第94話 下水道
生まれ変わった豪華装備のレムを従えた僕は、ちょっと強気になって天道君と、相変わらず彼にベッタリなジュリマリの三人に向かって、簡単に説明をした。レムは僕の使い魔であり、見た目は魔物だけど、魔物ではないこと。それと、呪術師の能力で『痛み返し』があり、僕にフレンドリーファイアをかまそうものなら、自分も痛い目にあうから気を付けろよと、最低限の忠告をしておいた。
三人の反応は別にそんなのどうでもいいし、そもそも聞いてないし、みたいな感じで芳しくなかったけど、まぁ、頭に入れておいてくれればそれで十分だ。僕としては、彼らと上手に連携して戦闘ができるとは思っていない。
そんな冷たい会話を終えて、あとは蘭堂さんと適当に雑談したり、仮眠したりして、いよいよ、妖精広場を出発することになった。
「ねぇー、なんかちょっと臭くなーい?」
「うん、臭いよ。だってここ、どう見ても下水道だもん」
うげー、と嫌な顔をする蘭堂さんには共感する。ここには淀んだ水が放つ生々しい臭気が立ち込めている。でも呼吸困難になるほどの臭さではないから、ひとまず進むのに支障があるほどではないけれど。
僕が言ったように、ここは下水道だとしか思えない。相変わらずの石造りのトンネルだが、道のど真ん中は濁った水で溢れる水路になっていて、僕らはその両脇にある歩道みたいな通路を歩いている。水路側には柵もなく、うっかり足を踏み外せば、汚水へ真っ逆さま。ビビりな僕は、なるべく壁際によって歩いている。
ちなみに隊列は、先頭から順に天道君、ジュリ、マリ、蘭堂さん、僕、レム、である。
たまに「臭いー」と文句を言う蘭堂さん以外は、みんな黙って、この暗い下水道を進んで行く。水が流れる音と、コツコツという石畳を叩く音の他は、これといってなにも聞こえてこない。静かな行進はしかし――
「ギョァアアアアっ!」
黒い水面が揺れた、と思った次の瞬間、汚水の川から奇声を上げて人影が飛び出してくる。
「うるせーよ」
天道君が一閃。僕は川から飛び出してきた人影がどんな姿なのか、はっきりと捉えるよりも前に、真っ二つに両断されてボチャンと水音を立てて消えて行った。黒ずんだ川面に、ジンワリと赤い色が広がっていく。
そして、何事もなかったかのように、僕らはそのまま歩き続けるのだ。
普段の僕なら大騒ぎだろうけど、この下水道エリアを歩き始めてから、同じことが何回も繰り返されていれば、いい加減、理解する。
この水路から奇襲を仕掛けてくる人型の正体は、魚人、サハギン、とでも呼ぶべき人型の魔物である。魚とカエルの合いの子みたいな醜い面に、青い鱗と白い腹部、手足の指は五本だが水かきが指の股にはついていて、背中には小さなヒレも生えている。尻尾はなく、完全に人型で、何て言うか、ゴーマの魚バージョンみたいな感じの魔物だ。
メール情報によると、正式名称も『ジーラ・ゴーマ』となっているので、ゴーマの亜種って分類にされているようだ。
で、この下水道は彼らジーラの縄張りであるらしい。威勢のいい鮮魚みたいに飛び跳ねては、下水道を進む僕ら、というか、先頭を行く天道君に襲い掛かってくるのだが、まぁ、ご覧の有様である。
「ギョァアアアアっ!」
「ちっ」
もう剣を抜くのすら面倒くさいと思ったのか、天道君は飛びあがってくるジーラの白い腹に、痛烈な蹴りを叩きこんで水路へと送り返した。ザバーン、と汚い飛沫を上げてダイブした後、体をくの字に曲げたままピクリともしないジーラがプカリと浮かび、そのままドンブラコッコと下流へ流されていった。
天道君、やはり強い。この様子では、ジーラ如きでは束になっても、彼の強さの半分も引き出すことはできないだろう。これだけ強ければ、鼻歌混じりにダンジョン探索も気軽にできる。全くもって、羨ましい限り。
天道君にとっては剣を抜くまでもない雑魚でも、僕にとっては、一体が相手でも油断せずに戦わなければいけない相手である。
「ギョアっ!」
「ギギョオオオオっ!」
ちょっと広めの下水道に出た途端、複数のジーラが現れた。これまでは律儀に一体ずつだったから、出現と同時に天道君が始末してくれてたけど、群れているだけあって多少の知恵が回るのか、挟撃するように、僕らの前後へと飛び出してきたのだ。
「ふふん、ここは私らの出番かな」
「うん、そろそろ働かないとねー」
前方に立ちふさがったジーラは五体。お相手は天道君ではなく、ジュリマリのコンビが受け持つようだ。
「好きにしろ」
天道君はその場で腕を組んで仁王立ち。動く気配を見せない。あのー、僕の方にもジーラが現れてるんですけど、こっちは無視ですか。そうですか。
「うわっ、キモ! 魚面、超キモいんだけど!?」
マジ無理ぃー、と緊張感に欠ける焦り方の蘭堂さんは置いておいて、僕は自力で後ろのジーラを対処することに決めた。
新たなレムの力試しには、ちょうどいい相手かな。数は二体だけ。油断はしないけど、負ける気もしなかった。
「蘭堂さん、ちょっと下がってて。行け、レム」
「ガガゴォーっ!」
待っていましたご主人様! とでも言うように、レムは勢いよくジーラへと突撃していった。
うん、踏込みの速度も迫力も、前のレムよりも凄いように思える。贅沢に素材をつぎ込んだ甲斐があったということか。
どこかメイちゃんを彷彿とさせる、力強い勢いでジーラに迫ったレムは、その右手に備えたカマキリブレードを展開させた。
「ウギョオッ!」
そのまま、先頭のジーラをばっさりと切り捨てる。奴も手にはシミターみたいな片刃の曲刀を持ってはいたが、それで受けることもなければ、避けることもなく、ほとんど一方的に斬られていた。レムの斬撃に全く対応できていない。
「逃げるなよ――『黒髪縛り』」
前の奴があまりにあっけなく斬殺されたせいで、後ろの奴がビビったのか、水路へ逃げ込もうとする素振りをみせていたので、僕はレムの突撃と同時に伸ばしていた黒髪触手を足へと絡ませた。
「ギョギョっ!?」
突如として足を縛られていたことに、驚いた次の瞬間、レムのカマキリブレードが無慈悲に魚頭を襲う。憐れ、魚人は三枚に下ろされる。
それからさらに、レムは自分に追加された新たな装備を確認するかのように、次のジーラには左手の毒針を顔面に叩き込み、その次の奴には第二の腕と化しているルークスパイダーの爪を稼働させては、胴体を貫き、大きな風穴を開けてみせた。
大暴れするレムにキルカウントは全て譲り、僕はひたすら、黒髪縛りで実験台もといジーラが逃亡しないよう手足を狙って縛り付けるだけだった。
そうそう、呪術師の戦いってのは、こういうのでいいんだよ。敵を屠るパワーとか火力を、術者本人に求めてはいけない。
そんなワケで、レムのお蔭で実にあっさりとジーラの殲滅に成功したのだった。
「おおぉーっ! 桃川、強いじゃん!」
ご声援ありがとう、蘭堂さん。でも強いのは僕じゃなくて、レムだから。間違っても、僕自身もレム並みの戦闘力があると思わないで欲しい。
「よし、レム、よくやっ――たぁっ!?」
「あははっ、桃川つえー、これでウチも安心して守ってもらえるわー」
突如として、後ろから蘭堂さんにギュッとされる。うわ、良い匂い、じゃなくて、この後頭部に感じる柔らかい感触は、もしかして――
「いや、その、いざという時のために、蘭堂さんも戦えるようになった方がいいと思うんだけど」
「えぇー、ウチそういうのマジ無理ぃー、ホントに弱いんだってぇー」
僕はハニートラップにかかって、無謀なガードマンになるつもりなんかないぞ! 強い意思を込めて、僕は蘭堂さんに言い返せたのは、ひとえに、さっさと素敵な抱擁が解かれたからだ。もし、あのまま僕の頭がおっぱいに埋まったままお願いされたら、断るどころか、命を賭けてお守りします、と忠誠を誓っていたかもしれない。げに恐ろしき、おっぱいの魔力である。
「僕だって弱かったけど、試行錯誤して何とかやってきたんだから」
「でもぉー」
「あっ、前の方も終わったみたいだ。早く行こう」
「うわっ、マジで、ちょっと待って、置いてくなよぉーっ!」
後ろの僕らをガン無視で、ジーラを掃除し終えた先頭組みが歩き始めていた。彼らにおいていかれたら、この下水路で詰みだろう。薄情な三人組みを怨めしく思いながらも、僕と蘭堂さんは駆け足で去りゆく背中を追いかけた。
通りがかりに、僕はチラっと前を塞いでいた五体のジーラの死体を見た。大きく体を切り裂かれているか、心臓や喉などの急所を一突きにされている。なかなかに鮮やかな手並み。ジュリマリのコンビはやはり、順当に『戦士』と『騎士』としての力を身に着けているようだ。
ジーラは小柄なゴーマよりも大きく、成人男性と同等のサイズ。基本、泳いでいるせいか、体つきも割とガッシリしていて、鱗の下には筋肉が盛り上がっているのが見た目にも分かる。そんな奴らを五体も相手にして圧勝なのだから、単純にパワーも上がっているとみるべき。見た目こそ読者モデルやれるスレンダーボディだが、普通の女子を遥かに超えた腕力が宿っているのだろう。
うーん、戦闘系の天職は、こういうスキル以外での成長が強いな。戦うにしても、長いダンジョンを攻略するにしても、身体能力が高いというのは物凄く有利だ。スキルなんかなくたって、この基礎ステータス成長、みたいな効果が一番役に立っているんじゃないだろうか。
呪術師の僕だって、少しはそういう恩恵があってもいいと思うのだけれど……ないものねだりは、虚しくなるからやめよう。
「そういえば、蘭堂さん」
「んー、なにー?」
「何か、武器って持ってる?」
「えっ、持ってないよそんなの、危ないじゃん」
「いや、何も持ってない方が危ないよ」
ダンジョンだよここは。格闘技に全てを捧げた武術家でもなければ、丸腰で歩いていい場所じゃあない。
「でもぉ、剣とか持ってても、どうせ使えないしぃ」
「僕だって使いこなせないけど、こうして槍は持ってるでしょ。魔術士クラスでも、槍とナイフくらいは持ってた方がいいよ。まぁ、お守りみたいなもんかな」
魔力が尽きて素手の僕は、ゴーマ一体が相手でも勝てないだろう。でも、ナイフを持ってれば、何とかなる気がする。素人の上に、戦闘系天職で身体能力のボーナスもない僕らでは、武器を持ってて対処できる敵なんてたかが知れてるけど、それでもゼロではない。実際、こんな僕でも何だかんだで、槍を振るう機会は何度もあった。使えないからと手ぶらのままだったら、通路のゾンビラッシュも防げなかったに違いない。
ちなみに、現在の僕とレムの装備は、以下の通りである。
『鉄の槍』:樋口戦では全く使わなかった、スケルトン小隊から鹵獲した槍。僕が持ってる。
『勝の長剣』:勝が装備していた長剣。鉄の剣よりも質は良いので、レムに持たせた。
『レッドナイフ』:貴重な魔法の武器。樋口にトドメの一撃を刺した感触が、まだ残っているような気がする。
『樋口のバタフライナイフ』:樋口が長江さんに形見として渡そうとした、バタフライナイフ。安っぽいけど、刃は異常なほどギラついていて、切れ味はそこらのナイフの比じゃない。何らかの強化を果たしているのか、それとも、樋口の怨念でもついているのか。
数こそ少ないものの、どれも厳選された装備である。しばらくの間は、下手な鹵獲品を使う必要もないだろう。強いて言えば、レムも槍くらい持っていていい気がするけど、あ、しまった、さっきのジーラから槍を奪って来れば良かったよ。天道君がさっさと先に行ってしまうから、つい回収を忘れてしまった。
「グガガ」
僕の心を読んだように、声を上げたレムの手には……ジーラが持っていた鉄の槍が握られていた。
「もしかして、自分で拾ったのか」
「ガ」
「いい子だ」
ひょっとして、レムは知能も成長しているのだろうか。バジリスクに飛び乗ったことから、レムはもう、僕の明確な命令がなくても、自分で判断して行動に移すだけの能力がある。となれば、役に立つと思って武器を拾うくらいしたって、おかしくない。
「成長してくれて、僕は嬉しいよ」
「ガガゴ」
褒められて喜んでいるのか、レムが骨の顎をガタガタ言わせている。僕のレムだと思えば、この黒い髑髏面も、段々と可愛く見えてきた。
「ねぇ、桃川、もしかしてアンタってさ、この子がガーガー言ってる意味、分かるの?」
「ううん、全然分かんない」
「だよねー」
何となく、フィーリングである。別にいいじゃないか、犬の鳴き声くらいの意味合いでも、十分だ。
でも、もしこのまま順調にレムが成長していったなら……いつか、言葉を喋る日が来るのかもしれない。
文句とか言われたら、イヤだなぁ。どこまでも後ろ向きな想像をしながら、僕は暗い下水道を進み続けるのだった。




