陰謀の結末
「何だそれは。私は何も聞いていない!」
案の定、義兄が怒っている。
「すまない、オーロフ。ただ、ジュールがいたので心配はない。セリーナを最優先で守るよう命じていたから」
ああ、それであの茶番。
暴漢の味方であると見せかけて、その実彼はこちら側だったのね? だから私に蹴り方の指導をしたし、わざと短剣を使わせるように仕向けた。そして、大声で叫んで助けを呼べって指示したのね? でもその割には、意外と楽しんでいたような……
「まったく。ローザが疑り深いから、使えないあの二人を連れて行くので大変だったよ。でもまあ彼らが捕まってくれたおかげで、色々聞き出せたんだろう?」
ジュール様がため息をつきながら言う。
「そんな! じゃああなた、最初から私を裏切るつもりで……」
「裏切るも何も。君みたいな年増の毒婦、頼まれたって本当は嫌だよ。どうせなら、セリーナの方に張りつきたかったな」
ジュール様、そんな身も蓋もない。
ってことは、彼女は若くはないわけね?
「なっっ。無礼な! ヴァン、あなたは? あなたなら私の方を信じてくれるでしょう?」
ローザが甘えた声を出している。
私は気になって隣の王太子を見た。
「なぜ私があなたを信じると?」
「あら。だってあなたはいつだって私を優先してくれていたでしょう? 先日のパーティーの時だって。それに、『ヴァン』という愛称を考えてあげたのは私だわ。あなたはそう呼ばれるのを気に入っていた」
「そうだね。だがそれは、優しかった頃のあなたにだ。今のあなたではない」
ヴァンフリードの瞳がつらそうに歪む。
「私が疑っていたのを気づきもしないとはね? わざと泳がせていたのに。だからこそ、私の大切なセリーナにあなたを近づけるわけにはいかなかった」
隣で話す声は、嫌でも耳に入ってくる。
ええっと、つまりはこういうこと?
ローザがヴァンフリードを『ヴァン』と親し気に呼んでいたのは、それを考えたのが彼女だったから。そして、ヴァンの方は警戒させないためにわざとそう呼ばせていた。大使の歓迎パーティーでそっけなかったのも、彼女を私から引き離すため。グイード様が『因縁がある』と言ったのは、良い方ではなく悪い方の意味。それはもしかして、王太子とルチア王女の母親である王妃様がローザによって毒殺されたということ?
「どうして! ヴァン、私はあなたのために邪魔な陛下を……。ねぇ、本当のことを言って。あなたは私のことが好きなんでしょう? そんな小娘など相手にせずに、自分の気持ちに正直になったらどう?」
立ち上がりかける彼女を、いつの間にか側に来ていた兵士が制する。彼女は一瞬イラっとしたけれど、ヴァンフリードに向ける顔はあくまでも甘い。
「語るに落ちたね? でも、あんなのでも私の父親だ。正直邪魔だが、殺したいほど憎んではいない。それより、どうして私があなたを好きだと? なぜ母を苦しめた相手を愛せると思ったのだ? 私が愛しく思うのは、セリーナただ一人。私はあなたを許さない。私の大切な人を一度ならず二度までも苦しめたあなたを!」
彼の怒気をはらんだ声が部屋中に響く。
普段温厚に見える人ほど、怒らせた時はとても怖い。「愛しい」と言ってくれたのは嬉しいけれど、それよりもこの後の処分の方が気になる。ローザはどうやら、敵に回してはいけない人を本気にさせてしまったようだ。そのことに今ようやく気づいたのか、顔面蒼白だ。
「知らないわ! 毒なんて何も。私じゃないっ!」
ローザの言葉を聞いたヴァンフリードは、自分のポケットを探ると香水入れのような小さな瓶を取り出した。
「さて、この瓶に見覚えは? 中には蜂蜜が入っていたそうだが」
「嘘よ! あれはちゃんと処分したはず」
「処分?」
グイード様が聞き返す。
「僕が側にいながら、気がつかないとでも? パーティー以降、ずっと張りついていたんだ。まあ中身はほとんど捨てられていたけどね?」
ジュール様が言葉を重ねる。
ヴァンフリードは立ち上がると、両脇を兵士に挟まれたローザに歩み寄った。
「嘘かどうか確かめたいなら、君自身が口に入れてみればいい。少し残っているようだね。どうする? ローザ」
「……嘘! 待って、ヴァン。私は貴方のために!」
ローザが叫ぶ。
彼女の腕は両脇を固めた兵士におさえられ、無理に口をこじ開けられている。目の前に立った王太子が、薄く笑いながら瓶の蓋を開ける。それを見たローザはガタガタ震え出し、首を振って必死に逃れようともがいている。
「さあ、どうする? 私の気が変わらないうちに罪を認めた方がいいと思うけれど」
いつもの甘い声が今は無情なほど冷たい。
そんな、待って! 嘘でしょう? どうして? どうして見ているだけで誰も止めないの?
弾かれたように椅子から立ち上がった私。王太子に突進した瞬間、彼はローザの口の前で瓶を傾けた。
そして――
「認める! 認めるからもう許して!」
必死に身をよじらせて自由になったローザが、間一髪のところで叫んだ。私はといえば、勢い余ったせいで王太子の背中に鼻がぶち当たり、とても痛い。
「もったいない。我が国最高級の蜂蜜なのに」
持っていた瓶の口に垂れた分をヴァンフリードが指ですくって舐めている。腹黒そうな笑顔。それじゃあ……
「騙したのね!」
ローザが喚いている。
「騙す? 何のことかな。この瓶が君の物だと言った覚えはないよ? まあいい。余罪もたくさんあるだろうし、追求するのが楽しみだ。詳しく調べてあげよう。連れて行け」
「「はっっ」」
王太子が命じると、兵士はすぐに従った。
ローザはヨロヨロ立ち上がると、引きずられるように連れていかれた。ジュールとオーロフも付き従い、共に部屋を出て行く。
王太子、大丈夫かな?
彼女がお母様を殺したというのが事実なら、彼は今、何を思っているのだろう? ローザの出て行った方角を見つめたまま、動かないヴァンフリード。感情を消したその顔は、何だか泣いているようにも見える。
好きな人の苦しむ姿は見ていてとてもつらい。私は彼の背中にくっつくと、両腕を前に回して慰めるように抱き締めた。悲しいなら我慢をせず、全部吐き出してしまえばいいのに。
腹黒だけど優しい彼。今だってショックを与えまいと、ルチアちゃんをわざと同席させていない。王妃様の死因は、過去に病死と発表されている。だからかな? きっと妹姫には真実を一生隠し通すつもりなのだろう。
ローザを脅した姿は本気で怖かった。
でもそれだって彼女を捕まえるための芝居だった。その証拠に、母親の仇を討てた彼が喜んでいる様子は微塵もない。
ふと気がつくと、部屋には私たちの他には誰もいなかった。ヴァンフリードは……孤独な王太子は私を止めることもせず、そのままの姿勢で立ち尽くしていた――
しばらく経って正面に向き直った彼が、銀色の髪をかき上げながら言った。
「ねえセリーナ。そんなに優しくされたら、ますます離れられなくなるけれど」
良かった! いつもの彼だ。
ちょっとは元気になったみたい。
「大丈夫? ローザのことが好きだったんじゃあ……」
いくら母親の仇だとはいえ、自分でもどうにもならない感情があったのかも。幼い頃に優しくされていたのなら、今よりもずっと若くて綺麗な彼女に惹かれていたんだとしてもおかしくない。
「好き? まあ小さな頃の私はね、姉のように慕っていた。随分年の離れた側室が来たものだと、母も彼女に目をかけていたから」
「王妃様がいらして子供までいらっしゃるのに側室が?」
「ああ。私は必要ないと思うが、政治的な要素と元々政務に向かない父の性格のせいでね。家臣たちの言いなりだった」
「モテモテだったからではなく?」
だって、痩せ細っているとはいえ、このヴァンフリードの父親なのだ。健康になれば国王も、少なくとも今よりはかっこよくなるはずだ。王が好きで側室になった人もいたかもしれない。
「父が? 今の側室達も彼に好意があるのかどうか。まあ彼女達も、王家の財産や権力は好きだろう。だが、王や王太子が、個人として本当に愛されているかどうかを判断するのは難しい」
少し弱っているのだろうか?
いつでも自信たっぷりに見える王太子が、こんなことを言うなんて――
けれど私は、彼が本音を語ってくれたことがとても嬉しい。自嘲するような言い方に「そんなことはない」と言ってあげたくて、胸が苦しくなる。ローザのことは私の勘違いだった。彼はみんなの目の前で私を愛しいと言ってくれた。今なら私も、自分の本当の気持ちを彼に言えそうな気がする。
けれど、先に言葉を発したのはヴァンフリードの方だった。
「それで? 君はいつ記憶を取り戻したと、私に言うつもりだった?」




