後日談〜君を探して
月日が経つのは本当に早い。
私――ヴァンフリードがラズオルの王太子から国王になって、あっという間に三年が過ぎた。
王太子時代から政務のほとんどをこなしていたから、国王となるのに支障は全くなかった。いや、全権を行使できるようになった分、執務がスムーズになったというところか。
筆頭秘書官で妻の義兄、我が国始まって以来の秀才と謳われるクリステル伯爵の助けもあった。彼の力を借りて整備した結果、ここ何年かでラズオルの教育水準は飛躍的に上昇した。全国に設置した『学校』や『高等学校』にも進学希望者が後を絶たない。平民出身の優秀な文官も徐々に増えたという。それもこれも全ては、我が愛しき王妃のお陰だ。
請願書の山を片付け書類にサインをし、ひと段落した所で王妃の顔が見たくなった。今日は予定がないので、彼女はどこにも出かけていないはず。城のどこかにいるだろう。用もなく呼びつけたら「お仕事中ベタベタしようとしないで!」と、説教されてしまいそうだ。それなら自分で探しに行こうか。
幸い、一番のお目付け役であるクリステル伯爵――オーロフは席を外している。抜け出すなら今だ! 一通りの執務が終わったことをアピールすべく、書類の束を机の上にひとまとめにして置く。代わりの秘書官にその旨を伝えると、私は執務室を抜け出した。
さあ、セリーナ。君を探そうか?
今でこそ楽しい気持ちで君を探しに行ける。
だが五年前、君を永遠に失ってしまったかもしれないと思いながら、町や海を必死に探すのはとても辛かった。歩きながら思いはふと、当時に戻る――
伸ばしても届かない手、叫んでも届かない声。
海に向かって落ちる君が見せた儚い笑顔。
私はずっと、後悔に苛まれていた。
もう少し、あと少しで掴めた幸せ。
君を捉えたいと願いながら捉えられていたのは私の心。
なぜあの時、助けを求めた君にすぐに手を貸さなかったのか? 私は自分で自分を呪った。だからだろうか? 夜毎の夢に出てくる君はいつも悲しそうな顔をしていた。
こんなはずではなかった。
私は君を誰よりも幸せにするつもりだった。
後悔のあまり夜も眠れず、食事も喉を通らずに、憔悴していく自分がわかった。
けれど私は諦めきれない。
毎日、狂ったように君を探した。
古城の周りや海岸、シンや近隣の港町、海の中まで潜らせた。どこにも君はいない。年頃の娘がいると聞けば人を送り確認させた。水色の髪や緑の瞳を持つ娘がいる家には、遣いを走らせた。だがセリーナ、君ではなかった。使者を送り出す度に、期待は高まる。けれど、帰還した彼らの表情を見るたびに私は打ちのめされていた。最悪の想像が頭をよぎる。君はもう、この世のどこにもいないのではないか、と。
政務をおろそかにすることはできない。
彼女の義兄のオーロフも私を「許さない」と言いながら、業務は真面目にこなしている。諦めきれない想いを封じて捜索を縮小し、真剣に執務に取り組もうと思った矢先――
『セリーナ様は生きています! 漁師に保護されているかもしれません』
そう兵士に訴える声を聞いた。
それは、セリーナが親しくしていた図書館の司書だった。セリーナは彼女に懐き、図書館に何度も通っている。女のカンというやつだろうか? 信じてみたい。セリーナ、私はやはり君を探したい。
重点的に漁師のいる町を探させた。
漁師の見習いとして何人も潜り込ませ、漁や寄合などに参加させ、どんなにつまらない噂話でも報告を聞く。今回ばかりは彼女の義兄であるオーロフも何も言わない。その代わり、執務が滞る事は許されなかった。
そのため私は、彼女が望んだ『こーこー』とやらの草案に着手した。カレントの大使であるカルロの助けを借りて専門家も招いて。『こーこー』が出来たら、君は喜んでくれるかもしれない。たとえ夢の中でも、元気な姿で私に会いに来てくれるかもしれない。たったそれだけの理由で、私は学校の整備を他の何よりも優先させた。
学校の下見の帰りに古城近くの海に寄った。
二か月経っても、君の噂すら聞こえてこない。
灰色の海を見つめながら君を想った。
もし戻るつもりがないのなら、せめて私も連れて行ってはくれないか――?
海の底は暗く、孤独だろう。
普段強気な君が誰よりも寂しがりやだということを、私は知っている。
だったらすぐにでも、私を引き摺り込んでほしい。
そう思いながら海を見ていた。
君と私、両方の心配をする妹の声を聞きながら、それでも泣けない自分が悲しかった。
城に戻って間もなくのこと。
ある漁師の家に、水色の髪の娘がいるという噂を部下が聞きつけてきた。漁師仲間が、以前私とセリーナがシンの港町を訪れた話をしていたところ、『俺ん家の娘は……』とその男が自慢したのだそうだ。けれど、どうやら瞳の色が違うらしい。目も見えないと言っていた。
その瞬間、胸がざわついた。ローザから「目に作用する毒を使った」という話を聞いていたから、確信めいたものがあった。今度こそ、私のセリーナかもしれない!
いつもなら使者に確認に行かせるが、はやる心を抑えることができなかった。私は護衛を伴いガレンの港町まで直接向かった。無論、王太子の身分を隠し、ただの騎士として。
目当ての家はすぐにわかった。
白い壁にオレンジの屋根の古びた小さな家。
恰幅の良い中年の女性が一人で家にいた。
「王太子の婚約者によく似た女性がここにいると聞いた。連れて来てくれ」
部下が切り出す。
その女性は我々に挨拶した後、否定の言葉を口にした。
「……だから、それはあの人が隣町で話したからでしょう? 騎士様、あの娘は違いますよ。だって、目が見えないし瞳の色が違うもの」
「噂を聞いて来たんだ。一目だけでいい。会って確認させて欲しい」
気づけば必死に頼んでいた。
なりふり構っていられなかった。
たとえ一縷の望みでも、私はそれに縋りたかった。
話し終える間もなく、家の裏手で大きな音がした。
この家にいるとしたら、まさか――
すぐ裏に回ると、庭に人が倒れているのが見えた。
地面に手を付き、身体を起こそうとしている。
だが、その顔は見えない。
元々目が見えないと聞いていたので、怖がらせないようにゆっくり近づく。
目の前で止まった瞬間、女性が顔を上げる。
信じられないものを見た気がした。
私の願いが作り出した幻ではないかと疑った。
絞りだすように、君の名を口にする。
「……セリー……ナ?」
ずっと会いたかった。
生きていてくれればいいと願いつつも、どこかで諦めてしまいそうな自分がいた。
「いいえ。思いっきり人違……」
感激のあまり、強く抱き締める。
再会した瞬間、変なことを言い出すのは君以外に考えられない!
「良かった、セリーナ! 無事でいてくれて」
安堵と愛しさから、彼女の髪に頬をすり寄せる。彼女が生きて私の目の前にいると確認したかった。もう決して離さないと誓いながら、彼女をきつく抱き締める。
気づけば、生まれて初めて涙がこぼれていた。
決して泣かないように躾けられて育っていたから、私は人前で泣いたことがない。けれど構わない。そのために、君が私の名を呼んでくれたのだから――
「ヴァン。貴方、泣いているの?」
ほら。君はやはり、私の愛するセリーナだ。
「……愛しているんだ、セリーナ。一緒に帰ろう」
君が嫌だと言っても聞くことはできない。
これからずっと離すつもりはないから。
セリーナの返事を聞くや否や、私は半ば強引に彼女を城に連れ帰った。
そして――
「おとーたま」
「やあ、アルフレッド。お母様を見なかったかい?」
回想は中断された。
私は屈んで歩き始めたばかりの息子に声をかける。
銀色の髪に緑色の瞳で首を傾げている彼は、セリーナに似て可愛らしい。
「おたーたま?」
「ああ。探しているんだが、見つからないんだ。一緒に探そうか」
私は息子を片手で抱えると、一緒に部屋を見て回った。
「アル~~! どこに行ったの? あら、貴方」
セリーナが私達に気づき、笑みを浮かべる。
その表情に私はいつも幸せを感じる。
君と出会えて良かったと思う。
「ね? 一緒に探したからすぐに見つかっただろう?」
「おたーたま!」
息子が抱きつく間くらいは我慢ができるようになった。私も心が広くなったものだ。でないと、セリーナに嫌われてしまう。幼い銀色の髪を撫でるセリーナは、王妃であり息子の母であり、私の愛する女性だ。椅子に腰かけ、二人がじゃれ合うのを黙って見ている。
そろそろいいだろう?
アル、次はお父様の番だよ?
私は乳母にアルを引き渡すと、セリーナの手を引っ張った。幸い息子は乳母のことも大好きだ。我が子ながら聞き分けも良い。アルフレッドは自慢の息子だ。
「もう、ヴァン。せっかくアルと遊んでいたのに! それに、まだ昼間……」
慣れ親しんだ部屋へ歩みを進めたまま、私は言葉を続ける。
「おや、何を期待しているの? 私の可愛い奥さんは」
「何って、あれ? 本当に用事? てっきりまた……」
「いや、君の推測は間違ってないけどね。まあ、用事と言えば用事かな? 希望を叶えてあげようと思って。我が国の未来のためにも、ね?」
いつものように彼女を寝室に押し込めた私。
愛してやまない緑色の瞳を見つめ、ニヤリと笑った。
今日も当分、離すつもりはない。
昨日君が口にしたように、アルが寂しがらないよう早く弟妹を作ってあげなきゃね?
子供好きな君を私に縛りつけよう。
だって君はこの先も永遠に、私のものなんだから――
ヴァンフリード編、最後まで読んで下さって本当にありがとうございました(//∇//)。
続いて義兄、オーロフ編です。
書籍(双葉社、Mノベルス)は丸っと改稿しておりますので、ご興味のある方はよろしくお願いいたします♪




