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133.瘴気という名の悪意

 ――見られている。


 ゴブリンミニオンの第一陣を倒し終えて一息つこうとしたそのとき、ぼくらが感じたのは安堵。……ではなく、ゾッとするような悪寒だった。


 空の上を流れる冷たい風よりも遥かに冷たい、力量の底を推し量るかのような視線。

 まるで、急に空気が粘ついたような錯覚すら覚えるほどに息苦しさを覚える。


「……」


 ごくり、と唾を飲み込み、相手の出方をうかがう。

 一矢報いたとはいえ、いまだ彼我の実力差は隔絶しているのは明らかだった。

 その動きの一挙手一投足を見逃さないように、息を呑んで相手の動きを観察する。


(さて、どう動くかな?)


 考えられるのは、ゴブリンミニオンによる飽和攻撃か、それとも怪獣による直接攻撃か、あるいはその両方か。

 であるならば、いい。この大空がぼくらの味方だ。回避するに困ることはない。


「ヌオォぉン……」


 怪獣が低く唸り、その背からゴブリンミニオンの射出を始める。と、同時にズゥぅぅんと地響きを立てて歩み始める。


 やはり、両方か――と思ったその時だった。


 一瞬、怪獣がぼくらを嘲笑った気がした。

 怪獣が歩を向けたのはぼくたち。……ではなく、いまだ避難しきれていない被災者たちのいる街道だった。

 

「なんで!?」


 悲鳴じみた声を上げてしまう。


 あいつの狙いはぼくたちではなかったのか。

 怪獣が歩みを進めるたびに、地面の腐食が進む。あれに飲み込まれれば、並の人間ならば朽ちてしまうことだろう。


(だけど、どうする……!?)


 彼我のパワーの差は圧倒的どころではない。


 ゴブリンミニオンはともかく、あの本体を足止めする力は、ぼくらにはない。


 頭を狙っても無意味だ。ゴブリンの集合体である怪獣には、いまのぼくらじゃダメージを与えることはできない。

 ならば、足を狙うか? いや、それも難しい。太すぎる足はマホーですらも断つことはできない。そして何より、その懐に飛び込むにはゴブリンミニオンの数が多すぎる。


「ヌオォぉン……」


 ぼくらの焦燥感を嘲笑うかのように怪獣が低く唸り声を上げる。


「く……」


 悪意。

 こいつには知性がある。ぼくらが戦いに出てきた理由を理解し、最大限に利用する知恵がある。


 一歩、また一歩。

 怪獣が歩むたびに地面が腐食し、街道を西へ向かう被災者の背中に迫る。無数のゴブリンミニオンたちが空を舞い、蚊柱のように螺旋を描く。


 迷ってる場合じゃない!

 ぼくらは少しでも侵攻を遅らせようと、ゴブリンミニオンの群れを端から削ろうと牽制を――


「ぐ……っ!?」


 ……ダメだ、数が多すぎる!

 無理な攻撃は隙を作り出し、相手の反撃を許してしまう。直撃こそしなかったものの、脇腹をかすめていった魔力光線がウィルベルの脇腹を焼き焦がす。


 くそっ。いったい、どうすればいい……。どうすれば……。


 考えている間にも、怪獣が一歩、また一歩と進んでいく。じりじりとした焦りで背中が汗ばむ。


 そして、ゴブリンミニオンの先頭が、逃げる被災者の最後尾を射程にとらえた。

 抵抗するすべをもたない人々の背中を焼こうと、魔力光が灯る。


「あかん!」


 と、その時だった。ゴブリンミニオンの先鋒が爆発を起こしたのは。


「あれは……!」


 先頭のゴブリンミニオンを倒した魔法は、被災者たちが避難する街道の横、融解した砦からの攻撃だった。


 生き残った騎士さんたちが部隊を再編し、砦の残骸を防壁としてゴブリンミニオンたちへの対空砲火を始めているのだ。

 文字の通り、被災者たちの最後の砦として戦闘を開始した石造りの砦は、ゴブリンミニオンの攻撃を寄せ付けず、騎士さんたちは戦いを優勢に進めはじめる。が、

 

(だけど……無茶すぎる)


 防壁はしょせん、ゴブリンキング程度の攻撃を想定したもの。機動力のない防衛戦と、超高火力の怪獣とでは相性が悪すぎる。


「ヌォォォン……」


 ぼくの考えを裏付けるかのように、怪獣が口をガパッと開け、その口腔に魔力光が灯る。そこに込められた魔力は、半壊した砦を焼き尽くして余りある。

 このままでは、被災者も騎士さんもやられてしまうだろう。


(でも、どうする。どうする……)


 パワーが足りない。

 根性や勇気や知恵ではどうしようもない。圧倒的な暴力を前に、ぼくらはあまりにも無力だった。


「ヌォォォン!」


 そんなぼくらを見て、ふたたび怪獣が嘲笑った気がした。

 ぼくらの挫折感という感情を味わうように目を細め、低く唸り声をあげ、口腔からその破壊力を解き放――

 

「――この程度のことで諦めるなら、最初から尻尾巻いて逃げておきなさい」


 怪獣の口腔が大爆発を起こした。

 放たれる直前だった膨大な魔力が爆散し、怪獣の身を焼き、大穴を開ける。飛び散った残滓(ざんし)が花火のように飛び散り、平原や森のあちこちに火をつける。


「クァイス先輩!」


 上空からの太陽光に紛れた奇襲――クァイスちゃんによる覇王の劫炎(アグニフレア)の一撃は、これ以上ないほどに功を奏していた。とはいえ、

 

「ちっ」


 クァイスちゃんが舌打ちをする。

 頭どころか上半身にぽっかりと大きな穴が開いたにも関わらず、怪獣はさっそくぐにょぐにょと蠢き、再生し始めていた。


 その身に宿している魔力量に大きな変化はなく、それほどのダメージは与えれてはいないようだった。だがしかし、


「いまの見えた(・・・)んよ?」「いまの聞こえた(・・・・)?」


 ぼくとウィルベルはまったく違う疑問を互いに口にして、そして「うん」と同時にうなずいた。


 ――見られている。


 いままで漠然と感じていた、粘ついたような仄暗(ほのぐら)い視線。


 見えたのは、その視線の発信源――ぽっかりと空いた穴から見える、怪獣の心臓部に位置する赤い球。ドクンドクンとまさに脈打つ心臓のように明滅を繰り返している瘴気の塊。


 そして、聞こえた(・・・)のは、


『たすけてー』『へるぷみー』


 瘴気に取り込まれたゴブリンたちの、助けを求める声だった。

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