元ヤン、戦う!
再び着替えて庭に出た。今の私は、シャツとパンツのラフな服装で、水色の髪はリボンでまとめている。
準備運動の後で、指もパキパキ鳴らした。花壇から引っこ抜いた角材もあるし、今日の私は絶好調!
「受諾の条件が、まさか手合わせだとは……」
義兄が驚き呆れている。
なのにちゃんと付き合ってくれるあたり、本当に私の事が好きなのかもしれない。
「さ、義兄様。遠慮は要らないから、じゃんじゃんかかって来て!」
角材に対して武器は要らないだなんて、絶対に私を舐めている! それにオーロフは男性だけど、日頃城の中で事務仕事をしているのだ。密かに鍛えていた私の方が、断然有利に違いない!
「それで? 確認しておきたいんだが。私が勝てば、お前は私のものになるんだね?」
「そ、そうだけど。でも、手加減はしないから。剣術の型とか関係無いからね」
要は勝ちゃあいい。
それに私は、自分より弱い男と結婚するのは嫌だ。
まあ、好きにはなっちゃったけど、恋愛でなく結婚するなら腕っぷしは大事! この世界に転生してから一番長く一緒にいるのに、私は兄の戦う姿をまだ一度も見た事が無い。コレットさんいわく、『ラノベ』の通りならそんなに弱くないって事だったけど……
「構わない。本当にお前は、見てて飽きないね? そんな所も好きだけど」
義兄が唇に手を当ててクスリと笑う。
「なっ、何を!」
まさかの心理戦?
動揺した所を叩こうとしているのか!?
「もうっ、バカにしないで!」
動いたのは私が先だった。
義兄はただ、笑っているだけ。
余裕の笑みを消したくて、地面を蹴って間合いに飛び込む!
「とうっ」
振り下ろしたが、あっさり避けられた。角材の届く範囲にもいない。
「どうした?」
オーロフったら、いつの間にそこへ?
ブンブン振り回しても、全く当たらない。長身の義兄は、角材に当たる寸前で華麗に躱す。緩急をつけているのに動きを読まれているのか、かすりもしない。
涼やかな顔は汗一つかいておらず、一つにまとめた茶色の髪も乱れない。私だけが攻めていて、義兄は全然手を出して来ないから、余計にムカつく!
前回のジュール様との時は、拳と蹴りだった。角材の方が動きが速く自信もあるのに、全部避けられるってどういうこと?
「もうっっ!」
きっちり腕立てしてたし、騎士団副団長のジュール様にも「これからイイ線行くと思う」と言われたから、ちょっとはいけると期待したのだ。
義兄だから、もちろん本気で傷つけるつもりはない。だけど、ここまで自分がひどいとは思わなかった。
それともこっちの世界のイケメンって、みんなこんな感じなのかな?
「リーナ、昨日倒れたばかりだ。あまり無理しない方がいい」
「なっ、いったい誰のせいだと……」
肩で息をし出した私を心配しての、義兄の発言だと思う。だったら避けてばかりいないで、正々堂々向かってきて欲しい。
心配そうに近づく義兄が、私の眼前で動きを止めた。そこで私はチャンス! とばかりに、角材を思い切り振り下ろす。
「タァーーーッ!!」
「おっと」
パァァン
角材が手から勢いよく弾け飛んだ。
「およ?」
「すまない、怪我は無かったか?」
義兄が長い脚を振り上げて、私の持っていた角材を蹴り飛ばした事がわかった。
ず、ずるい!
そんな技ができるなんて聞いてないんだけど。
……っていうか、手脚が長いのってケンカでは有利だよね? しかも今、動きが全く見えなかったんだけど。
「な、何でぇ!?」
「言って無かったか? 体術ならジュールよりも得意だ」
「はあぁぁ?」
おかしーだろ。
騎士でも無いのに喧嘩も強いってズルいだろ!
義兄に何一つ勝てない自分が悔しくて、私は怒りに任せて拳や手刀、蹴りを連続で繰り出した。
ドガッ ガッ ガンッ
今度は攻撃を全て肘や脚、手で止められてしまう。最小限の動きでの的確な受けとめ方に、感動すら覚えた。なんだろう? 義兄には全然勝てる気がしないんだけど……
両親が留守で良かった。こんな姿を見られようものなら、母様にまたこっぴどく叱られる。
「ハア、ハア、ハア……」
「もういいか? そろそろ疲れたんじゃないのか?」
た、確かに疲れている、けど。
こんなに手応えが無いとは思わなかった。
ジュール様は、近づいただけで強いというのがわかる。でも義兄は、普段飄々としているから、気づけなかった。騙されたみたいで、なんか悔しい!
まあ、自分より断然強いっていうのは、よくわかったんだけど……
「くっそーーー!!」
残った力を振り絞り、頭から義兄へ突進する。
もうまったく伯爵令嬢らしくないけれど、泥臭くあがいても、一発ぐらいは決めたい。
ドンッッ
あれ? 避けてない。
義兄のお腹に頭突きをした私は、まともにくらった彼と一緒に地面に倒れ込んだ。
「やった!」
気分はちょっぴりラガーマン。
義兄の上に乗っかった身体を得意げに起こすと、愉快そうに煌めく金色の瞳と目が合った。
「随分積極的だな、リーナ」
「……へ?」
よく見たら、私は草の上に義兄を押し倒したような恰好だ。
彼の胸の上に手をついて上体を少しだけ起こしているけれど、腰にしっかり手が回されているため、これ以上動く事ができない。
端整な顔が、すんごく近いのですが……
手を突っ張って身体を引き離そうとしたけれど、義兄は義兄で離すまいとでもいうように、両手の力を強めた。私が倒したはずなのに、捕えられた気分になるのはどうしてだろう?
「お前に外で襲われるとは、な」
「はい?」
いや、そんなわけ無いし。
っていうか、絶対わざとでしょ?
義兄様、わざと避けずに受け止めたでしょ。
「指が……」
「えっ?」
「先程のでやはり、傷ついたか」
義兄はそう言うと、私の手を取った。
角材を弾き飛ばされた時に、人差し指がちょこっとだけ切れちゃったみたい。まあ、ケンカしたらこれぐらいは当たり前だから、全く気にならない。
オーロフは私の指を自分の口に含むと、おもむろに舌で舐め始めた。ちょっと待って。指だけとはいえ、これはかなり恥ずかしい!
「な、なんで!?」
「なんでって、消毒だが。まさかリーナ、指だけでは物足りないのか?」
そんなわけあるかーーい!
くすぐったいし、すんごく恥ずかしいんだけど。
今の私は頬が熱くて涙目だ。
見上げると、義兄が笑う。私の反応を面白がっている様子が、ありありと窺える。だけど――
「義兄様、もう勘弁して」
「義兄ではない。オーロフだ」
言いながら、義兄が優しく私の髪に触れる。途端に私の胸は、掴まれたように苦しくなった。
少し掠れた声が好き。
嬉しそうに笑う顔が好き。
私だけを見つめる金色の瞳が大好きで、その輝きに溺れてしまう。
私はこれから先も、きっと彼には敵わない――
「オーロフ、もう降参」
「降参って事は、お前の負けでいいんだな?」
「うん! ……って、あ」
私を抱えたままガバッと起き上がった義兄……オーロフ。満面の笑みを浮かべると、そのままギューッと私を抱きしめ、髪や顔中にキスの雨を降らせた。
「嬉しいよ、可愛いリーナ。絶対幸せにする。お前が望むなら、時々こうして手合わせしよう!」
すっかり忘れていたけれど、義兄が勝ったら彼のものになるって約束だった。
ついうっかり負けを認めてしまった。でもどうせ勝てないから、良かったのかな?
これ以上あちこち触られるのは、刺激が強すぎて無理だし。もしかして私、ケンカよりセクハラに弱いって事?
義兄の嬉しそうな顔を見たら、もう何も言えないや。汗とほこりまみれの私を「可愛い」なんて言う人は、世界中探してもきっと彼くらい。「嫌われたらどうしよう」って悩んでた自分が、何だかバカらしくなってきた。「義兄に相応しくない」と不安に感じた自分が笑える。
これからの事は元ヤンらしく、腹を括って根性で乗り越えていけばいいのかな?
「さあリーナ、続きは屋敷に戻ってからにしよう」
は? 続きって何の?
手合わせは終わったよね。
…………ま、まさか!!
手を引いて私を立たせたオーロフが、整った顔にニッコリと、それはそれは綺麗な笑みを浮かべた。




