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元ヤン、決意する

 髪を撫でられ頬ずりされて、そうかと思えばまた抱き締められる。ヴァンの愛情表現がさっきからものすごいので、嬉しさを通り越して何だか息苦しくなってきた。


「ねえ、これ以上はもう……」


勘弁してほしい。

 でないと呼吸が苦しいから、倒れてしまうかもしれない。


「どうして? ようやく想いが通じたんだ。これで正式な婚約者として、堂々と君をみんなに紹介できるよ」


 彼は右手で私の前髪をかき上げると、額に軽いキスを落とした。左手は私の腰にガッチリ回している。

 そんなことをしなくても、逃げないのに。

 だけどそう、好きなだけじゃあだめだった。

 王太子であるヴァンの婚約者になるってことは、何だかいろいろ面倒くさ……義務や責任が伴う。これから勉強しなきゃいけないことが増えるだろうし、何より優雅で品が良くなければ務まらない。


「やっぱ無理かも」


 好きなことは好きだけど、『王太子の婚約者』って私には荷が重い気がする。そうかといって愛人――側室になるのは絶対に嫌だ。


「取り消しはきかない。君は私のものだろう? 思い悩むのなら、いっそ既成事実を作ってしまおうか?」


「きせーじじつ?」


「そう。君は私に全てを任せてくれればいい。続きをしないといけないしね?」


「つ、続きって……」


 そういえば、さっきそんな話をしていた。

 言葉の意味を理解した瞬間、自分の頬が一気に熱くなるのがわかる。その様子を見るなりヴァンはニヤリと笑い、私を横抱きにした。そのまま部屋を出ると、長い足でずんずん廊下を進んでいく。


  


「ヴァンフリード様、リーナとどこへ?」


 途中で声をかけられる。

 あ……! 

 ヴァンの腕に抱えられている私。

 よりによって、一番見つかってはいけない人に見られてしまった。つかつかと私達に近付いて来た義兄が冷たい声で聞いてきた。


「オーロフ、察してくれ。愛しの婚約者が、ようやく私の気持ちを受け入れてくれたんだ。ほんの少しの間でいい、見逃してくれ」


 いや……さすがにそれはダメでしょ。

 この兄が「はい、そうですか」と言うわけがない。ただでさえ彼は厳しい。

 転生して間もない私は、この世界の常識がまだよくわからず、貴族令嬢としての礼儀も不十分。だから兄は以前、私を囮にするのも嫌そうだったし、今回の偽の婚約にも反対したのだ。王太子の首席秘書官でもある彼が、品も教養もない私を王太子の相手としてなんて、認めるはずがない。

 現に、こちらを睨む金色の目がキツイ。冷ややかな眼差しに、体感温度が確実に5℃は下がったような気がする。それなのに、ヴァンは慣れているのかどこ吹く風で、じれったそうに兄の答えを待っている。

 

「お待たせしている大使を放ってどこへ? それに、まだ犯人が捕まっただけで真相は解明されていません。部下に全てを押し付けて、あなたは私の大切な義妹とどこへ行こうと言うのです?」


 ほらね? 

 許すはずがないでしょう?

 次いで兄はヴァンに抱きかかえられたままの私に目を向けると、低く掠れた声で問いかけてきた。


「……リーナ、お前の幸せがいつだって私の幸せだ。お前はそれでいいのか? 王太子であるヴァンフリード様と一緒になって、後悔しないのか?」


 どこか悲壮感が漂うその声に、真剣に答えなければいけない場面だと気を引き締めた。ヴァンの胸に手を当てて促し、床に下ろしてもらった私は、兄の金色の瞳を見つめて答える。


「兄様、私は今すごく幸せ。だって、好きな人に好きだと言ってもらえたし、信じることができたから。後悔するかどうかは挑戦してみないとわからない。だけど、何もしないでいるよりは、失敗しても構わないから一緒になりたい。だから、心配しないで」


 私の言葉を聞いた兄は、茶色の前髪をかき上げながら目を閉じると深いため息をついた。眉間に(しわ)を寄せて悩む様子が、苦悶(くもん)の表情に見えたのは気のせいだろう。

 元のクールな目つきに戻った兄は、私を見ずにヴァンに向かって先を続けた。


「婚前交渉は認めません。婚約前に深い仲になるなどもっての他です」


 だよね~。

 まあ私もそこまでは望んでいないから。

 まずはお互いをよく知って、仲良くなりたいだけ。


「これは独り言ですが……」


 兄は考えるように自分の口元に手を当てると、横を向いて呟いた。


「犯人であるローザにある程度の事情を聴き出すまで、もう少し時間がかかるでしょう。お待たせしているカレントの大使ですが、先ほど庭の造形に興味を示されたご様子。庭園を案内した後で交渉を再開するのも、気分転換になって良いかもしれません。ただし、半刻ほどです。それ以上は待てません」


「十分だ。恩にきる!」


「話をするだけです。もしリーナを傷つけたら、絶対に婚約は許しませんので」


「ああ。私が大切な人を傷つけるわけがないだろう? ありがとう、オーロフ」


 ヴァンは嬉しそうに言うと、私に向かって手を差し出した。


「じゃあ行こうか、セリーナ」


 手を繋いで廊下を歩く。

 ふと気になった私は、振り返って兄の方を見た。兄は兄で思うところがあったのか、その場に(たたず)み私達をじっと見つめていた。




 結局、昨日と同じくヴァンの私室に連れて行かれた。まあ、今度は寝室ではなくその手前の部屋だし、長椅子に並んで腰かけているから心配はいらない。重要な話をするためなのかヴァンが人払いを命じたため、この部屋には私と彼の二人だけとなった。まあ、ヴァンも兄ときちんと約束したから、正式に婚約するまでは手なんか出してこないはず……なのに……あれ?


「ど、どーして押し倒そうとしているの?」


「ん? セリーナがとても魅力的だからかな? 朝は時間が足りなかったからね。大丈夫、半刻あれば足りる」


「いや、待て王太子。約束が違うだろ。話をするだけって言ったはずじゃあ」


「そうだね。でも、『座って話をする』とは言っていない。ああ、最後まではしないから安心して? それと、呼び方が戻っている。私は『ヴァン』だ」


 長椅子に押し倒されてしまった私。

 こう見えて王太子……ヴァンは力が強いから、押し返そうとしてもビクともしない。からかうようでいて真剣な青い瞳は私の反応をいちいち確認しているようだ。私の顔じゅうにキスの雨を降らせたかと思うと、首元にもキスを落とす。その間、休みなく手も動いて色々触れてくるから……


「ちょっ、どこ触って……ストーーップ!」


「ん? どうかしたのかな?」


 整った顔に浮かぶ余裕の笑みが、恨めしい。


「恥ずかしいからもう止めて! ドレスの中にさりげなく手を入れようとするのもダメだから」


「そう。じゃあ、どこならいいのか君の可愛い唇で教えてくれる?」


「なっっ。どこもダメでしょ! それに全然話をしてないし」


「話なら今している。婚約者になるには、こうやって親睦を深めることが大切なんだ」


 え? そんなもの?

 婚約者って恥ずかしくっても耐えないといけないの? この世界のしきたりを知らないので、首を傾げて考え込む私。その様子を見たヴァンはいつものようにニヤリと笑うと、楽しそうに言った。


「ああ。素直な君は何て可愛いんだ! オーロフとの約束を忘れてしまいそうだ」


 ヴァンの手が止まらない。

 キスをしながらさらに大胆に触れてきた。

 や……でもそこ太ももだし。

 ちょっと待った! 

 やっぱり何か騙されているような気がする!


「もうダメ~~!!」


 恥ずかしさのあまり繰り出した拳は、彼の手のひらで簡単に受け止められてしまった。あれ? でもこの前は、頬に当たったのに。まあ、怪我させようと思ったわけではないし、すぐに手が出る自分もどうかと思うんだけど。


「ごめんね。今日はこの後大事な会合があるから、顔に傷はつけられないんだ。それにしても、君の反応はやはり私を飽きさせないね? まあ、そんなところも好きだけど」


 顔を上げた彼が、にっこり微笑んだ。

 会合がなければ殴られてOKってこと? 

 もしやヴァンって変態さん?

 でも、大好きな青い瞳で笑いかけられた瞬間、そんな彼にときめいてしまった私も十分変態だと思う。

 いけない、いけない。

 お(しと)やかになるよう努力しよう。

 私は心にそう決めた。

 だってこのままでは、この国の未来が心配だもの!

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