叶わぬ想いなら
「我ながら思い出しただけでヘコむわ~~。でも大好きな人にある日突然捨てられるのは、やっぱちょっとねー」
身についた考え方はなかなか抜けない。
自分から好きになるのも、近付き過ぎるのも怖くて出来ない。
馬車の中でグダグダ考えていたら、いつの間にか我が家に戻っていた。狭くて暗い所は苦手だけれど、伯爵家の馬車はそこそこ広いし動くから、一人でも窓を開けていれば大丈夫! 何とかいけるしそれ程気にならない。
屋敷の正面で降りて両手をうーんと上げて伸びをする。
家に入ると両親と兄が待ち構えていたので、遅くなった事情を説明した。といってもやましい事は何もなく、図書館に寄っただけなんだけど。例によって、過保護な義兄にはとても心配されてしまった。
「リーナ! こんな時間まで何をしていたんだ。私より前に城を出たはずだろう? どうしてこんなに時間がかかった」
「お兄様こそ、こんなに早く帰って大丈夫なの?」
やる気が無いと思われてクビになるんじゃあ……
「あの後すぐに仕事を片付けてきた。だが先に帰ったはずのお前がいない。どんなに心配したかわかるか?」
う……ごめん。
だって兄様いつも帰りが遅いから。
少しくらい遅くなってもわからないと思ったんだもん。
「図書館に行っていました。淑女たるもの、やはり教養も身につけないと」
真っ赤な嘘ですが。
まさか「死にたくないから『ラノベ』の結末聞きに行って、自爆しました」とは言えない。
「うちにある本もほとんど読んでいないのに?」
ですよね~。こんな事なら怪しまれないように少しでも本を読んでおくんだった。でも我が家の図書室は兄の趣味なのか難しい本でいっぱいだし、母の趣味の園芸本にはちっとも興味がわかないし。
「まあいい、すぐに食事にしよう。着替えておいで」
兄の勧めに従って、部屋に戻ってすぐに着替えた。家族揃っての晩餐は久しぶりかもしれない。侍女が気を効かせてコルセットの要らないドレスにしてくれたから、お腹いっぱい食事を楽しめそう!
夕食の席で聞かされたのは、義父が引退して義兄に家督を譲るという話だった。正式に認められたら、今後は兄が『伯爵』を名乗るんだそうだ。もちろん私に異存はない。むしろ伯爵になった方が、首席秘書官として兄も仕事をしやすいだろう。
家庭教師に習ったところによると、伯爵領はここから遠い。
王都には腕の良い医師がいるので、セリーナの身体のために家族はこの別宅に移り住んでいたそうだ。私が健康になった今、その必要は無い。だから城で勤務する兄を残して領地に戻る、というのはおかしくない選択だ。
ところが、続く義父の言葉に私はビックリした。
「私達がいない方がオーロフも自分のために時間を使えるだろう。セリーナも空気の良い田舎の方が、もっと元気になれるのではないかな?」
「え、私も?」
「社交界や舞踏会にはシーズンがあるから、その時だけこちらに来て相手を見つければ良いと思うの」
げ……そうだった。
両親の言葉に、改めて自分が伯爵令嬢だった事を思い出す。もう成人してるから、本格的に婚活しなきゃいけないのか? 今までのセリーナは病弱でお付き合いを免れていたけれど、さすがに今の私が病気を理由に断ってはダメだろう。そもそも早く恋愛しなくちゃ殺されてしまうんだった。
でもどうしよう?
領地に引っ込んだらラノベからも攻略者からもどんどん遠ざかってしまう。それで死ななきゃ良いけれど、もし伯爵領まで犯人が追っかけて来てしまったら?
それに、私の好きな人はここにいる。
地方に行ってしまえば、きっともう会えなくなってしまう。
大好きで嫌われたくないからこれ以上仲良くするつもりはないけれど、できればあともう少しだけ。遠くからでもいいから姿を見ていたい。
「その事ですが……」
「はいはいはーーい! ルチアちゃんと海に行く約束をしました。それまで私が行くのを待ってくれたら嬉しいです!」
元気よく手を挙げて発言した。
兄の言葉を遮ってしまったようだけど、こっちも必死だから仕方が無い。猶予をもらって恋人作るか何とか残る方法を考え出さないと。
兄が怪訝な顔をしている。
でも嫌がられても、この家から当分離れるつもりはないもんね!
相手は遠く隔たって手の届かない人。
彼には『手放せない女性がいる』し、『心に想う人がいる』らしい。
どうせ叶わぬ想いなら、告げずに見守るだけでいい。
どうにかなりたいなんて思っていない。
からかわないで真剣に相手をして欲しいなんて思っちゃいけない。今日の事だって振り返ってみれば、いつかは良い思い出になるのだとわかっているから――
瞼を閉じれば目に浮かぶのは、いつだって深く青い瞳。
困った顔もからかうような表情も、時々見せる怒った顔も全てを近くで見ていたい。目を細めて嬉しそうに笑いかけてくれたなら、嬉しくって胸が苦しくなってしまう。
ふざけているだけだとわかっていても、彼に迫られると照れてしまって素直になれない。恥ずかしくってどうする事もできなくて、いつも手の方が先に出てしまう。
赤く腫れた顔は大丈夫?
どうしてあの時いつものように避けなかったの?
いくら考えてもわからない。
「どうした? さっきから手が止まっているようだが」
義兄に心配されてしまった。
王太子の顔を殴ってしまった事、自白しておいた方が良いのかな? だけどその事で秘書官である義兄と王太子の関係がギクシャクしてしまうのも嫌だし……
それになぜかヴァンフリードは、私に殴られたと周りに言いふらさないような気がする。飼っていたペットに反抗されたくらいにしか思わないんじゃないかしら? いきなり『死刑』にするなんて事、無いと思うけど。
ふと見ると、執事が義父に何やら耳打ちしている。
義父は私を手招きして呼ぶと「中座して玄関に行くように」と言った。
何だろう。お客さんかな?
でも玄関で帰すって事はセールスマン?
「なんじゃ、こりゃあぁぁ!?」
玄関ホールを見た瞬間の私の第一声がこれ。
だって、届けられたばかりの青と白の薔薇が所狭しとホールいっぱいに積まれていたから。
「いったいどうしたの? 今日は薔薇のお祭り?」
誕生日には程遠いから、わけがわからない。
執事は驚く私を見ながら、大量の薔薇に添えられていたたった一枚の小さなカードを差し出した。
『さっきはごめんね ヴァン』
うーわー。
こんな謝り方、マンガでしか見た事ないや。
でもあれって、私の方が詫びを入れないといけないんじゃ?
それよりもこんなに大量のお花、どうしよう?
まさか食用……じゃありませよね?
違うらしいので取り敢えず各部屋に飾って、余った分は薔薇風呂に薔薇の絨毯に押し花にでもする? うちで働いてくれているみんなにも、是非持って帰って愛でてもらいましょう!
音もなく後ろから近付いた義兄が、手に持ったカードをヒョイと取り上げる。
「あ……」
「リーナ、これはどういう事だ。何があった? こんなにたくさん贈ってくるとは、相当の事があったのだろう? お前は執務室では何も無かった、と私に示したと思うが?」
しまった!
でも、王太子に色々触られてビックリしちゃって振り上げた拳がクリーンヒットだなんて、過保護な兄には言えませんもの。
「さ……さあ? ちょうど薔薇が大安売りであげる相手がいなかった、とか?」
「まさか! 薔薇は王家の象徴だ。軽々しく人にあげる物ではない」
え? そうなの?
それは知らなかったんだけど。
って事は、今日の事はやり過ぎたと思って反省しているのね?
それなら許してあげてもいいけど……
「しかも青い薔薇はお前の髪の色で、白い薔薇は王家の色だ。セリーナ、説明してもらおうか?」
ぎょえ~~兄が怖い!!
『お仕置き』か? お仕置きなのね!
しまった、王太子め。
こういう仕返しの方法があったとは。
全く気付かずすっかり油断していた。
贈り物とカードに騙されて、セクハラした事を本気で反省しているんだと思ってしまった。もしかして、わざと私を困らせようとしているのか?
ニヤっと笑う整った顔が眼に浮かぶ。
一瞬だけでもほだされてしまった自分が悔しい。
想う人がいるはずなのに、たくさんの綺麗な薔薇を私に贈ってくれた彼。堂々と家に送り付けるなんて仕返しにしては大掛かりだ。いったい何を考えているんだろう?
私はなぜそれを、彼の心からのプレゼントだと勘違いしてうっかり喜んでしまったんだろう?




