131.はじめてのぼく
――見られている。
ぼくの側線が、突き刺さるような視線を感じとる。
脳髄に悪寒が絡みつくような感覚。
『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』っていうフレーズは、比喩表現としてよく使われるけど、まさにそれ。
深淵とやらが実在するならば、こういう背筋を這い回るような気持ち悪い存在であるに違いない。
でも、いったいどこから……?
ぞくり。
一瞬、視線の圧力が強くなって――その瞬間。
ズドオオオオオオオオン
凄まじい衝撃音とともに、ぼくたちのいた塔が揺れた。
べきべきべきと凄まじい音がして天井が崩れ落ち、細かな瓦礫が降り注ぐ。
幸い、大きな瓦礫が室内に落ちてくることはなかったけれど、拳くらいの大きさのものも含まれていて危険が危ない!
落ちてくる瓦礫から病人さんたちをかばい、揺れが収まって上を見上げると、青々としたお空がコンニチワ。
さっきまであった天井はなくなっていて、世界樹があるはずの方角には――
「あれは……」
まず思いついたのは、怪獣映画みたいだなって感想だった。
遠くから聞こえる重低音のうなり声。歩みとともに響き渡る地鳴り。生き物の枠を超越した、ありえないほどの巨躯。
表面はどす黒く染まり、ずんぐりとした四肢は人の姿と言うよりは、例えるなら手の短いオラウータンのよう。
怪獣の、燃えるような爛々とした赤い目がまっすぐにぼくらをとらえる。
(あれが見とるのは……うちらやな)
なぜ、あれがぼくらを見ているのかはわからない。
だけど、その目に灯るのは憎しみの赤い光。瘴気そのものの邪悪さ。間違いなく、ぼくらは敵として認識されていた。
なら、ぼくらがやるべきことは……。
ウィルベルがぼくの尾を掴み、空中飛行で囮になってひきつけようと――
「待ちなさい。どこに行こうというの」
その腕を掴んだのはクァイスちゃんだった。
「あんたが向かうべきは……そっちじゃなくて、向こうよ」
彼女が向こう、と指さしているのは、リヴィエラの王城がある方角だった。それはつまり……
「ぼくらに、しっぽ巻いて逃げろって?」
「わかっているんでしょう? なんかよくわからないけれど、あれの狙いはあんたよ」
「だったら……」
ウィルベルの抗議に、クァイスちゃんは「あのね……いい?」と大げさにため息をついた。
「あんたはまだ学生――まだ、入学したばかりのひよっこなの。なんか勘違いしてるみたいだけど、あんたはまだ勇者じゃないの。勝てない相手にさっさと逃げるのも、学生としてのあんたの仕事なの」
クァイスちゃんの言ってることは正しい。
原則として、この世界のステータスは絶対だ。だから、レベルを上げることはわかりやすい成長の指標となっている。
それは逆に言うと、どれだけ才能があっても低レベルのあいだは無謀な戦いをしてはいけないってことでもある。
若者が無理にバケモノに挑んで、討ち死にしていったら、この世界のシステムは成り立たないのだ。
わかる。超わかる。
でも、感情として納得できるかっていうのは別の話で……
「わしもその娘の意見に賛成じゃな」
クァイスちゃんの意見に賛同を示したのはバルナムーラ。
エルフの長老は、周囲の人々――腐海の病を発症し、動けなくなった人々を見渡しながら、
「お前さんはね。この病を治療する希望なんじゃよ。
先ほど問うただろう。勇者の死は、その者一人の死にとどまらないと。お前さんがここで死ぬということは、将来、治るかもしれん者たちも道連れにするということなのじゃよ」
「……」
そう言われるとつらい。
でもでもだって、とゴネることはまだできるだろう。
まだギリギリのところだ。ここでウィルベルが逃げて発生する被害と、立ち向かって死んじゃったときの被害のバランスは、ゴネることを許している。
それがウィルベルの心を揺らめかせる。
もしかしたら、囮になっても死なないかもしれない。それが一番いいじゃないかって。
それは悪魔のささやきか、あるいは天使のささやきか。人はそれを、甘い幻想というのだろう。
逡巡を見せるウィルベルに、さらにクァイスちゃんが「あんたねえ」と追い打ちをかける。
「勇者候補生の1年生の死亡率は知っているでしょう? 10%よ。40人いたら4人が死ぬ計算ね。あんた、いま行けばその10%になるわよ」
いまのウィルベルのように、責任感や正義感で無謀な戦いをして、帰らぬ人になる新入生は後を絶たないという。
「……」
ウィルベルのまえに逃げるべき理由ばかりが積み重ねられていく。
(でも、うちは……)
ウィルベルがぎゅっと拳を握って、なんとか立ち向かう理由を探そうとして――
『コワイヨ……』
声が聞こえた。
その声は、ウィルベルの傍らに寝かされていた、腐海の病に侵された少年の声だった。
いや、聞こえてきたのは少年の声だけではなく……
『コワイモノガクルヨ』
『オカアサン、タスケテ』
『イヤ……コナイデ……』
助けを求める大勢の声が ぼくとウィルベルの耳朶を叩く。
その声は、他の誰に聞こえることもなく。その絶望をエサに瘴気が濃くなってゆき、瘴気が彼らをさらなる絶望へと追いやっていく。
「……バルナムーラ様。処理をいたします」
瘴気が濃くなっていくのを見たマーテルさんが言い、バルナムーラも「うむ。仕方あるまい」とうなずく。
「処理?」
「うむ。このまま瘴気が濃くなれば、彼らは魔獣のように狂ってしまうのじゃよ。なれば、まだ人間であるうちに殺してやるのが温情というもの」
「そんな……」
ぼくはアリッサちゃんを見た。
アリッサちゃんは無言でうつむいて、下唇をぎゅっと噛んでいた。
バルナムーラが言うとおりにするのが、この状況における最善の方法なのだろう。どうしようもなく正しい行為なのだろう。
お母さんが殺されようとしているアリッサちゃんでさえ、無言でその現実を受け入れようとしているのだから。
「せめて苦しまぬようにはする」
マーテルさんが、アリッサちゃんに通告し、佩いていた幅広の剣を抜く。
あるいはそれも古代文明の道具なのか、剣の表面にはルーン文字が描かれている。その刀身はなめらかで、身動きのとれない病人たちの命を奪うのに、十分な切れ味を備えているのは明らかだった。
――この世界は残酷だ。
この世界に住む人々は優しい。必死に生きていて、これは仕方ないことなんだろう。だけど……。だけどさ!
(……ミカ?)
「はぁっ!」
気合一閃、マーテルさんが剣を振るい、少年の首に鋼の刃が吸い込まれる。
カィィィン!
でも、その切っ先が少年の首に触れることはなかった。
「……。なんのつもりだ」
硬い金属音を立てたのは、ぼくだった。少年と剣の間に割り込んだぼくは、その切っ先をあたまで受け止めていた。
なんのつもりって……。いや、ホント、なんでだろ?
さっきまで「この世界の人が決めたならしゃーないな」ってスルーするつもりだったんだけど。
からだが勝手に動いちゃったのって……なんでだろ?
その疑問に問いかけをくれたのはウィルベルだった。
(ミカ、怒っとるん?)
……怒っている? ぼくが?
マグロに転生しても。死にかけても。頭を針を撃たれても「しゃーないな」って許しちゃう太平洋のような広い心の持ち主が???
胸にヒレをあてて、考える。今一度、自問する。
……心のなかに、熱がある。マグロならぬマグマのようなものが煮えたぎっているような、そんな感覚。
(そうか。ぼくは怒っているのか)
ぼくは……これまでこの世界の人間と距離をとっていた。
マグロに転生なんてワケわかんないしね。しかたないよね。
ワケわかんないなりに、召喚主のウィルベルさえ良ければまあいいや、って割り切っていたんだ。
「ヌオおおおん……」
怪獣がゆっくりとその歩を進める。ぼくらを殺そうと、まっすぐに。確実に。
ぼくはね。気楽に生きていたかったんだ。
マグロはIQ低いから、難しいことなんてなんにも考えずにさ。「ハーレムばんざーい」なんて言って、誰にも何も背負わされることなく生きていたかったんだ。
お気楽軍師ポジションって言えばいいのかな?
助言を求められたら答えるだけ。その責任はウィルベルが背負う。そういう風に生きていたかったんだ。精霊いいじゃん。気楽じゃんってね。
塩水の民ですら、「もう、この世界の人間さんってば、ホントにバカだな!」くらいのものでさ。でも――
「そうだね。ぼくは怒ってるんだ」
ぼくはウィルベルに言った。
この世界の正しさのうえでは、ウィルベルは逃げるべきなんだろう。そのことを後ろ指さす者なんていないはずだ。
でも、ぼくはいま初めてワガママを言おう。
「だから、やろう」
アレを止めに行こう。
ぼくはこの世界が好きだ。
厳しい世界を優しく生きる人たちが好きだ。
お人好しなウィルベルも。厳しくて正しいことを言うクァイスちゃんも。必死の生活の中でもウィルベルを応援してくれたモデラートの孤児院の子たちも。みんなみんな好きなんだ。
だから、やる。
その単純な言葉にウィルベルは「当たり前やん!」と微笑みを返し、処理されようとしていた少年の頬を優しく撫でた。
少年だけでなく、ここにいる人々全員に言い聞かせるように、「大丈夫やからな」と語りかける。
「怖いのはしゃーない。怯えるのもしゃーない。相手は人間じゃ太刀打ちできんような、とびっきりに強いバケモノやもんな。うちもめっちゃ怖いもん。でもな――」
ウィルベルがぼくを見て言った。
「本気を出した、うちの相棒はもっと強い」
その言葉を聞いて、バルナムーラは頭を振り、マーテルさんは表情を険しくし、シエルは驚いたように大きく目を見開いた。
「まったく……仕方のないアホウね」
呆れるように言ったのはクァイスちゃんだった。
いや、ような、じゃないな。彼女は心の底から呆れた様子だった。
右手で浮遊板を支え持ったクァイスちゃんは、やれやれとサーシャちゃんたちに向けて肩をすくめた。
「ねえ、あんたたち。このウィルベルとマグロはどっちがアホウだと思う?」
「どっこいどっこいでありますね」byニア
「わたしの定規の尺度を超えすぎていてなんとも……」byサーシャちゃん。
「先輩は、やっぱり何を考えているかわからないです。さっぱりです」byアリッサちゃん。
ちょっと!? いま感動するとこだったよね!? ばっちりキマってたよね!? 世界で一番かっこいいクロマグロだったよね!?
おのれ人間め、と抗議しようと思ったけれど……やめた。
なぜって? それはアリッサちゃんの震える背中が視界に入ったからだ。
アリッサちゃんが、うつむいて嗚咽混じりに、声を絞り出す。
「本当に……。本当に……。先輩は、何を考えているかわからないのです。でも、先輩……。お母さんを……」
そこから先はほとんど声にならなかった。
「わたしの、お母さんを……助けて……ください……」
いまのアリッサちゃんでは力不足すぎる。
いや、それはウィルベルも同じだ。確かに、ウィルベルの空戦能力はずば抜けて高い。それでも、やはり相手が遥か格上なのは変わらない。
ウィルベルのステータスを超えた、無茶な願いに対し、でも、もちろん、うちのご主人さまの返答は、
「うん。アリッサちゃんの想いも、うちの心のなかに」
任せとけと言わんばかりに、トントンと親指で胸を叩いて答えた。いやん、男前。
「――さて、話は終わりね」
その様子を見て、クァイスちゃんが、先生がそうするようにパンパンと手を叩いて、レヴェンチカの生徒勢に指示を出す。
「サーシャ、アリッサ。あんたたちは被害状況の確認と怪我人の応急処置を。それが終わったら避難誘導を。ニア、あんたはいますぐ城に向かって、先生たちに第一報を」
「クァイス先輩は?」
「聞くまでもないでしょう?」
ウィルベルの問いに、クァイスちゃんは髪をかきあげた。
そして、遠くに見える怪獣を見据え、
「あのバケモノを止めることができる者が、この場でわたし以外にはいるとでも?」
「じゃあ、クァイス先輩はうちについてきてくれる――」
ごすっ。
「あいたぁっ!?」
ウィルベルの頭にゲンコツが落ちる。
ふんっと鼻息を荒くしたクァイスちゃんは、腕組みをして、
「あんたがわたしの手伝いをするのよ。ちょっとは考えてモノを言いなさい、このドマヌケ」
んまっ! クァイスちゃんってば、なんてツンデレさんなんでしょう!!
前の話で、エルフが精霊の瘴気を調べたのは、「瘴気をもつ精霊が近づくと病人たちが怯えるから」という説明を入れようと思ってたのですが、文字数が……。






