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人の価値

 ヴァンが口を開こうとした途端、黒い雲がどんどん広がって空が暗くなっていった。かと思うと激しい雨が降り出して、馬車の屋根を叩く。土砂降りの雨で周りも見えづらく、街道もあっという間にぬかるんだ。

 すぐに馬車が停止し、護衛の一人が近付いて来た。


「王太子殿下、よろしいでしょうか?」


「どうした?」


「このまま走るのは危険です。小降りになるまで待ちたいのですが」


「ああ、そうしてくれ」


 ヴァンの言葉を聞いた護衛は、みんなに指示を出した。

 御者が街道沿いの大きな木の下に馬車をそれぞれ停止させたので、私達はここで雨宿りをすることになった。

 目的地まではまだ距離があるらしい。

 けれど、暗く大雨の中、馬車を走らせるのは危険だ。

 護衛はそう判断したらしく、近くに宿泊先を探すために雨の中を出掛けて行ったようだった。

 前世と違って外灯があるわけではない。

 星の見えない夜は真っ暗。

 まして、今は激しい雨で少し先の道も見えにくい。


 私がゆっくりしてしまったせいだ。

 突然の雨は予想していなかったけれど、みんなに迷惑をかけてしまった。

 私は謝るために口を開いた。


「港町で勝手な行動をしたせいで、ご迷惑をおかけしてしまって……。本当に申し訳ございません」


 ヴァンと私はこの国の人間だからまだ良いとしても、大使であるカルロ様は他国の人間だ。海に行くから一緒に来たけれど、視察には同行せずに馬車の近くで時間を潰していたのだった。


「ああ、どうぞ気にしないで下さい。こちらこそ、すみません。兄ならこんな雨くらい上手に避けることができるのですが」


「雨を避ける?」


「ええ。兄は我が国の宰相で『水』の魔法が使えるんです。彼の魔法は強力なので、一部分だけ雨を抑えることも可能です。ただし、奥さんにだけは頭が上がらない」


 言いながら大使は笑っている。

 この前も聞いたけれど、魔法を使える人って本当にいるんだ! しかも、雨が降らないようにできるって、すごいことじゃない? それなのに奥さんに頭が上がらないってことは、彼女は最強の魔法使いなのだろうか?


「奥様?」


「そう。それで思い出したのですが、貴女は彼女に……義姉に少し似ています」


 どういう意味だろう?

 顔がそっくりとか?

 確かに、カルロ様の髪は私よりも淡い水色だ。

 でも、義姉ってことは彼とは血が繋がっていないから、容姿が似ているという意味ではないはず。


「いったいどこが……」


「ねえセリーナ。彼とばかり話すのは、いい加減に止めてほしいんだけど」


 退屈だったのか、ヴァンが不満を口にした。

 だけど大使に向かってその態度はおかしい。

 ヴァンを睨むけれど、彼は涼しい顔をしている。

 カルロ様が口の端を上げてくれたので、少しだけ安心することができた。私は慌てて一礼すると、ヴァンにもう一度顔をしかめて不満を表す。仕方がないので彼にも話を振ることにしよう。


「ねえ、さっきの『規格外』ってどういう意味?」


「それにはまず、我が国の隠れた身分制度を説明しないといけないね?」


 ヴァンは、私に次のことを語ってくれた。




 ――賎民(せんみん)

 私が声を掛けた「アルト」という男の子は、そう呼ばれている。これは差別用語で、本来あってはならないものだと彼は言う。公には禁止されているけれど、一般の民の中に底辺の身分だと言われる者達がいる。彼らは(さげす)むべき存在で、親子代々同じ仕事に就くのが当然、という考え方だ。


「あの姿だと多分、墓堀り人の息子だろうな」


 カルロ様の言葉に、ヴァンも頷く。

 墓堀り人って、埋葬するためにお墓の土を掘る人のことでしょう? だから何だというのだろうか?

 首を傾げる私に、ヴァンは続けた。


「身分が低いと忌避(きひ)され、差別される職業があるんだ。死刑執行人、墓堀り人、食用の動物を殺す屠殺人(とさつにん)や娼婦などがそれに当たる。オーロフの協力を得て、私が直接政務を執るようになってからはだいぶ減ったのだが、地方ではまだ差別意識が残っている。貴族が一般の民を差別している以上、民が『賎民』と(さげす)むのを禁止したとしても意味がない」


 じゃあ、さっきのあれは……

 みんなの中に入れないのはいつもなの? 

 アルトは毎日、一人ぼっちで寂しい思いをしているの?

 胸が痛い。昔の自分を見ているようだ。

 私のは、ある意味自分の行いのせいだった。

 けれど、彼の場合は――


 職業や生まれのせいで差別されるようなことがあってはならないと思う。そんな考えは、人としておかしい。人の価値は……上手く言えないけれど、その人が一生懸命頑張っているかどうか。他人のためや自分のために、迷惑をかけずにまっとうに生きているかどうかなんじゃないだろうか。


「だからって、そのままでいるの? そんなのおかしいだろ!」


 怒りのあまり素に戻って叫んだ私に、ヴァンとカルロ様は揃って顔を見合わせた。

 

「ああ、セリーナ。そんな君が好きだよ」


 ヴァンはそう言うと、隣に座る私を嬉しそうに抱き寄せ、ギューッとハグしてきた。


「な、ななな……」

 

 突然何なんだ!

 目の前にカレントの大使もいるというのに、おかしいだろ!

 なのに、カルロ様は笑って言った。 


「ヴァン、とうとう理想の人を見つけたんだね?」


「ああ」




 この状況を見てニッコリ微笑むカレント王国の大使は大物だ。ん? でも、待てよ? 愛称を呼んでいるってことは、二人は元々知り合いで仲がいいのか? 

 そう思った私は、素直に疑問をぶつけてみることにした。


「少年の頃、短期留学の際に学問の街イデアで知り合ったんだ。そこまで仲が良かったわけではない。手紙のやり取りをごくたまにする程度だった」


「そうだね、私もヴァンとそこまで親しかった覚えはない」


「だけど、数年前にカレントの国王と宰相が揃って入れ替わってね。それからかな? 交流が始まった。カレント王国は身分制度を緩和し、教育に一層力を入れた。そのおかげで現在も著しい発展を遂げている。それなら、我が国も参考にしようと思ってね。『商談』という名目で彼を我が国に招待したんだ。まあ、久しぶりだしあまりよく思われていないようだったけどね?」


「そんなことはないだろう? 一国の大使として、大国ラズオルの王太子殿下に礼を尽くしただけだ。君こそ、他人行儀な話し方をしていただろう」


「親しくなり過ぎて、私の婚約者に目を付けられても困るからね」


「確かに、どうしても手に入れたい人がいると手紙にも書いてきていたしね?」


 待てよ? そんなに親しいなら、始めから婚約者のフリする必要なんてなかったんじゃあ……。「取引が」とか「信用を失くす」とか散々なことを言ってたけど、本物の商談じゃないなら関係ないよね? まさか私、ヴァンに騙されてたのか?

 不信感も露わにそう聞くと、彼はからかうようないつもの声色で囁いた。


「セリーナ、君が婚約者になってくれて嬉しいよ」


「はあ? ま、まさか!」


 怒って手を握り締めた時、大使から声がかかった。


「まあまあ、ケンカするほど仲がいいというけれど、そういうのは二人きりの時にお願いしたいな。それより、話が途中だったのでは? 君の理想と婚約者殿の理想は、どうやら同じようだよ?」


 そうだ、お(しと)やかになると決めたんだった。それに『規格外』の意味もまだ聞いてないや。


「ごめん、私のセリーナがあんまり可愛い顔をするから……。話を戻そう」


 そう言うとヴァンは、今日の出来事を振り返るようにして私に丁寧に説明してくれた。


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