一番好きな人
ベッドに横になって、吐き気が治まるのを待つ。さっきより少しは落ち着いたような気がする。
でもこれは、毒のせいというより自分の言葉に驚いたせい。何だろう? 恋愛偏差値って。もしかして私、記憶を失くす前に好きな人のことでも考えていた……とか? まさかね。
「大丈夫か、リーナ。具合が悪いと聞いたが」
義兄が部屋に来てくれた。
そういえば王太子だけでなく、兄のオーロフも顔パスで入れるんだった。
あれ? でも具合が悪いって誰に聞いたの?
さっきのローザって、実はいい人?
知らせてくれなきゃ義兄はここに来ないよね?
彼は私に近寄ると、すぐに手を握ってくれた。
「平気。少し気分が悪くなっただけだから」
「今日か明日にでも連れ帰ろうと思っていたが……まだ無理なようだな。お前には休養が必要だ。ゆっくり休むといい」
そう言って髪を撫でてくれる。
今日の義兄は優しい。
もしかして血の繋がらない兄が、私の好きな人なのかな?
私はベッドの上に身体を起こすと、思い切って聞いてみることにした。
「ねえ」
「何だ?」
「ちょっと聞きたいんだけど、教えてくれる?」
「……答えられる範囲でなら」
「ええっと……変なことを聞くけど怒らないでね?」
「言ってみないとわからないだろう? 何だ」
「兄様はその……私の好きな人を知っている?」
本人に直接聞くのはやっぱり恥ずかしい。
だけど今のところ憶えていたのは義兄のことだけだし、側にいても苦しくなったり胸が痛くなることはない。だから、私に好きな人がいるとすれば、兄の可能性が一番高いんじゃないだろうか。
引っかかった言葉から記憶を取り戻そうとする私って、スゲェ前向きで頭良くないかい?
「わからない。何でそんなことを聞く?」
なのに兄は顔をしかめて怒ったように呟く。
あれ、違うの? だったら兄貴じゃない?
「だって、直前に考えていたことを思い出せば、記憶が戻るかと思って。さっきちょっと気になる言葉が浮かんだし……」
義兄には素直に話せる。
今の私は病人だから、変なことを言っても多分お仕置きはされないはず。すると突然、オーロフが綺麗な顔を寄せてきた。正面から私の顔を見ると、こんなことを言い出した。
「リーナ、無理に思い出さなくてもいいんだ。いっそ、忘れたままでもいい。お前はこれからも私と共に在るべきだ」
真剣で訴えかけるような金色の瞳は、いつもの兄じゃない。頬に触れる指先や近づく顔に嫌な感じはしないけれど、何かが違うような気がする。
――違う、この人じゃない!
頭の中でまた、声が響いた。
「そこまでだ。私の婚約者にそのような行為は、いくら彼女の兄でも許さないよ?」
ここ何日かで馴染んだ声がした瞬間、私の心臓がドキリと音を立てた。見れば部屋を入ってすぐの所に、王太子が腕を組んで寄りかかっている。
「まったく。人に仕事を押し付けておきながら、君はここで大事な義妹と会っているの? 交代だ、オーロフ。やはり私の考えた通りだった」
「貴方も人が悪い。いらしていたなら、声をかけて下されば良かったものを」
「ふふ。私も君とセリーナの答えを聞きたかったからね?」
言いながら銀色の髪をかき上げて、こちらに近付く王太子。
うげ、それって結構前からいたってこと?
全然気がつかなかったんだけど。
っていうか、ヴァンってもしかして腹黒?
優しいだけじゃないのか?
考えた途端に胸が痛くなる。
思わず胸に手を置いて、目を閉じる。
「どうした、セリーナ。具合が悪くなったのか? オーロフ、すぐに医師を呼んで来てくれ!」
心配そうな声を出すヴァンに続いて、弾かれたように部屋を出る義兄。
「いや、別に。心配しなくていいから……」
義兄を呼び止めようと伸ばした手を、ベッド脇の椅子に腰かけたヴァンに取られた。彼は私の手を握り直すと、甲に唇を寄せてそのまま喋った。
「どうして? 私はいつだって君のことが心配だ。早く私のことを思い出して欲しいし、婚約者に戻ってもらいたい。だけど一番は、君によくなってもらいたいんだ」
深くて青い瞳にじっと見つめられる。
ほら、また――
彼が側にいるだけで、胸の音が大きくなる。
キュッとなった苦しい気持ちは全部、ここにいるあなたのせい。
これって、もしかして!?
いや、もしかしなくてもヴァンが私の一番好きな人なのか?
海のような青い瞳を見返す。
当たり前のことだけど、彼の目には私が、私の目には彼が映っている。そんなどうでもいいことが、今はすごく嬉しく感じられる。義兄に握られても何ともなかった手が、やけに熱い。
姿が見たいと思うのは、私が彼を好きなせい。
優しくされて嬉しいのも、近付くだけでときめくのも、あなたのことが好きだから。
なんだ、そうだったのか――
ようやく気づいた自分の想い。
ふいに涙があふれ、頬を伝う。
「セリーナ、そんな顔をするなんて。君は私をどうしたい?」
私の涙を見た彼は、何を思ったのか突然顔を寄せてきた。両手で私の頬を包むと、唇で涙を拭う。その仕草にビックリした私は、思わず泣き止んでしまった。
「ど、どうして……?」
額と額が合わされ、至近距離で見つめられる。
ち、近いんだけど。
冗談にしては、距離感おかしいだろ。
「どうして? そうか、君ははっきり言わないとダメなんだったね。セリーナ、これ以上私を夢中にさせてどうするつもりなの?」
「……え?」
何だろう、聞き間違い?
一瞬ビクッとしてしまった。
今のはまるで、ヴァンが私の事を好きだと言っているように聞こえる。
「君が忘れたと言うのなら、何度でも伝えよう。セリーナ、私は君が好きだよ。出会った時から、ずっと」
「ふえ? えぇぇぇぇーー!!」
思いっきり大声を出してしまった。
だって、好きな気持ちに気づいた途端にその本人から告白されるって……まさか物語じゃあるまいし!
「どうしたっ! 大きな声が聞こえたがっ」
その時ちょうど、医師を伴った義兄が部屋に戻って来た。奇声をあげた私を変な目で見ている。対してヴァンは涼しい顔。何事もなかったかのように立ち上がり、銀色の髪をかき上げている。
「べ、べべ別に。何でもない」
動揺しているのって私だけ?
今のって夢じゃないんだよね?
「まだ顔が赤いですね。脈も速いですし、熱があるのかもしれません」
医師にそう診断されてしまう。
うん、まあそうだろう。
でも、具合が悪いんじゃなくって、これって王太子のせいだから。
なのに何で? 何でヴァンは嬉しそうに笑っているんだ!?




