち取れるという事を確かめる様に、あなたは多くの女性に、そうやって言い寄って来た……」
「貴様……こ、……魔女ッ!」
ラルの先程までの自信に満ち溢れた態度は何処かに消え失せていた。今は頭に血を登らせながら椅子から立ち上がって目を剥いている。赤みがかった翼を押し広げながら。
「ま、まだ力を隠し持っている様だな、魔女……ッ」
しかしラルは口元をピクつかせながら無理矢理に笑みを作り上げ、気丈な態度を装い始める。しかしそこに携えられた瞳は笑ってなどいない。
「あら、あなたにも隠している事があるのでしょう?」
「なんの事だ! 偉大なる天使の子に秘め事などある筈無いだろう!」
息を荒げてリオンに歩み寄って行こうとしたラルであったが、その場に扉をノックする音が割って入って来て足を止めていた。
「何奴だぁ!? ここには誰も来るなと伝えた筈だ!」
髪を逆立てたラルは、扉の向こうの存在に怒りをぶつける。しかしその存在は物怖じもせず、くぐもった声を扉の向こうから投げ掛けるのだった。
「僕だよラル」
妙に優しげな声音を聞くと、ラルの吊り上がった眦が、みるみると落ちていくのが分かった。逆立てた髪や、赤くなった表情も落ち着いていく。
「リンドか……」
傍若無人のラルの意外な反応にリオンは興味を持ったが、扉の向こうの人物を確認する前に、ラルの口からは退室が告げられていた。
「もういい魔女。部屋に戻れ」
どういう事か、すっかりと怒りを鎮めてしまった様子のラルを横目に、リオンはもう一方の扉から出ていった。
「リンド。邪魔はするなと言ってあった筈だ」
丸みを帯びた声音のラルの声の後に、その男は扉を押し開いて室内へと歩んで来た。
「話しておきたい事があったんだ。君は多忙で、なかなかタイミングが会わないだろう?」
目深に黒いローブを被った男はそれを外し、幼げな表情と緩くウェーブした茶髪を露わにしながらラルを見つめた。
第24国家憲兵隊隊長リンド・ロードアイ。ラルと幼少期を共にした青年は、何の緊張感も持たずに柔和な表情を携えている。
「……で、何のようだ?」
散らかったテーブルの前に腰掛けるラル。唯一の親友であるリンドとの一時だけは、その面相を変える。
リンドは立ち尽くしたままにラルに向かい合う。
「ニータの様子がおかしいんだ。まるで何かに取り憑かれたみたいに俯いたまま、ろくに会話をしてくれないんだよ」
「……ふん。あの姑息な女の話しか、つまらん」
リンドはその返答を受けると、瞼を伏せて静かに息を吐いた。
「やっぱり、何か言ったのラル?」
「弱く卑怯な女に用は無いと言った」
リンドは何処か淋しげにしたまま、ラルの橙色の瞳を見つめ返す。かつての、あの時のままに。
「彼女が君にどういう感情を抱いていたかは分かっていた筈だろう?」
「……」
「民達の前で魔女に敗れた上に、君からもそんな風に言われたんじゃあ……」
「黙れ」
リンドの言葉をラルの声が止めていた。青年達の瞳が交錯するが、互いにそこに敵意は無い。
「天使の子に、たかだか騎士隊長が口を出すな。あの女がどうなろうと、俺様の知った事ではない」
「……」
しばらくの沈黙の後に、リンドは足元に落としていた瞳を上げる。
「君は天使の子になってから変わってしまった」
細い目をしたラルの眉根がピクリと反応する。
「なんだと? 俺様は変わっていない。昔からずっとこのままだ」
「違う、君は変わったんだ」
「変わってなどいない!」
語気を荒げ始めたラルに、リンドは怯まずに続ける。
「忘れたのかい? かつての弱き者を救おうとしていた自らの心を。君はイジメられていた僕を、何度ぶたれたって庇ってくれ――」
「――――ダマレっ!!」
俯いたラルの怒号に、室内は耳鳴りがする程に静まり返る。
「……リンド。次過去の話しをしたら。お前の騎士隊長の座を剥奪する」
「……っ」
「お前が裕福な暮らしを出来ているのは誰のお陰だと思っている……」
「そんな……僕は君の事を思って……」
「お前の両親を、ロードアイ家の人間を。誰にも馬鹿にされぬ程の名誉で守っていられるのは、この俺様がお前を騎士隊長に任命したからだ。力の無いお前を、無理に隊長に任命したのは誰の力だと思っている」
リンドはウェーブのかかった茶髪を揺らして俯くと、漆黒のローブを深く被る。そして右腕をギュッと、左手で抱き寄せる。
「…………分かったよ。ラル」
リンドは静かにそう告げて退室していった。
一人残された大き過ぎる部屋の中心で、ラルは手元のステッキを自らに向けてこう唱えた。
「我が手に癒やされる」
生ある限り、その際限無く対象を治癒する筈の回復魔法を唱えても、彼の胸は針で突き刺されている様に傷んだままだ。
ラルにはその胸の痛みの理由が分からない。




