黒い翼
義兄のめでたい話に両親がいたく感激したようで、わあわあ騒ぐ声が夜中まで聞こえていた。今まで妹ばかりを優先していて堅物だと思われていた兄。そんな彼に大事な人がいたというだけで両親は大喜び! ましてや結婚まで匂わせていたから、余程酷いご令嬢じゃない限りきっと反対はされないと思う。
未来の義姉がどんな人なのか、気にならないと言えば嘘になる。彼が好きになったのはどんな人なんだろう? 爵位が無いと結婚してくれないような人なの?
この世界で最初に私を受け入れてくれた義兄。
離れる覚悟もないまま、オーロフをとられてしまうのは複雑な感じがする。まだ「ハズレ」だと言われていないだけマシなのかな。バカな義妹だったけど嫌われたわけではないよね?
もしここにいるのが本物のセリーナだったなら――
兄はここまで結婚を急いだり追い出そうとしたりはしなかったのかな。もっと長く一緒にいる事ができたのかしら?
ああ、また落ち込んでしまった。
今夜はなかなか眠れない。
やっぱ両親と一緒に領地に行って冷静になった方が良いかもしれない。いつまでも義兄にベッタリではいけないし、愛する人といちゃつく義兄をすぐ傍で見るのは、何だかとっても嫌だから。
夜更けにノックの音がしたけれど、かなり遅かったのでそのままにしておいた。母が様子を見に来たのかもしれない。まさか義兄じゃないでしょう? 『私と話がしたかった』とは、爵位を譲り受けるという報告かしら。それとも「結婚するから出て行ってくれ」と頼むつもりだった? もしかして嫌われていたら、と思うと怖くて聞けない。
寝たふりをしていたら、その人は部屋に入らずに帰って行った。
翌朝――
義兄の爆弾発言が衝撃的で、食欲が無い。
両親は一足先に領地へ引っ込むという事で、王都にいる貴族達へ挨拶回り中。義兄は今朝早くから仕事に出掛け、家にはいないそうだ。兄の相手はお城で働いている人? コレットさんと同じく職場結婚? 仕事のし過ぎに気を付けて身体を壊さないといいんだけど。義姉になるのが優しい人で、彼を気遣ってくれれば良いのに。
義兄の事をそこまで想っていたなんて、自分でもビックリだ。昨日コレットさんに気づかされてようやくわかった。今まで私はセリーナの記憶のせいにしてたけど、本当は最初から彼が気になっていたのかも。実際に兄妹として長く過ごしたわけではないし『お仕置き』が好きなわけでもないけれど、私のためを思う助言もダンスレッスンも今考えれば楽しかった。
「あーもう! 朝から落ち込んでいる場合じゃないな。兄様の幸せを思うのなら、潔く撤退しないと」
うじうじ悩んでも仕方が無い。
彼が好きだと自覚したのは昨日の事。
だけど、気づいたばかりの想いはあえなく玉砕。相手がいて結婚まで考えているのなら、選ぶだとか考えるまでも無かったな。
ぐるぐる考えながら庭を歩いていた。
すると、辺りに急に影が差した。
不思議に思って見上げた先には大きな黒い翼。
飛竜だ!
黒い竜は上空で大きく旋回すると我が家の門の向こうに降りるようだった。思わず見に行こうと走り出す。
「お嬢様、勝手に行かれてはなりません!」
侍女の制止を振り切る。
誘拐の時はお腹が空いて#朦朧__もうろう__#としていてせっかくの機会を逃してしまったから、近くにいるなら是非見てみたい。日頃義兄に内緒で庭を走り回っているから、体力には自信がある。
門を開けて外に走り出たら、そこに大きくて黒い飛竜が見えた!
「うわあぁぁ、すっげぇ!」
感動で声が震えてしまう。
さっきまで落ち込んでいたから、余計に嬉しく感じてしまう。恐る恐る近付いた。その飛竜の目は赤く、真ん中が黒くて昼間のせいか今は細い。きちんと躾けられているのか、近くに行っても伏せたままでまったく動かない。
「やあ、セリーナ」
「グイード様!」
乗っていたのは予想通りの人物だった。
黒の軽量鎧を着こなして本日も大人の魅力全開! 彼は降りると私の前に立ち、手の甲にキスを落とすとこう言った。
「ちょうど上から君の屋敷が見えたから。会えるとは思っていなかったけれど、会えて嬉しい。今日もすごく綺麗だね」
さすがである。
自然に褒め言葉を挟んでくる。
だからご婦人方が列を作るのね?
でもグイード様には悪いけれど、今の私は飛竜の方が気になる。前回じっくり見られなかった分、今回よーく見てみたい。
「お上手ですね。で、触ってもよろしいですか?」
飛竜を撫でてみたくてうずうずする。
グイード様の竜は他よりも一回り大きくとても立派だから。
「私に? それともグランに?」
「グランって言うんですね! カッコいいし素敵です!」
「私でなくて残念だよ。グランに嫉妬してしまうな」
まったまた~~。
他の女性に褒められ慣れているでしょうに。どう返していいかわからないから、笑ってごまかしておこう。
「君の笑顔の前では誰も逆らえないな。どうぞ。顔は危ないから首を触ってあげるといい」
そう言って付き添って下さった。
グランと呼ばれた黒い飛竜は知らんぷり。
でもいいの、触れるだけで。
爬虫類みたいなものだから、トカゲか蛇みたいな手触りだと思っていたら全然違った。うろこはガチガチに堅いし、一枚一枚がとても大きい。背中に鞍みたいなものを付けて座れるようになっている。
「すごく立派です。さすがはグイード様の飛竜ですね!」
「ありがとう。私への褒め言葉として受け取っておくよ」
相棒を褒められたグイード様は嬉しそう。
あら? でも……
「お仕事中だったのではないですか? 国境沿いの件は片付いたんですか?」
「もちろん。この後は自由だ。良かったら乗ってみるかい? この辺をぐるっと回ってみよう」
それは嬉し過ぎる!
でもさすがに勝手に家を離れるのはちょっと。
そう思っていたらタイミング良く、侍女が護衛を連れて来た。
「お……お嬢様……この……方は?」
走って来たからか、肩で息をしている。
「飛竜騎士団団長でついでに王弟のグイード様」
「ついで、とはひどいな」
グイード様が口に手を当て面白そうに笑う。片や侍女と護衛は慌てて深くお辞儀をしている。
ああ、そうか。
王族相手はこれが正しい挨拶なのね? 何か今までの私ってダメダメだったかも。
「どうした? うかない顔をして」
「あ……いえ。それよりもリリア、ちょっと外出してくるから後はよろしくね!」
「え? 外出って……未婚の女性が伴も連れずにいけません!」
「そんな堅い事言わなくても良いでしょう?」
「それなら、わ……私もお連れ下さい」
でもリリアったら、思いっきり怖がっているよね?
「悪いね、二人乗りなんだ」
グイード様もここぞとばかりに加勢して下さる。
「旦那様や奥様、オーロフ様にわかったら何を言われるか!」
義兄の名前が出た途端、胸が痛んだ。
この痛みを忘れたい。広い空で気晴らししたい。
「大丈夫。リリア達が黙ってくれればバレないって!」
私を横目で見ていたグイード様が、言葉を続ける。
「暗くなる前に帰すと約束しよう。セリーナ嬢に何かあれば全責任は私が取る」
何かあればって――
墜落するとか着陸先で迷子になるとか?
だ……大丈夫、なんだよね?
結局王弟様には逆らえなかったのか、それ以上何も言われなかった。グイード様に手を貸してもらって、鞍の上に腰かける。本来ならお上品に横座りするべきだろうけど、危ないのでしっかり#跨__またが__#っている。どうせ下にかぼちゃパンツみたいなもの……ドロワーズだっけ? を履いてるし。名前を教えてくれた人を想うとちょっとだけ悲しくなった。いけない、せっかくの飛竜だ。楽しもう!
グイード様がしっかり背中を支えて下さるから、安定感も抜群! 彼の合図で黒い翼を羽ばたかせ、飛竜のグランは空へと舞い上がった。
「す、すごい! すご過ぎる!!」
樹々や邸宅があっという間に小さくなった。
カーペットの模様のような赤や黄、緑といった色とりどりの畑が眼下に拡がる。山や川もおもちゃみたい。飛竜のスピードはとても速くて風が肌に心地良い。バイクを飛ばしていた時よりも、ずっと気分が良くてスカッとする。
「怖くないかい?」
「まさか! ずーっと乗っていたいくらい」
興奮してニコニコしながら後ろのグイード様を見上げる。彼の彫りの深い顔には笑顔が浮かび、淡い青の瞳も煌めいている。
「そう。だったらこのまま君を攫って行こうかな」
「ふふ。それで今度はグイード様が誘拐犯ですか? まったまた~」
変な冗談を言う程リラックスされているのね!
でもこれほど気持ちが良いと、悩みなんて些細なものに思えてくる。
明日からまた、頑張ろう。
クヨクヨするのはもう止めよう。
大空を飛びながら、昨日気づいたばかりの感情が空の間に溶けてくれる事を願った。




