彼の代償。その1
「ラーラ」
全てを聞き終えたナハリの声は、異様に掠れている。大国の国王の座に着いてから二十年以上。足の引っ張り合いに巻き込まれることもあった。だが、今まで揺るぐことなど無かった、その男の声が掠れてしまうほど、揺らいでいる。
国王の重みの乗った声が、失せている。
「なんでしょうか」
夫の、国王の呼びかけにラーラは淡々と返す。
ナハリは、今までラーラが自分に少し素っ気ないと思っていたが、王太子の婚約者という立場が、そして婚姻してからは正妃という立場が彼女に冷静さを与えているのだ、と思っていた。
だが、こんな話を聞いてはそんな呑気な問題ではない、ということは、もう分かる。
「正妃の座を降りたいのか」
これを訊ねるべきじゃない。
分かっているのに訊ねた。
「まさか。今さら正妃の座を退いて、新たな火種を燻らせる気は毛頭無いですわ」
国の大小に関わらず、政の中枢が揺らぐようなことがあれば、困るのは国民だ。特にレシー国は大国という位置づけのある国。周辺国からも一目置かれ、時に頼られ時に目の上のたん瘤のように扱われ。だが、周辺国は、この国の意見を無視することは出来ない、重要な国という位置でもある。
そんなレシー国の正妃という立場で軽々しくその座を退くことになったとしたのなら、国内外から痛くもない腹を探られるだけではなく、空いた座を埋めようと躍起になる者ばかりだ。
そんな政争の火種を撒くようなことをわざわざするつもりはない。
国と民を火種に巻き込まれるような事態に追い込む気はないから。だから正妃の座から退くつもりは無い。もしも退くことになるのだとしたら、正妃の座を譲れるような相手を見つけてから、ということになる。
「そうか、そうだな。では、そなたは何を望む」
ラーラは自分に一歩引いたところがあるが、聡明な女性だ。正妃の座を退くわけがないか、と安堵の思いに包まれながらナハリは尋ねる。
「望み? この巻き戻り現象に終止符を打ちたい、ということだけですわ」
もう繰り返される人生に疲弊している彼女の、心からの叫びにナハリも口を閉ざす。
「あなたへの愛情は枯れてますが、国王としてのあなたは敬うに価する方だと思っております。そのあなたの治世を支えることに何の不満もありません。巻き戻り現象を終えて、大切な子どもたちと友人たちと日々を穏やかに過ごし、あなたの隣で責務を果たす。私の人生はそれで良い、と思っております」
ラーラは今後のことについても、そのように語る。正妃として、王であるナハリの隣に立つことは当然のことなのだろう。
「そう、か。ならば、余は……なにか代償を支払う必要があるのではないか。どのような代償なら良いだろうか」
巻き戻りについての記憶は無いが、事の始まりは自分だと言うのであれば、その代償を支払うことは必要だろう。
「あなたが代償を払うのは、当然と言えば当然でしょうが」
ラーラはそこで言葉を区切り、メルトを見る。眠り病に罹っていた分、体力も気力も無い友人の方が、当然詳しく。こういった不思議な力に関することは彼女を置いて尋ねられる者などない。
メルトはラーラの視線に、何を尋ねたいのかきちんと理解しているようで小さく頷くと、ナハリを見た。
「陛下、陛下が事の始まりゆえに代償を支払う必要があるのは、当然でしょう。ですが、正直なところ私でも分かりかねます。本当ならば、陛下がラーラに突きつけた婚約破棄を取り止める、撤回する、ことが一番良いのですが、それは無理ですから。陛下が代償を支払おうと考えなさるのは構いませんが、どんなことをすれば代償を支払えるのか、私では分かりません」
メルトはバッサリとナハリの申し出を切った。
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