相応しくあるために
一体どうやって入り込んだんだろう?
上手く女官に化けている。
私の目に憎々し気な表情の彼女が映る。
ローザは隠し持っていた短剣を取り出すと、私を睨んだ。
「へえ? 私の名前をまだ憶えていたとは。光栄だわ、泥棒猫さん?」
彼女が言った。
一応確認だけど、それって私のことだよね?
泥棒も何も、ローザから盗った物なんて何にもないんだけど。
「……あ」
それってまさか、ヴァンのこと?
だけど、ヴァンとローザって結局付き合ってもいなかったよね? だったら盗ったって言うのはおかしいんじゃないのかな?
「ヴァンは貴女とは何もなかったって――」
「私が彼に与えた名を、あなたごときが気安く呼ぶの? なんって図々しいのかしら。あなたが彼をたぶらかさなければ、今頃は私が!」
たぶらかしてなんかない!
そう言いたいところだけれど、ガウン一枚のこの姿ではかなり説得力がない。思わず自分の恰好を見下ろすと、ローザの目に怒りの色が増すのが見えた。とりあえず、この場をどうにかしなくっちゃ。
あ、もちろん短剣一つにビビる私ではない。
素人さんが振り回すのは危ないけれど、上手く躱せば大丈夫。その点は、前世のやんちゃな自分に感謝だ。
「ローザ、罪を重ねるのは止めて? 自分の思い通りにならないからって、こんなことは良くないよ」
「あなたに何がわかって? 私とヴァンの魂の結びつきを汚したくせに!」
魂の結びつき? 何じゃそりゃ。
お互いがそう思っているならいいけれど、片方ならただのストーカー……
だめだな、こりゃ。
何を言っても通じそうにない。
それならサッサと懲らしめますか。
「刃物をこっちに寄こしな。でないと危ないし、手加減できないよ?」
「んまあぁ、何て下品な言い方! やっぱりあなたはヴァンに相応しくないわね」
そう、最初は私もそう思っていた。
だけど今なら違うとわかる。
相応しいかどうかなんて後から考えればいいこと。想い合っている以上、相手に合わせるために互いが最大限の努力をすればいい。
私は、彼のためなら城での修行にも耐えられる。
ヴァンと釣り合うようになるために、品良くお淑やかになりたいと願っている。
好きになるってすごいことだ。
その人のためなら力が湧いて、一生懸命頑張れる!
「でも、あなたも刃先を人に向けてる時点で、相応しくないよね?」
ローザの躊躇を私は見逃さなかった。
着ているのがガウンで良かった。
これなら非常に動きやすい。
私は短剣との距離を瞬時に測ると、彼女に近付き大きく足を振り上げた。
蹴られると思ったローザが、短剣を振り回す。
でもこれは、ある程度予想がついていた。だから私は足下狙い。サッと屈んで刃先を躱すと、床に手を付き這うように身体を低くする。そのまま伸ばした足で、彼女の足首を思い切り払った。
体勢が崩れたところで、トドメのもう一発! 床に倒れ込むローザ。自分がガウン一枚だって気にしない。女性同士だし、今は緊急事態だ。うつ伏せに倒れたローザに馬乗りになると、手首を捻って短剣をもぎ取った。何だか拍子抜けするぐらいあっさり終わった。
「聞いてないわ! 体術を習っていただなんて聞いていない!」
「そんなことを言われてもねぇ。わざわざ申告することでもないでしょう?」
ローザを床に押しつけたまま、余裕で話す私。正確には体術ではなくてケンカだ。彼女より頭は悪いけれど、ケンカなら絶対に負けない!
髪を振り乱し、身体をバタバタさせて必死に逃れようとするローザ。けれど私に、その程度の抵抗はきかない。だって毎日ちゃんと筋トレしてたもんね!
「邪魔だし危ないから、こんなもの捨てとくよ!」
開いていた窓に向かって、取り上げた短剣を放り投げた。銀色の筋が部屋の外に向かって放物線を描いていく。
なぜか驚くローザ。
え? ダメだった?
「あれって、王家の短剣!」
「……え?」
そうだっけ?
それにしては軽かったような。
でも、大変!
本物だとしたら貴重な品だ。
一度だけヴァンに貸してもらったことがあるけれど、すごく高そうだった覚えがある。
「嘘……」
どっかに引っかかってないかいな?
私はローザから離れると、慌ててバルコニーに出て辺りを探した。どこだろう。もう下に落ちたのかな?
「……あ!」
ああ良かったー、あった!
短剣はバルコニーの端ギリギリに落っこちていた。安心して手に取り、眺める。
あれ? でもやっぱり違うような……
裏返しても見たけれど、これはどこにでもあるような安物の短剣だ。
王家の短剣といえば、束の部分に『二つの薔薇と剣』という夜明けの薔薇の紋章が入っている。だからこれは偽物。何でローザは嘘を言ったんだろう?
バルコニーに続く扉に佇むローザ。
彼女は肩を竦めると、私に向かって言葉を発した。
「あなた、やっぱりバカでしょう? 信じて騙されやすいのが欠点ね。ヴァンも、どうしてこんな娘が良かったのかしら? まあいいわ、あなたさえいなくなればいいんだもの!」
飛び掛かって来たローザをなんなく躱す。
――ええっと、どういうこと?
私の方が強くて、偽物とはいえ短剣は私が持っている。あなたが私に勝てる要素ってどこにもないよね? それなのに、どうして平気でこっちに向かってくるんだ?
彼女の表情が何となくおかしい。
熱に浮かされたような感じだ。
私が何を言っても、耳には届いていないよう。
短剣は海に投げ捨てた。
だって、間違えて傷つけたら危ないし、どうせ偽物だ。それに「何とかに刃物」ってよく言うよね? あれ、違った? 「バカにハサミ」が正解だっけ?
「やっぱりあんたって底抜けのバカよね?」
短剣を投げ捨てた私を見たローザが、こっちに向かって何かを投げた。
咄嗟に避けたけれど、それはバルコニーの手すりに当たって弾けた。もくもくと粉のような物が辺りを舞う。
何これ! 目に入ってヒリヒリする。
いけね。まさかこれって目つぶし!?
「アハハハハ! バカな自分をあの世で後悔するといいわ」
よく見えない。けれど大声でけたたましく笑うから、彼女のいる方向と距離は何となくわかる。その声を聞いて、下にいた人間も気づいたようだ。こちらに向かって何かを大声で怒鳴っている。……って、私のガウンがまくれて下から丸見えとかじゃあないよね?
「さ、よ、う、な、ら」
一語一語はっきり区切って発音するローザ。
たぶんここから突き落とそうとしてるのかな?
でも大丈夫。これぐらいなら多分避けられる。
だって、荒い息でわかるもの。
それにあなた、ケンカ慣れしてないでしょう?
目がヒリヒリして開けられなくたって、気配だけで何となくわかる。『紅薔薇』さんを舐めんなよ? ケンカでのし上がるって意外と大変なんだよ?
目を閉じてローザの息遣いに集中する。
もちろん、動く音も聞き逃さないつもりだ。
目が痛いけれど、今はそんなことに構っている場合ではない。ここで叩きのめしておかないと、何を仕掛けてくるのかわからない。
「……セリーナッ!」
その時、部屋の中から私を呼ぶ声が聞こえた。
私の注意が一瞬逸れたのを、ローザは見逃さなかったらしい――




