127.そーゆー彼女が好きなので
それはまさに地獄の一丁目を彷彿させる光景だった。
床に寝かされた人々は数百人。一様に苦悶の表情を浮かべ、だけど、呼吸すらままならず、カヒッカヒッという空気の漏れる音だけが、ぼくらの耳に届く。
絶句するウィルベルたちに、マーテルさんが言う。
「これが腐海の病の第2段階だ。全身の筋肉が硬直し、動くことすらできなくなる。新陳代謝もまともに働かなくなり、ベッドすら不要になるのだ」
呼吸もままならぬ状態というのは、どれだけの苦痛なのだろう。いっそ、気絶することができたなら幸せだろう。
「この人たちは……は治るんですか?」
「努力はしている」
ウィルベルの問いに対するマーテルさんの返答は、直接的には口には出さなかったものの、厳しい現実を突きつけるものだった。
「ショックを受けているところ悪いが、お前さんたちに見せたいのはここじゃない。この奥さね」
言って、バルナムーラがぼくたちを先導する。向かう先は、大広間の向こう側にある扉だ。
「……」
コツコツという床を叩く音が耳に痛い。数百人を収容しているはずなのに、とても静かだった。
白目を剥いた恨みがましい視線がぼくらを見ている気がして、心が冷や汗をかく感触がする。
「お前さんはなぜ勇者になりたいと思ったんだい?」
と、尋ねてきたのはバルナムーラだった。ウィルベルは少しだけ考えて、
「うちは両親が魔獣に殺されとって……、うちみたいな孤児をなくしたいって思っとるんです」
その答えは、しかしバルナムーラにとって不満なものだったらしい。「ふう」と深いため息をつき、
「――ここに寝ている者たちの大半はね、10年前にゴブリンゾンビの群れに飲み込まれた者たちだ。瘴気のなかに取り残されて、病を得た。それ以来、死ぬことも許されぬ地獄にいる。此度の討伐にもしも失敗したなら、お前もこのなかに並ぶじゃろな。
お前さんはその覚悟をもって、勇者になりたいと言っておるのかね?」
と言われても……そもそも瘴気の病なんてあるのを知ったのがついさっきだからね。
覚悟があるって言ったらウソっぽいし、ないって言うのも違うよね。かと言って沈黙しつづけるわけにもいかないのだけど。
ぼくらが沈黙していると、先導するバルナムーラが「それだけで済めば御の字じゃろな」とため息をついた。
「勇者の死とは、自己の死のみを意味しない。勇者が呼び出される状況というのはね、だいたい後がないもんさ。勇者が死ねば、残された人々は蹂躙されちまう。ちょうどここにいる連中のようにね」
いつのまにか、ぼくらは扉の前にきていた。
振り向いたバルナムーラが、ウィルベルの目をじっと見つめる。
「勇者っていうのは、頭のどっかがイカレてないと名乗れない肩書さ。
他人のために勇者になりたい? 実にけっこう。美しい話だ。だがね、そんなふわふわした夢に、他者の――数万人の命の重みが載せられるだけの強さがあるのかね?」
「……」
なるほど。この世に存在する強さのリソース――精霊の経験値は有限で、この世界では、レヴェンチカに生徒や戦士ギルドがそれを優先的に得ることで、魔獣に対して生存競争を戦っている。
その頂点にいるのが勇者なわけで、ゆえに責務みたいのがあるんだろう。けど、
(……けど?)
ウィルベルがぼくを見る。
「覚悟があるかどうかなんて、その間際にならないとわかんないじゃん。
そういうのを延々と悩むのも重要かも知んないけどさ。そんなことは横に置いといて、『わははー、うちに任せろー!』って突っ走ってるウィルベルが、ぼくは一番好きだな!」
「へ?」
ぱちくり、と。
ぼくの返事にウィルベルが思わず目を瞬かせた。
あれ? せっかくいいこと言ったつもりだったのに、あんまし通じてない?
むむむ。ならばもう一度……。今度は腹びれを目いっぱいに広げて!
「ぼくは! そーゆーウィルベルが! 一番! 好きだ!!」
静かなフロアのちょうど真ん中で。ぼくは大きな声で叫んだ。
好きだ―、好きだ―とエコーがかかり、みんなが『何言ってんだこいつ』って顔でぼくを見る。
え? 空気が読めてない? ノンノン。マグロっていうのは後ろ向きに泳ぐと死んじゃうお魚さんなのである。こーゆーネガティブな展開はノーセンキューなのだ! ゆえに! ぼくは! あえて! 空気をぶち壊して、言おう。
「ウィルベルぅぅぅぅ! 一番、好きだぁぁぁぁぁぁっ!!」
「セリフの切り取り方が雑すぎて、意味がぜんぜん変わっとるんよ!?」
顔をちょっぴり赤くしたウィルベルが声を荒げる。
が、知ったこっちゃないね! こちとらIQ3なクロマグロ。3歩歩けば忘れるというニワトリさんよりアホな存在なのである。最初のセリフなんて忘却のかなたにぽーい!
そんなわけでもう一度。
「ウィルベル、大好――」
「それ以上言うと誤解されるから、やめるんよ!?」
さっきのシリアスな空気はどこへやら。顔を赤くしたウィルベルが、慌ててぼくの口を閉じさせようとする。
「でも――」
ウィルベルの頭をやさしく撫でたのはニアだった。微笑みを浮かべ、
「でも、そうでありますね。自分もそういうウィルベルだからこそ、大好きなのでありますよ。
ぶっちゃけ、勇者なんてのは実力商売であります。覚悟があろうがなかろうが、勝った勇者が偉いであります。信頼なんてのは、実績の上に成り立つもんであります。覚悟とか割とどーでもいいでありますよ」
ニアってば、母国ではそれなりに偉い貴族だからか、あんがいドライでやんの。
「……だがね、そういった覚悟が生死をわける最後の一線になったりするのだよ」
バルナムーラが釘を刺すように言う。
この世界は案外にハードだ。
ぼくが生きていた安全な世界とは異なるルールで動いていて、バルナムーラの考え方は至極、正しいのだろう。でも、
「はい。それはそうなんだと思います。でもそれでも。みんながうちを好きでいてくれるうちのままでいることも、大切なんです」
言って、ウィルベルはぐっと力こぶを作った。
「それは大変なことだと思います。すごい努力が必要だと思います。だから、努力します。いっぱいいっぱい努力します。どんな魔獣が相手でも『わはは』と笑ってどつき倒せるくらいの、すごい実力を身に着けて、どうにかします」
そのために必要な努力が果てしなく大変なことを覚悟した上で、ウィルベルは言った。
その返答にクァイスちゃんとマーテルさんは顔をしかめ、アリッサちゃんとシエルがぽかーんと呆気にとられ――そして、バルナムーラは破顔した。
「ふはは、なるほど。勇者の卵らしいイカれた答えじゃな! ワシが求めていた答えではない。心底から頭が悪い! 実にアホじゃ。
だがよい。それがよい。ワシの求める答えの、想像の斜め上なのがよい。そなたが勇者にふさわしいかはともかく、ワシは気に入ったぞ!」
そして、バルナムーラは奥へと続く扉の取っ手に手をかけた。
「――先ほど、腐海の病について、第2段階まで説明したな?」
扉がスムーズに動き、隙間から空気が流れこむ。
強い瘴気。
いまぼくらがいる部屋でも尋常ではないのに、さらに濃い瘴気が、向こうの部屋には渦巻いていた。
「まだ第2段階であれば、人間としてみなされるからマシと言ってよいじゃろう。限りなく低いとはいえ、治る可能性も皆無ではない」
厳重に隔離された、牢屋のような部屋だった。
バルナムーラが開けた扉の先には、さっきの第2段階の部屋とは違い、たくさんの人々が動いていた。
でも、それは自意識によってではなく……
「第3段階は、人間性の消滅。人の形は失われ、精神さえもゆがんでいく。腐海の瘴気によって変質し、人の成れの果てとなっていく」
変異。
手足はゆがみ、肌には銀色の光沢が輝き、鱗のようなものが張り付く。
人間ではない、何か、人間以外のモノに変質しつつある人々がそこにいた。
「……」
鼻の筋がジーンと痺れるような感覚。
まるで、この世のものではないかのような……、息をするのも忘れてしまうほどの衝撃。
瘴気に汚染されるっていうのは、これほどのものなのか。
「これが腐海の瘴気。遥か古代から続く人類への呪いだ。……触るんじゃないよ。瘴気の濃度が高すぎて、彼ら自身が瘴気の発生源になってしまっているからね」
ここにいる約200名。全員が全員、同じような状況だった。
「ウィルベル先輩、こちらへ」
アリッサちゃんが一人の患者さんの横に立ち、ウィルベルを呼ぶ。
その人の状態は特にひどかった。サナギとカイコと人間を足して、3で割ったらこうなるんじゃないかなって姿。
顔立ちなんかはいまでも面影を残していて、だいぶ人間やめちゃってる姿してるけど、でもこうなる前はクール系の美人だったのがわかる。ちなみにおっぱいは大きい。
アリッサちゃんが一瞬、その顔を撫でようと手を伸ばす。でも、瘴気が強くて触れることすら許されず、引っ込める。
「これはわたしの母です」
アリッサちゃんが、あきらめたような、力のない薄い笑いを浮かべる。
「優しい人だったらしいです」
これが10年前、ゴブリンゾンビたちによる災害が残したもの。アリッサちゃんが5歳のときに――物心がつくかどうかの時期に起きた悲劇の結果……。
「はるか過去から、現在に至るまで、第3段階から回復した例は人類史上ひとつもない。……いや、なかったと言うべきじゃな。昨日、その史上初の例が出たのだから」
バルナムーラが言うのは、フカビトから引きずり出した塩水の民の少女のことだろう。
史上初って、あれってそんなにすごいことやったんか……。…………。……ハッ!? これってもしかして、ついに『ぼくなにかやっちゃいましたか』フラグが立った!? クロマグロによる異世界転生サクセスストーリーが始まっちゃう!?
ふひひ。魚に転生したときはどうなるかと思ったけど、やっぱりクロマグロがナンバーワン! サンマやアジとは違うんです!!
「昨日の出来事が奇跡なのはわかっています。でも、それでも……」
アリッサちゃんの目に込められている感情は、期待だ。
その期待に応えれるかどうかはわからない。いや、可能性を論じるなら低いと言っていいだろう。昨日のアレの原理はわかっていない。本来なら、こんな人体実験みたいなことをやるべきではない。
でも、この人たちには時間がない。あるかどうかもわからない奇跡にすがるしかないのだ。
――奇跡よ、もう一度。
そんな期待のなか、ウィルベルはごくりとツバを飲んでうなずき、アリッサちゃんのお母さんに触れるか、触れまいか、そのギリギリに手を伸ばして、そして――
『……けて』
声が聞こえた。
【マグロ豆知識】
マグロは後ろに引っ張られると死ぬ、というのは大げさですが、実際に失神してしまいます。
というのも、マグロの生涯は前進運動あるのみ。後退することを知りません。なので、尻尾を持ち、後ろに引っ張ると恐慌状態に陥ってしまって、失神するのです。
この習性を利用しているのがオーストラリアのミナミマグロ(クロマグロの類縁種)の養殖です。
ダイバーが生け簀に潜り、体長1メートルほどのマグロの尻尾をぐいっとひっぱり、失神させて捕まえます。
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プロットから1セクション削除したので、前々回あたりから展開の強引さが目立つような……(もともとエルフのばあさんと水サラマンダー鍋を突っつきながら、アリッサとエルフの関係を書く予定だったのですが、さすがに間延びしすぎるので変更しました)
次回更新前に、ストーリーが変わらない程度にそのあたりを修正するかもです。
次回更新日は2月15日の予定です。






