義兄の好きな人
「話はわかった。だがリーナ、私からもいいだろうか」
私が頷くと、義兄は少しずつ自分の気持ちを語り出した。
「今のお前では、わからないかもしれないが……初めて外の世界を見せたいと、私が言った時の事だ」
それならさっき夢で見た。
セリーナがほんの少し元気な頃、側には少年のオーロフがいた。
「覚えていなくても構わないから、聞いて欲しい。あの時お前は、私とデートがしたいと口にした。大きくなったら結婚して、私のお嫁さんになりたいと言ってくれたね」
それは、セリーナの言葉だ。
まだそれほど真剣ではない、淡い恋の思い出。
「当時の私はお前の気持ちを真剣に受け取らず、はぐらかしていた」
お互い子供だったから、仕方がないでしょう。
「成長し病が進行するに連れて、お前は頻繁に私を好きだと言うようになった。光栄な事だが他の異性を知らないため、私に固執していたのだと思う」
いいえ。それだけは断じて違う!
私は元のセリーナのために、慌てて首を横に振る。
彼女は本当に義兄が好きだった。あの気持ちは本物だから、否定なんかしないで!
「本当は……お前が長くはないと知っていた。できるだけ、お前の望みを叶えてやりたかった」
やっぱり兄としての義務感だったのか。
何だかすごく胸が痛い。
「だから好きだと言ってくれたの? 私が願った通り、結婚して欲しいと言ってくれたのは、そのため?」
「なぜそれを? まさか、全ての記憶を思い出したのか?」
驚いて目を見開く義兄に、私は首を振って否定する。
わかるのは、夢で見た事だけ。セリーナの記憶は残っても、中身は全然違う。
「そう、か。その方が良いかもしれないな。義妹として大切に思っていたのは本当だ。しかし、あの時私はお前に嘘を吐いていた」
「嘘?」
一応聞いたが、この後の言葉は予想できる。
『異性として好きなわけでは無かった。結婚して欲しいと言ったのは嘘だ。元気になった今、私は必要ないだろう? 両親と一緒に領地に戻った方が、お前のためになる』
義兄は私に、そう告げるのだろう。
「すまない、セリーナ。あの時はお前に乞われるまま、言葉を連ねた。本当に結婚を考えていたわけではない」
予想通り……
わかっていたとはいえ、涙がこぼれそう。
もしかして、この後本当に結婚したい女性の名前を言うの? 私の知らない誰かと幸せになると、宣言するつもり?
「私が心から好きで結婚したい女性は、ただ一人」
口にしながら、義兄がこちらへ歩み寄る。
私は鋭く息を吸い、痛みに耐えようと固く目を閉じた。次いで手のひらに爪が食い込むほど握りしめ、息を止めて待つ。
耳を澄ませているものの、相手の名前がなかなか告げられない。
不思議に思って目を開けると…………なんと、義兄が私の前に跪いている!
「……え?」
オーロフは私の手を取ると、真剣な表情で私を見据えた。
「リーナ。私は今のお前が好きだ。日々を楽しみ懸命に生きようとする姿勢が、眩しく愛しい。私はいつしか、お前を他の男に渡したくないと考えるようになっていた。どうか私と結婚して、この先もずっと側にいてほしい」
「え? あの……」
今の言葉はいったい何?
「結婚して欲しい」ってセリーナに言ったのは嘘だったけど、治ったから結婚しようって事? それってやっぱり、セリーナの最期の言葉の影響を受けているんじゃあ……
「リーナ、返事は?」
「ええっと、どう言えば良いのか……」
頭の中がごちゃごちゃで、よくわからない。まさか、義兄が私にプロポーズするなんて、考えてもいなかったから。だってこの前「間違えた」って言ってたよね? 爵位を継いだら結婚するのかって聞いたら、柄にもなく照れてたし。
セリーナからも私からも解放してあげようと、覚悟を決めた途端にこれ? 何このどんでん返し。
「言葉がないなら頷くだけでいい。それともやはり、グイード様が好きなのか?」
目を細め、探るように見つめる義兄。
どうしていきなりグイード様?
……あ、そうか。今の今まですっかり忘れてたけど、プロポーズを先にしたのはあっちだ。
まあ最初から、彼と結婚する気は無い。
「いいえ。グイード様には、お断りするつもりでした」
「リーナ、だったら!」
オーロフの顔が一瞬、喜びに輝く。
だけど私は、彼を解放するべきだ。頭の良い彼の結婚相手が私では、全く釣り合わない。
義兄はセリーナとの約束に縛られて、私を好きだと勘違いしているだけなのだろう。ただでさえ冷たい印象のオーロフは、モテるといっても近寄りがたく、女性に免疫なさそうだ。
「義兄様は、義妹としての私が好きなだけではないの?」
思っていたより冷静な声が出た。
好きだから……彼には義務で結婚してほしくない。
「いや、もうとっくに義妹とは思えなくなっている。それに、義妹と思う相手に手を出すほど、女性に不自由してないが?」
……え? そ、そうなんだ。
それなりに経験あるって事?
どこにそんな暇が……じゃあ、彼女いない歴=年齢じゃ無かったって事だね。
「あの、でも伯爵になって結婚するのよね? 相手の了承を得ていないっていうのは……」
「ああ。伯爵夫人になってほしいと、お前に告げる暇が無かった」
「はい? じゃあ、話があるって言ったのは……」
「これからは男として見てほしい、私と一緒になってこれからもずっとここで暮らしてほしいと、そう告げたかった」
オーロフが立ち上がり、髪をかきあげた。
その仕草が妙に色っぽく、私は目を奪われる。
だからって、ここで惑わされてはいけない。
「じゃあ、私の部屋でだ……抱き合った時に『間違えた』って言ったのは? 誰かと間違えたんでしょう?」
「そんな事を言ったかな?」
「絶対に言った!」
「思い出すから待って…………ああ、手を出す時期を間違えたって、考えていた」
「へ?」
「きちんと段階を踏むつもりだったから、正式に爵位を得るまで待とうとしていた。そのせいで、グイード様に先を越されてしまったが」
そうだっけ?
じゃあ、あの時の色仕掛けは失敗していなかったって事?
かぼちゃパンツ、最強説。
あ、でも義兄にはちゃんと白状しておかなくちゃ。
「ええっと、以前のセリーナと今の私とでは、全くの別人です。だから最期の約束にこだわる必要は……」
「さっきも言ったはずだ。私は今のお前を愛している」
どっっわ~~!
サラっと言っちゃったけど、聞いてる私の方が恥ずかしい。
顔が熱くて心臓もバクバクしているけれど、手遅れにならないうちに、私の正直な気持ちを伝えておこう。
「だけど不安なの。頭の良いお義兄様はバカな私に飽きて、いつか捨ててしまうでしょう? 嫌われるのは耐えられない。一番好きな人に捨てられるのは嫌!」
大切な人と恋愛するのは怖い。
突然終わりを告げられたら、私の心は壊れてしまう。
真剣に言ったはずなのに、なぜか義兄が片手で自分の口元を押さえた。耳が少し赤い。
「……義兄、様?」
「すまない、好きだと言われて感じ入った。そうだな、私がお前に飽きることはないと保証する。嫌うどころか、私の方が飽きられて簡単に捨てられてしまいそうだ」
「そんな!」
それこそあり得ないし、そんなにもったいない事をするはずが無い。
「リーナ、私を信じて結婚の申込みを受けてほしい」
どうしよう?
私はこれからもずっと、彼の隣にいていいの?
オーロフは、セリーナではなくリーナとして、私自身を見てくれている?
でもあと一つだけ、どうしても確かめたい事があった。
恋を夢見た私にとって、一番大事な条件だ。
私は義兄に、ある事をお願いした。




