嘘つきはお仕置きの始まり?
執務室を慌てて飛び出し、転がるように廊下を走っていた私。
ふいに呼び止められた。
「リーナッ!」
その声に聞き覚えがあったので、ピタッと足を止めた。
通り過ぎた所に兄の姿が。
彼は同僚らしき人物に書類を預けると、軽く走って私の前にやって来た。
「どうした、リーナ。なぜここに?」
頬に優しく手を触れられ、聞かれる。
げげっ、忘れてた!
ジュール様との稽古の事は、兄には内緒だったんだ。
日頃から兄には「社交術をよく学び淑女らしく振る舞うように」と言われている。だからここで「実は体術や剣術を習おうとしてました」なんて、バレたら大変だ。
「ええっと……お城の見学?」
「首元が腫れているのはどうしてだ?」
すぐに目につきましたか。
これはさすがに『肩こり』でごまかせそうにはないな。
「えっと、外に蜂がいて。それで」
「そうか。すぐに手当てをしてもらうといい」
言いながら、腫れた所を舐めようとするから……
「ストーーップ!」
ギリギリで押しとどめた。
危ないところだった。王太子と兄が間接キスになってしまう。私は別に良いけれど、それじゃあ二人が気の毒だ。
それとも今、城では舐めて治すのが流行ってんのか?
訝し気に眉を顰める兄が、金色の瞳で私をじいっと見ている。何気にマズい気が。
「リーナ、これは涙の跡? どうした。誰かに泣かされたのか?」
親指で目元をなぞって聞いてくる。兄は意外に鋭い。
「王太子に触られてどうして良いかわからなかった」と本当の事を言ってもいいけれど、心配させるの嫌だな。過保護な兄から今後外出禁止を言い渡されるのも避けたいし。それに殴ってしまったから、私の方が実は加害者?
王太子は兄にとっては上司だし、巻き込んではいけない。
ここは何とかごまかさなくっちゃ!
大きく息を吸い込んで、答える。
「いいえ、あくびをしました。それより、お兄様こそお仕事大変でしょう。国境沿いの件はもう良いんですの?」
「いつもの事だがなぜそれを?」
うわっ、話を変えようとして失敗した?
「ええっと……誰かが話していらっしゃるのを聞いて」
「誰かが不用意に機密情報を漏らしたと?」
うわーん、どうしよう?
一個嘘をついたらどんどん嘘をつかなきゃいけなくなった。しかもそれを全部うまくごまかさなきゃいけないなんて。
腕を組み、整った顔をこちらに向けて兄が探るように私を見ている。
やっぱ無理!
思いっきり目を逸らしてしまった。
「セリーナ、ちょっと」
そのまま兄に廊下にある出窓みたいな所に引っ張って行かれた。ここなら柱で遮られているから、小声で話せば通行人にも気づかれない。外の樹々も眺められるけど……って、今はそんな場合じゃ無いし。
「それで? 本当は何しにここに来たんだ」
ああ、やっぱりだめでしたか。
ここで嘘をつくと兄は結構ねちっこい……根に持つタイプなので、また『お仕置き』と称して何をされるかわからない。
昨日のあれは赤面ものだったし、誰かと間違えたからもう無いにしろ、必要以上にドキドキしてしまうのは勘弁願いたい。
「実は……」
結局、兄には本当の事を言った。
ジュール様が休みなので稽古をつけてもらいに来た事。そこで疲れてぐったりしている時に蜂に刺されてしまった事。途中でジュール様が会議に呼ばれたので外をウロウロしていたら、グイード様に声をかけられお風呂と食事を用意していただいた事。「国境沿いの件で」とグイード様を呼びに来た王太子と鉢合わせした事。後からルチアちゃんに案内されて執務室に行った事。
「人払いをしたのはそのためか。ヴァンフリード様に何かされなかっただろうね?」
肘に手を添え何かを考え込むように口元に片手を当てた兄が、金色の瞳を細めて聞いてくる。
私は黙って首を横に振った。
さすがに執務室の中での出来事は言えなかった。言えば兄はすごく心配するだろう。私自身とてもショックだったし。
王太子ヴァンフリード。
好きな人がいるのに、あんな風に手を出す人だなんて思わなかった。腹黒なのは知っていたけど、囮の時はまあまあ仲良く過ごせていたのに。
演技が過剰なのはわかっていたけど、終わってからもいい加減な気持ちで触ってくるだなんて。所有物のように思われていたのも腹立たしい。
あと二、三発殴っておけば良かったかも。グーで殴った事、シラを切り通せばバレないかな?
「どこから注意をすれば良いのか……」
執務室での出来事以外を話した私。その話を聞き終えた義兄のオーロフ。
『最高の頭脳』と言われている兄が頭を抱えて悩んでいる。
「……リーナ。そもそもなぜ剣術や体術を? お前にはその前に、覚える事がたくさんあったはずだ」
義兄はここがラノベの世界で、自分もセリーナもその登場人物だという事を知らない。
『誰にも相手にされなかった場合、私が命を狙われるから。だから少しでも強くなりたかった』って言ったら、どんな顔をするのだろうか?
「剣術なら私でも教えられる。体術……護身術は乗馬と一緒に教えようと思っていた」
おや、それは初耳。でもさっきの稽古の時、ジュール様が「オーロフとは王立学院で同級生だった」と言っていた。って事は、剣術とか馬術なんかは体育の授業になるのかな?
兄が剣を構える姿も見てみたい気がする。きっと似合うと思うのは、義妹の欲目かな。
「それに、城は危ないところだとお前には教えてあったはずだ。本来17歳は立派な大人だ。けれどお前は家から出たばかりで、まだ危うい。囮にさせたのは悪かったが、これ以上はダメだ。心配させないでくれ」
私の頬に手を当てて真剣に言う兄。なぜか辛そうな顔をしている。
そんな顔をさせるつもりじゃ無かった。セリーナの身体を粗末に扱うつもりじゃ無かったんだ。
兄が義妹として私を大事にしてくれているのはわかっている。セリーナの身体に入ってしまった私を、諦めて受け入れてくれている事も。
だけどそれは、小さな頃からずっと一緒だったセリーナのため。決して中身を……私を心配しているわけではない。
だから兄はいつでも過保護。義妹のセリーナが傷つく事を、何よりも恐れているように見える。でも、私の行動のどこに心配するような要素があった? とても良くしていただきましたよ? 王太子以外の方には。
「お前には外の世界を見せたいと願ったが、ある理由から急激に大人になって欲しくはない」
「ある理由って?」
やっぱり小さい頃の方が可愛かったと言い出すんじゃあ……
「そのうち言えると思うが、もう少しだけ待って欲しい。だが覚えておくといい。望むと望まざるとにかかわらず、周りはお前を女性として見ている」
「……兄様、私の事を男だと?」
「違う。『大人の女性』という意味だ」
「もう大人だけど……」
「適齢期として見られるという事だ」
「適齢期って結婚適齢期?」
むしろ、望むところなのですが。
死にたくないから早く恋愛したいし。
「そう。だから身辺には気をつけなさい。昨日の様子では私も言えた義理ではないが」
う……まあ確かに。
昨夜は兄にもいろいろされてしまったような。ビックリしたけど嫌では無かった。好きな人と間違われてしまったのが、少し悲しかっただけ。
だから思い切って聞いてみた。
「じゃあお兄様も? お兄様も私を適齢期だと思っているの?」
そんでもって自分が好きな人とくっつくために追い出しにかかっているとか? でも、それだとさっきの『急激に大人になって欲しくない』とは矛盾してしまう。じゃあ一体どういう事?
「それは……ここで言う事ではないな。家でゆっくり話そう。気を付けて帰りなさい」
何かを考えるような仕草をした後、忙しいのかすぐに義兄は戻ってしまった。
去り際に目元と頬へのキスを残して。
柱の陰で良かった。『お仕置き』でもないのに、こんな所で兄が触れてくるなんて。
それともこれって、城での挨拶なのかな?




