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恋しくて

「すまないが、婚約者の具合が悪いようだ。あとの事は秘書官と打ち合わせをしてくれ。それと、この事はくれぐれも内密に」


「ああ、ではその方が! でもその恰好は?」


「野暮な事は聞かないでくれ。寝室に閉じ込めていたけれど、夢見が悪かったのだろう。落ち着かせてくるから後で会おう」


「かしこまりました。昼間から……いえ、それこそ野暮な事でしたね」


「ああ。心遣い、感謝する」


 泣きじゃくる私の顔を隠すように、頭から上着をかぶせてしっかり抱き締めてくれた王太子。大事な客だと思われる人物に別れを告げると、そのまま私を横抱きにして長い脚でどこかへ向かった。


「あ、あの……」

「しっっ、黙って。誰が見ているかわからない。あとでゆっくり話を聞くから今はおとなしくしておいで」


 軽々と抱きかかえてくれてはいるものの非常に申し訳ない。冷静になるにつれて恥ずかしさの方が勝ってしまった。「自分で歩ける」と言ったのに即座に却下されてしまう。せめて落とされないようにと、しっかり首にかじりつく。何人かとすれ違ったような気がしたけれど、私からは見えていないし向こうからも見えてはいないだろう。




 優しく下ろされたのは、いつかの長椅子。

 いえ、正確には長椅子に座る王太子の膝の上にそのまま乗っかっている感じ。ここは以前も来た事のあるヴァンフリードの私室だ。女官や護衛も王太子が部屋に女性を連れ込むことに慣れているのか、今日も咎め立てはされなかった。


「それで? そんな恰好で何があった?」


 ですよね~。

 聞かれると思ってたけど。 

 落ち着いた今となっては、泣くほどの事だったのだろうか? と思えてくる。城内で騎士であるジュール様が私を傷つけるはずがない。必死で逃げなくても笑ってやんわり流せば良かっただけのような。

 そもそも今日は稽古の予定は入っていなかった。寄り道などせずに私がさっさと家に帰れば良かっただけの事。

なのにがっかりして廊下をのんびり歩いていた私は、まんまと誘いに乗ってしまった。


「何を考えている。私に言えないような事?」


 頬に優しく手を添えられて髪を後ろに撫でつけられる。顔を上げると間近で覗き込んでくるのは、心配そうな青い瞳。恐怖を覚えた後で好きな人にこんなに優しくされたなら、どっぷりハマってしまいそう。自分の気持ちが怖くなる。

 

「いえ、ご迷惑をおかけしてしまってごめんなさい。お仕事中だったのに……」


「構わない。君の方が大切だ。そんなに泣くほど何があった?」


 優しい言葉はたとえ嘘でも嬉しい。

 弱い自分は嫌いで、他人に頼る生き方はしないと決めていたはずなのに。


「たいした事ではありません。ただ、びっくりしてしまって……」


 ジュール様の仕業だと正直に言えば、もしかしたら彼が首になってしまうかもしれない。そうでなくとも王太子に告げてしまえば、厳重注意だとか処罰の対象になってしまうだろう。向こうはほんの冗談のつもりでも、私は本気で怖かった。でもだからといって権力の強い者に言いつけるような真似はしたくない。ここは上手くごまかさなければ!


「そんな理由で? 違うね。じゃあ言い方を変えようか。君は誰に泣かされたの?」


 う……す、鋭い!

 だけど王太子の前で他の男の人の名前を出したら、前回の二の舞に。セクハラ大魔王に変身されてしまう! ジュール様をそれほど庇いたいわけでは無いけれど、自分のためにも言わないでいた方が良さそうだ。


「ええっと……蜂! また蜂に刺されそうになったから怖くて逃げてしまって!」


 我ながら上手い言い訳だ。

 蜂に怖がっていたと思われれば、逃げていた理由になるかも。


「そんな恰好で?」


 やばっ! 

上を戻すの忘れてた。

 着替えようとドレスを肩から外していたから、コルセットが見えたままだった。私ったらなんて恰好で外を走り回っていたんだ!

王太子が咄嗟に上着を掛けてくれたから良かったようなものの、ずっとこのままでいたらただの痴女だ。スカートまでずり落ちていなくて助かった。


「ねえセリーナ、もう少しましな言い訳をした方がいいよ。それともそんな姿で、もしかして私を誘っている?」


 うん? そんなわけ無いよね?

 なのにそのまま長椅子に押し倒すってどう考えてもおかしいでしょ。ずり上がって逃げようとするけれど、自分よりも身体の大きいヴァンフリードにのしかかられて身動きが取れない!


「ま……待て待て、ストーーップ!」


「嫌だね。無防備にも程がある。簡単に男と二人きりになってはいけないと、なぜわからない?」


「待って。じゃあ服! 服を元に戻すから!」


「そう言う問題じゃない。なぜわからないんだ!」


「……」




 彼はすごく怒っている。

私はバカだ。これでは単にジュール様から逃げてヴァンフリードの部屋に来ただけの事。相手が代わっただけで同じ事を繰り返そうとしている。

でも待てよ? ここに連れて来たのって王太子だよね。私が全く悪くないとは言わないけれど、彼はいったい何が言いたいの?


顔を上げて青い瞳を見つめる。

 苦しそうな瞳は本当に私の事を心配している。

 口ではひどい事を言いながら、彼はきっと私を傷つけない。それだけはなぜか、確信めいたものがある。

逃げる私を見つけて、抱き留めてくれた。

 大事な用事を中断してまで、人目につかないようにここに運んでくれた。

 それに――ああ、そうだ。

 その場を離れるために、『婚約者だ』と嘘までつかせてしまった。


「ごめ……ごめんなさい」


ようやく自分の愚かさがわかった。

 本当はどうすれば良かったのかが。

 一人で行動してはいけない。

 侍女をつけなければならない。

 男の人に簡単についていってはいけない。

 その意味が、ようやく腑に落ちた気がする。

 バカな私のせいで、彼にまで迷惑をかけてしまった。

 それが、何よりも辛い。




「泣かなくていい。何かされたわけではないよね?」


 両手で顔を覆いながら私は頷いた。

 いつの間にか大粒の涙をこぼしていた。

ヴァンフリードは私に何があったのかを、薄々感づいていたんだと思う。だから私の名誉を守るために、顔や姿を隠してここまで連れて来てくれた。だけどそのせいで、客人との大事な話を妨害してしまった。私を庇った発言のせいで変な誤解をされて、想う人との仲を壊してしまったらどうしよう?


 大好きだから近付かないって決めたのに。嫌われたくないから邪魔しないって思ってたのに。好きなのに足を引っ張ってばかりの私は最低だ。

 薔薇のお礼を言うどころか、彼を困らせるためだけに城に来たみたいだ。


「ごめん、怖がらせたいわけでは無かったんだ。私以外の男の所に行かないで」


 そう言うと彼は手を引っ張って私を起こし、あやすように背中をトントンと叩いてくれた。その優しさに涙が止まらない。甘えるように彼の肩に頭を乗せ、涙を流す。


 王太子の言いたい事がよくわかった。

 自分なら囮として一緒に行動していた経験があるから、安全だというわけね? 好きな人がちゃんといるから、からかう事はあっても本気で私に手を出そうとはしないから安心だというわけね?


 なのにどうして――?




 ひとしきり泣き終えた後の私の顎を持ち上げると、自分の顔を近づけてくる。何をしようとしているの? さすがにこれは、良くないと思うよ!


「ダメ、絶対にダメだから! 慰めるためにキ……キスしようとするのは。こういうのはちゃんと好きな人としないと!」


 胸に手を置き突っぱねる。

 前回はテラスでファーストキスを奪われてしまった。あの時も演技過剰でどうかと思ったけど、今はもう演技はしなくて良いんだから。さすがに遊びで二度目はダメだろ。いくら私の好きな人でも、けじめはちゃんとつけたい。


「それなら問題はないね」


 掠れた声でそう言うと、王太子ヴァンフリードは私の唇に自分の唇を重ねた。

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