初めてのお仕事
朝からスッキリ晴れていいお天気だった。
まさに、お出かけ日和!
今日訪れるシンの港町は王都から半日ほどの距離にあるらしく、公務の後は王家所有の屋敷に泊まって翌日海に行くのだそうだ。何だかとっても楽しみだ!
『ラノベ』のことが気になったので一応聞いてみたら、王家の別邸は緩やかな傾斜の丘の上にあるとのこと。海から距離は離れているけれど、景色はとても綺麗だそうだ。なんだ、それなら大丈夫。コレットさんが言っていたように万一身を投げたとしても、地面にぶつかるだけだから。まあ、それはそれで嫌だけど。
王太子であるヴァンと妹……もう義妹って言った方が良いのかな? のルチア王女も一緒だ。さらに、せっかくだからと我が国に来ていたカレント王国の大使、カルロ様もお誘いしたのだそうだ。何でもカレントには海がないらしく、大使も二つ返事で了承し、みんなで海へ行くことになった。
道中、馬車の中でルチアちゃんから心得を聞く。
視察って一歩下がってニコニコしていればいいのかと思っていたら大間違いだった。
相手の目を見て話を聞くこと。
握手は丁寧に手に取るように。
子どもを相手にする時は、必ずしゃがんで視線を合わせる。
そんな感じのことを教わった。
「まあ、ダメな場合は具合が悪くなったと言って、退席するのもアリですわ!」
ルチアちゃん、それってズルなんじゃあ……
それは最後の手段においておくとして、取り敢えずは頑張ろうと決めていた。もう偽の婚約者ではないのだ。正式に、王太子の婚約者として国中に広まっている。そのための特訓だって散々お城でこなしてきたのだ。
王家の行儀作法の先生は厳しかった。
丁寧な口調だけど怒りっぱなしで嫌味ばっかり。『いんぎん無礼』とかいうやつだ。出かける直前まで姿勢や話し方を直されたから、できれば忘れてしまわないうちに町のみんなと触れ合いたい。
港町に到着して馬車から降りる直前、グッと拳を握り気合を入れた。そんな私に手を差し出しながら、我が婚約者のヴァンはクスクス笑っていた。
「君と一緒だと楽しい公務になりそうだ」
今のって褒め言葉なんだよね?
バカにされてはいないよね?
まあいいや。
今日の装いは完璧だし、お天気で心も晴れやかだから。
ちなみに今日私が着ているのは、旅装用のカジュアルなもの。胸元に青いリボンが付いたぴらっぴらの白いブラウスに水色と白のストライプのスカート。ルチアちゃんは白いドレスで縁が赤。所々に付いているリボンも赤で可愛らしい。王太子であるヴァンは、濃い青の上着に白いシャツとトラウザーズ、ボタンや飾りは金色ですごくよく似合っている。
シンの町は漁業が盛んで、真珠の養殖や貝殻の細工でも有名なんだそうだ。着いてすぐに加工場や美術館などを案内される。漁師が多いと聞いていたから荒々しい感じを予想していたけれど、町の人達はみんな穏やかで親切だった。停泊している船を見学した後、港の前の広場で楽団の演奏と児童らから歌を贈られた。集まった人達が「婚約おめでとう」と口々に祝ってくれるから、何だかものすごく歓迎されている気がした。
嬉しくって手を大きくブンブン振って応えていたら、ルチアちゃんに「もう少し下で控えめになさって」と、小声で注意をされた。隣にいるヴァンはそんな私を見て大笑い。そんなに笑うくらいなら、早めに教えてくれればいいのに!
ムッとしている私の機嫌を取ろうとしたのか、ヴァンがおどけて私の髪にキスをした。町の人達が、なぜか喜んで歓声を上げている。
「だ、だめでしょ~! ここ、外だから!」
慌てる私をよそに、ニッコリ微笑む王太子。
さすがに作法の現地教師であるルチアちゃんが許すはずがない! と思ったら、彼女まで肩を竦めて苦笑いするだけ。
あれ? 大きく手を振るのはダメなのに、髪とはいえ人前でキスするのはいいの? この国の作法ってよくわからないや。何だか覚えられる気がしない。でもまあ前世と違ってマスコミがない分、報道されないだけマシなのかな?
だって、縁石に躓いた私が転びそうになった様子も伝えられなくて済む。咄嗟に腕を伸ばしたヴァンが支えてくれたのはいいけれど、そのまま密着して離してくれない様子に、町の人達から更に声が上がったことも他にはバレない。
そうこうしているうちに、あっという間に時間は過ぎた。元々昼過ぎに町に着いたから、日がもう傾きかけている。私は集まってくれた人たちに向かって、最後に笑顔で手を振った。そして、ヴァンにエスコートをされて馬車に乗り込もうと足をかける。
その時――私はその子を見た。
群衆の壁の向こうにたった一人で立っている男の子。晴れ着で集まる人々の中で、汚れたベストとズボンを身に着けていたその子は、どこか寂しそうな目をしていた。誰かとはぐれたわけでもなく、無理やりここに連れて来られたわけでもないようだ。何があるのか近くで見てみたいけど、見られない。そんなふうに見えた。
一人ぼっちの姿が父に置いて行かれた自分の姿と重なった。私は馬車に乗るのをやめ、その子の方に駆け出した。町の人が何事かと道を開け、私を通してくれる。
「っ! セリーナっ」
慌てたヴァンが後ろから声をかける。
けれど私はその子に会いたい一心で、振り向きもしなかった。走って近寄る私に、目を丸くして驚いている男の子。彼の前で私は、ルチアちゃんから習った通りに膝をついて目線を合わせた。
「こんにちは。今日はわざわざ来てくれて、どうもありがとう」
握手のための手を差し出す。
男の子は汚れた自分の手を見るとベストにこすりつけて拭いていた。それでもまだ、汚れていたのか自分の手を悲しそうに眺めると、脇にだらんと下げた。私はその小さな手を下からすくい上げるように取ると、胸の前で両手でしっかり握り締めた。
ルチアちゃん、教えてくれてありがとう。
今、ようやく教えてもらったことが役に立っている気がする。
「私はセリーナ。良かったら、あなたの名前を聞かせて?」
「……アルト」
男の子は俯きながらボソッと答えた。
背後に誰かが……おそらくヴァンと護衛が立つ気配がしたけれど、彼らは何も言わない。町の人達も、なぜかシーンとして遠巻きに私たちを見ている。
「アルトって、素敵な名前ね。この町もとてもいい所だわ。私はここで、あなたに会えて嬉しいわ」
唇を噛みしめた男の子は、意志の強そうな瞳でなぜかキッと私を睨んだ。何だろう? もしかして、マナー違反をしてしまったとか? 勝手に話しかけてはいけないとかって聞いてないんだけど。
「セリーナ、そろそろ」
ヴァンが私の肩を掴む。
なかなか立ち上がらない私に痺れを切らしたのか、ヴァンは男の子に話しかけた。
「アルト……と言ったかな? 君はかしこそうな顔立ちをしているけれど、残念ながら私の婚約者はあげないよ。自分の力で上がってきてごらん。そのための協力は、町の皆も私も惜しまない。君の前途に幸あらんことを」
急に何を言い出すの?
っていうより、小さい子に対して「あげないよ」って、そんなの元から要らないでしょ。
ヴァンは私を引っ張って立たせると、その手を繋いだまま、ざわつく町の人々の隙間を縫って馬車の所まで戻った。彼は私を自分と同じ馬車に押し込めると、御者に直ぐに出発するよう命じた。ルチアちゃんは既に違う方に乗っているらしい。
我に返ったように歓声を上げる群衆に向かって、笑顔で手を振る王太子。彼がなぜ急いでいたのかわからない。もしかして私は、何か大きな失敗をしでかしてしまったのだろうか?
先ほどのアルトの姿はもう見えない。
そもそもどうしてあの子だけ、あんな恰好で立っていたのだろう? 町並みは裕福そうだったし、孤児だとしても孤児院があるから浮浪者だとは思えない。なのに、たった一人で離れた所にいたなんて、どういうわけ?
「良くも悪くもまあ、規格外なお方ですね?」
しばらく経ったところで、同乗していたカレントの大使が話しかけてきた。
どういう意味? わからずにヴァンの方を見ると、彼はその理由を私に話してくれようとした。
いつもありがとうございます(^人^)




