始まり。その5
「ナハリ、あなたの私への、婚約破棄の申し出を止めること。これが抑々の巻き戻り現象の始まりだった。巻き戻るかどうか、それは分からなかった。でも成功した。つまり巻き戻った。そして、婚約破棄は無くなり私はあなたと結婚した。……それで良かったのなら、こんなに何度も巻き戻り現象が起きるわけが無かったのよ」
ラーラは皮肉と自嘲とを兼ねた笑みを浮かべて続ける。婚約破棄を止めたいのに、婚約破棄そのものが無かったことになっている。それでは巻き戻り現象が終わらない。
つまり、推測から考えれば。
巻き戻ったのなら、同じようにイドネが自作自演で毒入り事件を起こし、その犯人に仕立て上げられたラーラを信じず、ナハリがラーラに婚約破棄を宣言する。その後でイドネの自作自演だと判明するなり、ラーラが犯人だと信じて済まなかったと謝罪するなり。
そうして婚約破棄宣言を撤回する。
これこそが巻き戻り現象を止める方法なのではないか、ということ。
何故なら、ナハリがラーラに婚約破棄を宣言したことを取り消したい、と願ったから。
ナハリに記憶が無いことに意味があるのか、それは分からないが、婚約破棄を宣言し、後に婚約破棄宣言を撤回しなくては巻き戻り現象は終わらない、ラーラやメルトたちはそのように考えた。
それが出来ないから、状況も立場も時間も変わったが、ナハリはイドネを“妻”として迎えたのでは、と。
ラーラが死んでしまった後に、ナハリがイドネを正妃に迎え入れた最初。それからイドネの本性を知ったから、巻き戻って婚約破棄を取り消したいと願ったのに、婚約破棄そのものが無くなってしまった巻き戻った一回目。
どこかで誰かが婚約破棄という事実を行ったかもしれないけれど、それは今となっては判明しようもないこと。
分かるのはナハリとラーラの代わりに誰かが婚約破棄をして、誰かがされたはず、ということ。
そうして、巻き戻りの世界の秩序が保たれている、と思うこと。
そうでなければ、ラーラは何度もナハリに婚約破棄されているだろうし、何度もこんなに心を擦り減らすような真似をされないはずだから。
ラーラを嵌めた女に騙され婚約破棄されただけでなく、その女を正妃に迎え入れただけでなく。
その女が自分の思ったような人ではないことを知って、本性を知り絶望して学友だったメルトを死なせたのに。
巻き戻って婚約破棄を取り消したい、と望んだ男は記憶を保持することもなく、婚約破棄そのものが無くなったのに側妃として迎え入れて。
それどころか二人目の側妃を迎え入れたが、それは一人目の側妃への嫌がらせ、というもので。
これが巻き戻り現象の結果というのなら、ラーラのナハリへの愛が擦り減ったという事実しか残らない。
そして、何度も巻き戻りなんて起きて、愛がゼロに消え失せたと言う事実が増えていく。その結果が今、であってその事実をナハリは知らされているのだが。
「ナハリへの愛など枯れ果てたけれど、それでもあなたが私への婚約破棄を後悔していた最初の時点に嘘は無かった、と私もメルトも考えている。でも前回、婚約破棄の宣言などされないどころか、結婚後にイドネとその元夫の愛人との諍いに巻き込まれ、メルトが刺された事件を分岐点とした巻き戻りで、メルトがナハリの第三側妃にさせられ、女児を産み、その子がノジ公爵家に養女へ行ったのに、他国の伯爵夫人になって、その子が産んだ娘が第二王子の婚約者になったと思ったら婚約破棄されたことで、もう本当に巻き戻り現象を終わらせたい、と思ったわ」
友人の娘や孫を不幸にする気なんて、私には無いもの、とラーラは悲しみを堪えるように言った。
「そうして、また巻き戻り現象が起きた。今回は更に不可解な時点だったわ。なんの事件も起きてない、普通の日だったから」
だけど。また起きた巻き戻り現象をもう終わらせたい、と願った私たち。
メルトが先に代償を払ってみるのはどうでしょう、ということで、メルトは眠り病に陥った。メルトが自分の心身の不自由さと引き換えに、少しでも巻き戻り現象の代償を支払えることを願って。
「メルトが言ったのよ。私が目覚めたときは、多分巻き戻り現象の代償が終わっているのではないか、と」
それが今回、メルトが眠り病に罹った真の理由だったらしかった。
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