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そして、現実が始まる

「それにしても驚いたよ。まさかあんたが……いえ、あなた様が王太子様の婚約者だったとは。それにしても綺麗だねぇ。すっかり見違えたよ! ごめんね、こんな貧相な家に住まわせて」


「そんな他人行儀な! 今まで通りに接して下さい。おじさんとおばさんが助けて下さったからこそ、今の私があるんです」


「そうは言ってもねぇ……」


「いいえ、私の方こそ謝らなければ。甘えてばかりで身元も明かさず、ごめんなさい。嘘をついたわけではありませんが、目の見えない不安からお二人に頼ってしまいました。この家はとても居心地が良かったから……」


「そう言ってくれると嬉しいよ。あの人が帰ったら伝えとくね。今のあんたを見たら喜ぶだろうさ。それにしても、あんたの瞳は惚れ惚れするような綺麗な緑だねぇ。見えるようになって本当に良かったよ」


「ええ、私も。お顔を直接拝見して、お礼が言えて良かったです。あの時はバタバタ戻ってしまって本当にすみませんでした」


「いいんだよ。忙しい中、こうしてわざわざ会いに来てくれるだけでもありがたいってもんだ」


 私は今、お世話になった漁師のご夫婦の家に挨拶に来ている。今日はこの近くにあるシンの港町で『王立学校』の開校式があったので、その帰り道だ。残念ながら、おじさんは漁に出かけていてお留守とのこと。おばさんは、大きな馬車で突然やって来た私に驚きながらも、歓迎してくれた。


 おばさんは想像していた通りの、柔和でとても優しい顔立ちをしていた。白髪の混じった栗色の髪にふっくらした丸い顔、笑みをたたえた琥珀色の瞳は見ているだけでホッとする。

 私は今の自分の身分を明かし、お世話になったお礼を述べた。滞在させてくれた分の費用と心ばかりの謝礼を渡そうとしたところ、断られてしまった。


「水くさいねぇ。あんたのことは娘だと思ってたんだ。そんなものは要らないよ」

 

「実の母以上に面倒を見ていただき、ありがとうございました。お陰様で充実した楽しい毎日でした」


私は深く頭を下げて、感謝を伝えた。おばさんは「いいのよ」という風に笑って頭を撫でてくれた。

ここを出た日――ヴァンが慌ただしく私を連れ帰った時は、ろくに話ができなかったから。早いものであれから更に一月程経過している。


「それで? 結婚式はいつなんだい?」


「それが、その……」


「今すぐにでも、と言いたいところなのですが彼女がなかなか許してくれなくて。あなたからも説得をお願いできますか?」


 いつの間にか隣に来ていたヴァン。私の肩を抱き寄せて、髪に唇を寄せながら代わりに答える。少し離れただけで心配するのは、恥ずかしいからやめてほしい。


「ありゃ、王太子様! その節は大変失礼を致しました。まさかこの娘があなた様の大切な人だったなんて! 直接お言葉を下さるとは、なんてもったいない」


 言うなりおばさんは、ヴァンに手を合わせて拝みだした。

 すごいな、王家。

 これが普通の反応なんだ。


「どうかお顔を上げて下さい。セリーナにとっての恩人は、私にとっても恩人です。あなた方に恵みと祝福を」


 ますます頭を下げるおばさん。でも、祝福の言葉より現物支給の方がいいんじゃないのかな? いや、人のいいおばさんは受け取らないか。物質的な富よりも心の豊かさを求める人だ。その優しさに、私は随分救われた。

私もおじさんやおばさんを見習いたい。困っている人に手を差し伸べることができる、思いやりに溢れた人間になれたらいいな。


(あが)められ、恐れられる存在よりも親しみやすい王家でありたい。私達にはそっちの方が合っている。以前城でそう言ったら、ヴァンも笑顔で賛成してくれた。

 とはいえ、急な変革は誰も望まないだろうから徐々に。いい意味でこの国を変えていけるような、そんな存在になりたいと願っている。


王太子であるヴァンフリードが作らせた『王立学校』と『王立高等学校』。新しく校舎ができるまで、当面は今ある建物を借りて授業を行う予定だという。身分や男女の別なく等しく学ぶことができるから、人気が出ればいいと思う。カルロ大使の助言を受けて、細かな整備も整いつつある。この国もようやく、教育に力を入れ始めている。


私はもうすぐ王都にできた『高等学校』に通う予定だ。ラズオル国や制度について、ヴァンの助けになれるようしっかり勉強するつもり。学校や勉強が嫌いで逃げ回っていたかつての私とは大違い。前向きで進歩したと自分でも思う。


 学生のうちは真面目に勉強したいので、挙式は延ばしてもらった。挙式の準備や何かで学業がおろそかになってはいけない。けれどヴァンはそれが不満らしく、ことあるごとに結婚をせっつく。愛されて嬉しいと思う反面、忙しかったり、結婚後につわりで授業が受けられなくなるのは絶対に避けたい。でも、もしかしたらもう……

 確認したわけではないから、しばらくは黙っていよう。『授かり婚』はこの国でもあると聞いたから、いざとなったら相談するつもりだ。




 おばさんに別れを告げて、アルバローザの城に戻ることにした。「また来ます」と言ったら、嬉しそうに手を振り返してくれた。おばさんに会えて元気をもらえたから、明日からまた頑張ろうと思う。


 せっかく『すーこーな考え』に浸っていたのに、ヴァンったら馬車に乗り込んだ途端に私を自分の膝に座らせようとする。外から見えていたら、どうするの?

 最初は私が戻ったのを喜んで、ヴァンとの仲を応援してくれていたルチアちゃん。最近はどうやら呆れているようだ。それもこれも、尊敬していたはずのお兄さんが、私にベタベタくっつくせい!


「ちょっと! くすぐったいからあちこち触るの止めてー。王太子がそんなだと、みんながガッカリしちゃうよ?」


「大丈夫、外ではわきまえている。それにしても惜しかったかな? 危なくて外に出せない口実ができるから、君の目が治るのがもう少し遅くても、一向に構わなかったんだがね」


 それは嫌だ。だって、今以上に触られても逃げることができずに、恥ずかしい思いをしなくちゃいけないもの。


 城に戻ってすぐ、私はローザの作った薬で再び目が見えるようになった。飲み薬だったので緊張と不安はあったけれど、信じてみることにした。ローザも自分の命がかかっていたためか、ようやくまともに仕事をしてくれた。

薬を飲んで一週間も経たずに効き目が表れて、最終的には元通り。瞳の色も緑に戻って目が見えるようになったのだ。


 猶予を与えられていたローザは減刑され、死刑を免れた。彼女には是非罪を悔い改めてもらい、できれば薬師として活躍してもらいたい。もちろんヴァンの考え次第で、彼を譲る気は毛頭ないけれど。




 目が治ってすぐ、私は城内の図書館に行ってみた。今回のことやいろんなことをひっくるめて、コレットさんに報告したかったから。彼女にはすごくお世話になったし、同じ転生者としてたくさん助言をもらった。

私が戻ったことを知ったコレットさんは、感激してくれた。私達は二人で抱き合い再会を喜び合った。


『セリーナ様は生きています! 漁師に保護されているかもしれません』


そう言い続けてくれたのは、コレットさんだったという。『ラノベ』のストーリーを知る彼女は、私が生きていると信じて訴え続けてくれたらしい。その言葉を聞いたヴァンが、海の周りを捜索させたり町で噂を集めていたのだそうだ。

私が見えない目で将来を悲観している間に、周りは動いてくれていた。邪魔にならないようひっそり生きていくという私の決意。それは逆に、私を大事に思ってくれる人達を悲しませていたのだと知った。


城に戻ることができて嬉しい。

 家族や大切な人たちにも再び会えてすごく幸せ。

私はコレットさんに、現実は『ラノベ』よりも壮絶だったと話した。すると彼女は私に向かってこう言った。


『それは、そうですわ。だって【事実は小説より奇なり】ってよく言いますものね』


 コレットさん、絶対他人事でしょ。

 だけどそう言いつつ、彼女の目には光る物が浮かんでいた。


『セリーナ様、ご安心下さい。たとえ私の好きなアルロンの通りだったとしても、最後はハッピーエンドですもの。お話はもう終わり。これから先の未来は、ご自分で選んで下さいね』


 そうだよね。

 物語だと『ヒロインは王子様と結ばれましたとさ。めでたしめでたし』で終わるけれど、現実だとそうはいかない。ここから新たな生活が始まるのだ。未来を切り開いていくのは、私。もしかしたら、ラノベよりもずっと過酷な現実がこれからも待っているのかもしれない。


 だけど私は大丈夫。

 愛し愛されることを知ったから。

 私の側にはいつでも、甘やかして励ましてくれる人がいる。助け合い支えてくれる優しい人達がいる。


 だから私はこれから先も、元気に生きていこうと思う。今度こそ前向きに、自分に自信を持って。

 大切な人に捨てられると怯えていた、小さなあの子はもういない。私はここで、愛しい人の傍らで共に歩むと決めたから。




「もうすぐ着くというのに、何を考えているの? 君は私のものだろう。私以外のことを深く考えるのは禁止だ」


 ちょこっと面倒だけど。

 まあ欠点も含めて、私は銀色の髪のこの人のことが好き。


「もちろん、貴方のことだよ? だって、私はヴァンのもので、ヴァンも私のものでしょう?」


 海のような青い瞳が煌めく。ヴァンは「そうだね」と言うと、私に向かって面白そうに微笑んだのだった。


あと一話で終わります。

いつもありがとうございます(*^ω^*)

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