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海に行こう!

 城から家に戻る私に同行した王太子は、「セリーナ嬢との婚約を認めて下さい」と私の両親に早速挨拶をしていた。人のいいこの世界の両親である伯爵夫妻は驚き、そして手放しで喜ぶ……かと思いきや「こんな娘でよろしいんですか?」と再確認をしていた。母にすご~くバカにされているのはわかった。

でも、それを聞いたヴァンが大きな声で心から楽しそうに笑うのを見て、ちょっとだけ嬉しく感じてしまった。彼にはできるだけ、笑顔でいてほしい。義兄のオーロフだけが私達を見て、最後まで苦虫を噛み潰していたような顔をしていた。


 この国は、王家発行の書状なるもので婚約が完了するらしい。といっても、政務は実質王太子が行っているから、彼自身の婚約も当然、本人が承認する。相次ぐ側室の事件で国王の威信も取り巻きも減り、人気と実力を兼ね備えたグイード様が王太子の味方だから、反対する者は誰もいなかった。

あ、唯一異議申し立ての場でベニータ様が最後までギャアギャア騒いでいたと聞いたけれど、ルチアちゃんがなだめてジュール様が引きずって連れて行ったのだとか。後日、お茶の席でルチアちゃんが私に教えてくれた。


 毒を盛られたあの日以来、私はミルクが苦手になってしまった。最初から料理に入っている分にはいいけれど、残念ながら紅茶に入れることはできない。まあ、いつかまた飲めるようになるだろうし、猫舌だけど紅茶は冷ませば大丈夫なので、ミルクがなくてもそんなに困らない。

悲しそうにこちらを見るルチアちゃんに、カップから顔を上げた私は慌てて笑いかけた。そんな私に、「これからずっとお義姉様とお呼びすることができて嬉しい」と、彼女は言ってくれたのだった。




そして、事件から半月ほどが経った。

 王太子と私が婚約したという事実は、既に国中に通達されている。ひと月後にお披露目のための舞踏会があるけれど、それまでは自由だ……と、思っていたら違っていた。公務の帰りに我が家に立ち寄った王太子によって、私は自分の見通しが甘かったことを知らされる。


「え? じゃあ、修行のためにまた城に行かなきゃいけないってこと?」


「修行って……準備だけどね。典礼長や女官長は張り切っているようだよ」


「うわ、面倒くさ……じゃなくって、それって泊まり込みでみっちり礼儀とか作法の勉強しなきゃいけないってこと?」


「そういうことになるかな? 私はそのままの君でもいいけれど、周りの考えは違うようだ」


 王太子の婚約者ってことは、いずれは王太子妃。しかも、ヴァンが国王になったら王妃! ガラの悪い小娘に、やっぱりみんなが反対しているんじゃあ……? 動揺している私を見ながら、ソファに深く腰掛けたヴァンが楽しそうにしている。

 でも、待てよ? 今の国王陛下は王妃様がいなくても何とかやっていってるし、「亭主元気で留守がいい」っていうから、いざとなればヴァンにお仕事頑張らせて、引きこもるのもありなのかな?

 

 深く考えずに王太子の婚約者になってしまったとはいえ、好きな人のために努力しようと思ったのは嘘ではない。今も兄の監督の下、日々勉強に費やしていて体力作りは二の次だ。


「ええっと。じゃあ、お願いします?」


「何で疑問形? オーロフもそのつもりでいると思うから、今更取り消しはきかないんだけどね」


 だったら婚約する前に教えて欲しかった。王太子も兄も人が悪い。国中に知れ渡った後で細々したことを聞かされるって……もしかして、わざと?

 ついでとばかりに、私も彼に気になることを聞いてみた。




「ねえ、ヴァン」


「どうしたの? 私の可愛い人」


「ぐ……そんな歯の浮くようなセリフはいちいち要らないから。私のことより、女性関係大丈夫? 愛人とか側室がいるのは嫌なんだけど」


「ああ、そんな心配は要らない。彼女達とはとっくに切れているから。それより、これからは君が私の側にずっといてくれるんだろう? もちろん、子どもはたくさん欲しい。まあ、君がいるから問題ないね」


 あれ? そんな約束したっけか?

 でも、側室に頼むか自分で産めと言われたら、後者の方がいけそうな気がする。出産って痛いと聞くけれど、痛みなら前世のケンカで慣れている。その前の行為は……今は考えないようにしておこう。

だけど、ヴァンは何人くらいを予定しているんだろう? 


「たくさんって、何人?」


 念の為に聞いてみた。


「ん? 今までの王で一番多いのは30人くらいかな? まあ、側室が大勢いたようだけど」


「さ、さんじゅうにん!?」


 そんなの、持たないでしょ。

 っていうより、不可能だから。

 ダメだ、婚約断ろう――


「無論、授かりものだから何人でも構わないよ? いざとなればグイードや他の兄弟に頑張ってもらえばいいし。それより、そんな話題を振るなんて。もしかしてセリーナ、私を誘ってる?」


「いいえ、全然!」


 婚約したからって、すぐにそういうのはどうかと思う。家督を義兄に譲ったとはいえ、両親は私の婚約披露の準備で王都に残っている。今も屋敷にいるから、私たちの会話に聞き耳を立てているかもしれない。全力で否定する私を見たヴァンが、笑いながら肩を竦める。


「仕方がないね。ここまで待ったのだから、あと少し我慢しよう。ああ、そうだ。待つといえば、前にルチアと海へ行く約束をしていただろう? 妹も待ち望んでいたし、近々予定を入れようと思うんだが」


「はい? だって、あれって確か公務って……」


「そうだね。婚約者として堂々と連れて行けるから嬉しいよ」 


「……え? 婚約者ってまさか!」


「君は私の隣で微笑んでくれるだけでいい。ルチアも一緒だから、わからないことがあれば妹に聞くといいよ」


 うわ、初のお仕事来たーー!

 そうなんだ。

 早速新しい水着を買わなくちゃ。

 じゃ、なーくーてー!

もう泳ぐ時期ではないし、その土地や特産品、人々の暮らしのことなどを予習しないとダメだろう。大好きな海に大好きな人と行くはずなのに、ちょっとグッタリしてしまったのは内緒だ。




 ヴァンが帰った後で思い返してみる。

 そういえば先日、司書のコレットさんと話した時にも海の話が出ていたような。お世話になった彼女には、ヴァンと両想いになった日に、早速報告に行ったのだ。


「素晴らしいわ、『アルロン』と同じ展開ね!」


「そういや、そんなのあったっけ。『ラノベ』っていうけど、毒なんて出てこなかったんでしょ?」


「ええ。それに、きちんと恋愛されたなら、もう大丈夫ですね? ストーリー通りで無い方がいいんです。だって、このあとは愛する攻略者がセリーナ様を海の見える城に監禁して、絶望した彼女がバルコニーから海に身を投げるシーンですもの」


「うわ、怖! 何か言ってたね、そういうの。でも大丈夫、監禁なんて絶対に嫌だし海にも当分近付かないし」


「それがいいですわ。だって、崖下に身を投げるシーンって読んでいる分には素敵ですけれど、実際に落下したらコンクリートに叩きつけられるような衝撃だ、ってどこかで聞いたことがありますもの」


「げ。絶対嫌だそれ。まず助からないんじゃない?」


「そうですね。ラノベでは助かっていましたけれど、現実には厳しいかと……」


「気をつけよう。海に近付かなければいいんだよね?」


「はい。その方が安心できるかと」


 


 しまった、海の話が出ていた。

 近付かないって言ったんだった。

 婚約のことで頭がいっぱいで、コロッと忘れてた。確か、ラノベ版『夜明けの薔薇(アルバローザ)~赤と青の 輪舞曲(ロンド)』の冒頭部分だっけ? ちょっとエッチな場面の後にセリーナの自殺未遂の話があったような。


 だけど私は、攻略者としてヴァンのことを好きになったわけではないし、ラノベの通りの恋愛をしたいわけでもない。それに、ヴァンは腹黒だけど、監禁なんてひどいことをする人ではないと思う。毒を盛られたという話もストーリーにはなかったそうだから、もう小説は関係ないのかもしれない。


 海に行くだけなら何も問題はないか。王家所有の屋敷に泊まるって言ってたし。そもそも、崖の上の古城に近付かなければいいんだよね?

よく考えたら、この世界に来て初めての旅行だ。お仕事は大変だけど、その分知識も深まるし、ルチアちゃんと一緒に海で遊べるから……まあいいのかな?

 

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