狼なんて怖くない!?
王太子に薔薇のお礼を言うために、再び城へ行く事になってしまった。あの後執務室での出来事を義兄から散々問い詰められたものの、さすがに恥ずかし過ぎるのでのらりくらりと適当に返事をしてごまかしておいた。
顔を見ればからかわれるだけなのに、「どうしてそんな人を好きになってしまったんだろう?」と、今日も自分に問いかけてみる。
王太子は綺麗な顔をしているけれど、私は元々イケメンには興味が無かったはずだ。それなのにいつの間にか、気が付けば青い瞳を思い出すようになってしまった。
囮の時に女の子として扱ったり、大事にしてくれたから? でもあれは演技であって数に入れてはいけないと思う。
最近でもいろいろ言ったり触ってきたりするけれど、それは私をからかって楽しいからだとか、女性は一応口説かなきゃ、とかそんな理由なんだと思う。
だけど恋愛経験ゼロで免疫の無い私は、そうとはわかっていてもドギマギしてしまう。まあ、拳を出したのは悪かったけど。
首席秘書官である義兄に案内されて執務室へ。入るまでドキドキしていたのに、本人不在でちょっとだけガッカリ。まあ会えるのを、そこまで期待してたわけじゃないんだけど。
……というより、兄も秘書なら王太子の予定を把握していたはずよね? もしかしていないのを知っていて礼状を持って行くよう私に言いつけたとか?
「まあ別に、それほど会いたかったわけでもないし。殴っちゃったこと謝りたかっただけだし」
先に手を出したのはあっちだから、自慢の顔を傷つけられたとはいえ死刑にはしないで欲しい。そもそもあれぐらいの拳なら余裕で避けられたはず。なのにうっかり当たってしまったって事は、考え事をしてボーッとしていたか、もしくは私が強くなっているとか?
兄様と一緒に来たから特に侍女も連れて来ていない。他に用事もないしすぐに帰ろうと廊下を歩いていたら、可愛らしい顔立ちの騎士とすれ違った。ジュール様だ!
「あれ? セリーナ、こんな所で何を?」
「ジュール様、ごきげんよう。先日はありがとうございました」
「ああ、あれ。ごめんね? 稽古の途中で用事が出来て放り出す事になってしまって」
「いいえ、お仕事ですもの仕方がありません。それにあの後、グイード様とルチア王女に良くしていただきましたし」
王太子にはセクハラしかされなかったけど。まあその後大量の薔薇をもらったし、ぶん殴ったからこれ以上は怒るに怒れない。
みんなに持って帰ってもらってもまだ余っているので、我が家は未だに薔薇祭り開催中だ!
「グイード様? おかしいな、彼は僕たちと合流したはずだけど」
「ええ。ですからほんの少しの間だけ。あとは王女様とお茶していました」
と、言う事にしておこう。
一緒にいたけど飛竜ですぐに出撃していたし、説明するの色々面倒くさいから。
「そう、それなら良かった。ところでこの後僕は時間があるけれど。君さえ良ければこの前の続きをしていく?」
どうしよう?
『ラノベ』の通りならジュール様は泣き顔好きのちょっと変態さん。でもこの前蜂に刺された後の処置は的確だったし、そんなに変態でもなかった。それに、騎士である彼から学ぶ事は多い。兄様には「私が教えるから」と言われているけれど、彼は多忙でそれこそあてにはならない。だけど……
「ええっと……お願いしたいのはやまやまなのですが、この恰好では無理かと。またの機会にお願いできますか?」
冷静に考えたらドレスを着たまま稽古ができるわけがない。
城に行くという事で、張り切った侍女に胸の部分が緑色で両サイドはクリーム色の切り替えがあるちょっとおしゃれなドレスを着せられてしまった。優美だけど動きにくいので、剣術や体術のレッスンには不向きだ。
「そうか。服は僕ので良ければ貸せるけど。無理に、とは言わないけどどうする?」
愛らしい顔立ちのジュール様。
細身だし背も私より少し高いだけなので、確かにサイズはそんなに違わないかも。でも彼の方が華奢でウエストが入らなかったらどうしよう?
「僕のがダメだったら騎士団の他のヤツから調達すればいい。でもこんな事、年頃の娘さんにとっては嫌だよね」
言いながら「だめ?」という風に首を傾げる。
くぅぅぅ~~! 可愛い過ぎるでしょ。
イケメンというよりアイドル顔は反則だ。
これで兄様と同い年だというのだから末恐ろしい。
「じゃ、じゃあちょっとだけ」
「わかった! それなら寮の僕の部屋で着替えるといい」
そう言ったジュール様の猫のような目が光ったような気がしたのは……きっと気のせい、よね?
白に金色の模様の近衛騎士の制服を着ているジュール様は、害のない羊さんかウサギさんのようだ。童顔だから余計に可愛く見える。だから私も特に気にせず、騎士団寮の彼の部屋までホイホイついて行ってしまった。ここは女人禁制、という事でもないらしい。
なのに……
「ええっとジュール様? こ、これはいったいどういう状況で?」
今の私は上をはだけ、コルセットの紐を出した状態で壁にビタッと貼り付いている。
「嫌だなあ、着替えにくそうだから手伝ってあげようとしているんじゃないか」
「いやいやいや、それにしてはナイフはおかしいでしょ。それにジュール様こそさっさと着替えないと風邪をひいてしまいますよ?」
「こんな状況でも僕の心配をしてくれるの? ふふ、君ってやっぱり優しいね」
ジュール様も着替えの途中で上半身裸。
しかも可愛い顔して鍛えているからか、しっかり筋肉がついている。筋肉見るのは好きだけど、どちらかというと彼の場合は見たくなかった。顔とのギャップがあり過ぎてちょっと。
それよりも、気になるのは手に持っている小型のナイフ。
どうやらコルセットの紐が取れずに悪戦苦闘している私に代わって切ってくれようとしているみたい。でも時間さえくれれば自分で外せるし、切る前にほどく方法を考え出して欲しい。というより、部屋に入った途端に狼に豹変するって聞いてなかったんだけど。
「こ、こんな状況って……」
「自分から男の部屋に入っといてそれは無いよね? 大丈夫。白い肌に傷をつけないよう気を付けるし、優しくするから」
「はいぃぃぃ!?」
こ、怖、怖いんですけど。
口元は優しい笑みを浮かべているのに薄茶の瞳はまったく笑っていない。さすがに騎士だから手元が狂うって事はないだろうけど。
それにしても、言われている意味がよくわからない。こんな事なら義兄に言われているように、一人で行動するんじゃなかった!
「それとも傷つけた方が良いのかな? そうすれば僕が責任を取れるし。赤い傷は白い肌に映えるだろうしね?」
「ね?」って可愛く言われても……
じょ、冗談、ですよね?
あなた騎士でしたよね?
でも、冗談とも本気ともわからないままでは怖すぎる。
実力差は圧倒的だし、同じからかうにしたってこういうのは本当に嫌だ!
「ねえセリーナ。僕のものになってよ」
浮かべているのは妖艶な笑み。
ナイフを舐める仕草に目を奪われる。
だけど……
「む、無理無理無理ーーー!!」
私は必死で扉を開けて、そのままの姿で部屋の外へと飛び出した。
「あれ? 逃げられちゃった。冗談だったのに……」
後ろから、からかうようなそんな声が聞こえたような気がした。けれど、無我夢中で転がるように階段を下り、外に走り出る。
「もう嫌だーーー!」
顔がひきつって涙が浮かんでいるのが自分でもわかる。恐怖のあまり彼から距離を取ろうと、滅茶苦茶に外を走りまくる。周りがよく見えず、自分がどこにいるのかもわからないけれど、とにかく遠くへもっと遠くへ――
ドンッ
誰かにぶつかってしまった。
「セリーナ……?」
その人は私を見ると、すぐに自分の上着を脱いで着せかけてくれた。
彼の声と支えてくれる筋肉質の腕にホッとして、気が緩んでしまった。誰かと一緒にいて仕事中だとわかっているにも関わらず、私はその胸に縋ってわんわん泣いてしまった。




