芝居期間の婚約。その3
その日は顔合わせだった。お互い先の茶会にて顔を合わせているが改めて、というもの。自己紹介をするような時間である。
ルナベルはノクティスが待つ王城の庭園にあるガゼボへ案内された。軽く挨拶をした後で、席を勧められて座ったルナベルは強い視線を真正面から浴びて、なんとも居心地の悪い思いをする。
既にケーキスタンドの上にはケーキやマカロンやクッキーなどが乗せられている。あとは侍女が紅茶を注いで。それからノクティスは侍女を下がらせた。視界に入るが声の届かない距離である。
「バゼル伯爵令嬢」
「はい」
茶会で会ったときはあまり時間が無かったこともあり、こうして改めて二人で顔を合わせると前回の婚約者時代の頃を思い出すノクティス。
ラベンダー色の髪とややつり目の髪と同じ色の目をした、けれど全体の雰囲気は寧ろ穏やかでのんびりなルナベル。その変わりのない雰囲気がノクティスに罪悪感を舞い込ませる。
「あなたには、記憶が無い、と聞いている。でも、私のやらかしたことを知っている、と。謝罪をさせて欲しいのだ」
八歳の少年の口から零れ落ちた言葉は、前回十年後に自らの誤ちで傷つけた少女への謝罪を請うものだった。
「いいえ、それは申し訳ないのですが辞退させて下さいませ」
それに対して少女は謝罪を拒否する。静かに、怒りも嘆きも無いあまりにも淡々とした声音での拒否。自然と俯いていたノクティスの視線は、ルナベルへ戻された。
「なぜ、と尋ねてもよいか」
「不敬だと思われるかもしれませんが。その謝罪は、殿下であって殿下ではない方が、私であって私でない者に告げるからです」
ノクティスが謝罪を拒否したルナベルに理由を問えば、ルナベルがそんな謎かけのような発言をした。
「私であって私ではない? バゼル伯爵令嬢であってバゼル伯爵令嬢でもない?」
言っている意味を理解出来ず、ノクティスが惑う。
「はい。そのときの私はそのときの私で、そのときの殿下はそのときの殿下。私も殿下も本人でありますが、同時に本人では無いのです。だってもう戻らない時間の私たちですから。どれだけ私たちが同一人物でもそのときの私たちに戻れるわけじゃない。私はそう考えます」
ルナベルの言葉にノクティスは衝撃を受けた。
「確かに、そうだ。記憶があっても無くても、巻き戻った時間だとしても、そのときそのままに戻ったわけじゃない。そのときそのままに戻りでもしない限り、別のこと、か」
人が同じでも時間も場所も状況も違えば違うことになる、とようやくノクティスは自分が行ったことの謝罪をしても、今さらだということに気づいた。
「ですから謝罪は不要だと恐れながら申し上げさせてもらいました」
つまり、自分が行ったことは、もう謝罪すら出来ないことだと身に染みた。
「分かった。謝罪は無しにさせてもらう。では、一から始めさせて欲しい」
ノクティスは謝罪することがケジメだと思った。だがケジメにすらならないのだと理解する。自分が彼女に対して行ったことは冷静に考えれば常識も道理も無いことだから謝ってケジメをつけたかった。
でも、あのときの自分でも無く、あのときの彼女でもない自分たちには、記憶の有る無しなど関係なく、最早戻らない時間だ、と他ならぬルナベルに突きつけられて、ノクティスは再び己の愚かさを内心で嘲笑した。
「畏まりました。記憶は有りませんが殿下が私に行ったことは把握しています。ですが、それは口にしても仕方がない過去、と割り切りまして、殿下のそのお言葉に従いましょう」
ルナベルとて記憶は無くとも聞かされた前回のことに思うことが無いわけじゃない。でも、自分では無い自分に謝ってもらっても、殿下はスッキリするかもしれないがルナベルはモヤモヤした気持ちになる。だったら、謝るのではなく一から始めたい、と言われた方がルナベルもまだ納得がいった。
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