告げられない言葉
大使の歓迎パーティーが盛大に開かれることとなった。
主に城に勤める紳士淑女が集まって、正装している。肝心の大使は商談中とやらで、まだ顔を出していない。
仮とはいえ王太子の相手が私で、しかも『婚約者』だって正式に発表していないから、すぐに嘘だとバレるかも。
そんでもって周りの貴族達から、非難集中ボッコボコかと思っていたら、意外に何も言われなかった。それどころか「以前から仲がよろしかったですものね?」とか、「王太子もようやくですか」といった声が聞かれる。
そうだった!
囮の演技をみんなは演技と知らなかったから、本気にしてしまっているのかも。あの時もよく一緒にいたから、正式なパートナーだと思われているのかな? まあ、実際には婚約なんてしてないし、『婚約者候補の一人』って事でみんなも納得しているのかも。
「だったらヴァンフリード様の愛人や側室達は? 彼女達に刺されるような事はないのかしら?」
「嫌ですわ、お義姉様ったら。そんな事を言ったらお兄様が可哀想。せっかく念願叶ってお義姉様と堂々と一緒にいられますのに」
ルチアちゃんには喜ばれている。
「婚約者のふりをすることになりました」って報告した瞬間に、「今すぐ本当に婚約してもよろしいんですのよ?」と、宣った。でも、無理だから。品も教養もない私には、とてもじゃないけど勤まらないから。
ルチアちゃんは優しい。
王太子であるヴァンフリードが忙しいため、私に貼り付いて色々教えてくれている。
先ほどヴァンフリード自身が「大切な人だ」と周りに言ってしまったせいで、「おめでとうございます」「婚礼はいつですか?」とたくさんの人がやって来た。そんな顔も名前もよく知らない、多分偉い人達を、私に代わって上手く捌いてくれている。
私はといえば、愛想笑いで適当にごまかしてはいるものの、二人の馴れ初めとか愛を感じたきっかけとか聞かれても、そんなのよくわからない。
王太子は「初めて会った時から」って言ってたけど、やっぱりそんなの嘘だと思う。どう考えてもあの時の私は不愛想だったし。それに、婚約者のフリをするといっても期間限定だから、いまいち実感がわかない。
紹介だけして王太子が仕事に戻ったせいか、「どうしてあんな娘が」とか「大した事ないくせに」なんて言葉が聞こえてくるようになった。まあ、予想通りの展開だから今更気にしないけど。
「あの王太子をその気にさせるってスゴイんだろうな」
そう言う男性もいたけれど、とんと覚えがありません。男女の駆け引きとか社交界の噂話からは縁遠い所にいたし、何せ恋愛したことないし。
「つ……疲れる……」
偽の婚約者でさえこれなのだ。
本物の王太子妃となったらどうよ?
考えただけでもぐったりしてくる。
「まあ、お義姉様ったら。こんなの序の口ですわ」
ルチアちゃんが何だかすんごく偉く見えてきた!
「いつもこんなのに耐えてるって、ルチア姫、尊敬するわ」
私は心からそう言った。
半刻後、見た事のある背格好の男性を伴って王太子が戻って来た。
「一人にしてごめんね、可愛い人。さあ、カレントの大使に正式に紹介しよう。カルロ、こちらが私の婚約者、セリーナだ」
「初めまして。セリーナ=クリステルと申します。以後お見知りおきを」
スカートをつまんで、上品に挨拶する。
実際は二度目ましてですが。しかも一度目に、とんでもない失態を晒してしまった。
海の向こうのまだ向こう、カレント王国から来たという大使は、水色の髪に茶色の瞳をしていた。まだ若く、ヴァンフリードと同じくらい。だから話が合うのかもしれない。
「これはこれは。思った以上に可愛らしい。私はカルロ=バルディス。兄はカレント王国で宰相を勤めています」
宰相って……
確か義兄のオーロフに聞いたことがある。カレント王国の宰相は大変な愛妻家で、水の魔法使いだとか。以前この国にも来たことがあって、奇跡を見せたことがあると。
「じゃあもしかして、貴方も魔法を?」
「よくご存知ですね? ただ、私のはほんの子供だましです。兄には遠く及ばない」
それでもすごいと思う。
この国に魔法を使える人はほとんどいないというから。
本当にいるんだ、魔法使い。
私は尊敬の念で彼を見上げた……のに。
「セリーナ、私の目の前で他の男に目を奪われているの?」
言いながら王太子が腰をぐっと掴んでくる。おっと、いきなり婚約者の演技?
大使は一瞬目を丸くしてその様子を見ると、面白そうにクスクス笑った。
「うちの兄も同じような反応をしますよ。お聞きしていた通り、仲が良いんですね」
ちょっと待て。
大使、いったい誰から何を聞いている? それ絶対に間違った情報だから。婚約者になったのって、さっきからだし期間限定だし。
それより王太子、いくら婚約者のふりしてるからってくっつき過ぎ。さっきまで離れていたくせに、急にベタベタするっておかしくないかい?
「よそ見はダメだろう? 君は私だけのものだ」
王太子が甘い声で囁いてくる。なぜか喜ぶルチアちゃん。大使も頷いているから、これでもう今日のミッション完了? だったら帰っていいのかな?
作り笑いで離れようとするけれど、は……離れない!
「どこへ行こうとしているの? 君のいるべき場所は、私の隣だろう?」
もう勘弁してくれ~~!
前回の囮の時よりベタベタしているせいか、会場中の女性のトゲトゲした視線が痛い。
「わ、私、ちょっと……」
とりあえず、この場は脱出しておこう。もう十分勤めは果たしたはずだ。
「そうだね、まだ二人で踊っていなかったね。ルチア、カルロを頼めるかい?」
頷く二人を尻目に、広間中央にエスコートされてしまった。気を効かせた楽団が、突然ゆっくりした曲を奏で始めた。
いや、別にそんな気遣い要らないから。
っていうか、会場を抜け出そうとしていたのに中央って……出口がますます遠くなった。
ダンスは相変わらず苦手。
なのに中央の一番目立つ所で踊らなくちゃいけないって、これって何の罰ゲーム?
「力を抜いてリラックスして。私に身体を預けるといい」
王太子、確かにリードはすごく上手。
でもベッタリくっついてくるってことは、やっぱり足を踏まれたくないのかな?
「すごく綺麗だ。セリーナ、みんなが君を見ている」
いや、それって気のせいですから。見られてるのって王太子、貴方の方ですよ?
瞳の色と同じ青のカッコいい衣装がとてもよく似合っている。自分に自信があるのもわかる。彼は優雅に踊るから、うっとりした令嬢達の視線を独り占め。
銀色の揺れる髪と海のような青い瞳に吸い込まれそうになってしまう。
私はどうして、手の届かない人を好きになってしまったんだろう? 貴方に私は、相応しくないのに。
「ヴァンフリード様、私は……」
「言っただろう? ヴァンで良いと。ほら、呼んで、私の名前を」
好きな人に切ない表情で訴えられて、胸が苦しい。本来私ごときが、王太子の愛称を軽々しく呼んではいけない。だけど、今この時だけでも、彼の名前を呼ぶことができたならーー
私は目の前の秀麗な顔を見つめると、想いを込めてその名を呼んだ。
「ヴァン……」
「ああ、ようやく。その名で私を呼んでくれたんだね」
なぜか彼はとても嬉しそうだ。
その笑顔に、胸がツキンと痛くなる。
「でもヴァン、私は……」
言葉は結局、告げられなかった。




