憧れていた景色
結局、私はジュール様の馬に乗せてもらい一緒に帰ることとなった。
理由は彼だけが食料を持っていたから。騎士の常備食である携帯用干し肉の微かな香りに引き寄せられ、堅いパンのようなものもくれると言うから、つい。
だって、昨日からろくなもの食べて無かったんだもん。我ながら食い意地が張っていて燃費が悪いと思うけど、空腹には勝てない。決して餌付けされたわけではない……と思う。
なぜか悔しそうなお兄様。ごめん、お叱りは帰ってゆっくり受けるから。
グイード様も「飛竜で帰った方が早く着くよ?」と言って下さったけれど、帰った後の何だかんだを考えると今すぐ口にできるものがある方がありがたい。まったく淑女らしくなくてごめんなさい。でもいくらヒロインだと言われてもこれが私だし、元々の性格を変えるつもりも無いので。早く干し肉食べたいから、恋愛の事はお腹がいっぱいになってから改めて考えることにしようかな?
「それなら日を改めてゆっくりと――君に空からの景色を見せてあげたい。良い時にいつでも声をかけて?」
グイード様、さすがは年長者だ。引き際も鮮やか。
いちいち私の頬に手を添えてじっくり瞳を覗き込みながら言うのもどうかなーとは思ったけど。まあ女性を口説くのが彼の癖だとヴァンフリードも言ってたことだし、これが女性に対する彼の普通の態度なのかな? でも社交じれーにしろ何にしろ、いつかは飛竜の背中に乗っけてもらいたい。空から下界を見下ろすのはきっと、天下を取ったような気分に違いない。バイクを飛ばすよりも爽快な気分になれるんだろうな。
いただいた干し肉をちびちびかじりながら帰途につく。干し肉はビーフジャーキーのもうちょっと分厚い版。何の肉かは敢えて聞かなかったけれど、日持ちがするように塩でしっかり味付けされているからちょっとだけ喉が渇く。
今の私はスカートを引き裂かれていたこともあって、外套を着せられてジュール様の前にしっかり跨って座っている。脚の部分は毛布のようなもので隠してあるけれど、別に脚が見えても良いのに……え? ダメ?
さらに「馬上は不安定だから寄りかかっていいよ」と言われているから、揺れた時には遠慮なく後ろにもたれかかっている。でも、ジュール様は幼い顔で細身の割にはしっかりと筋肉がついている。意外にがっしりしているからか、私が寄りかかったぐらいではびくともしない。
「セリーナ、そろそろ喉が渇いたんじゃない? 水筒も持っているから、口移しで飲ませてあげようか?」
はい? ジュール様、バカじゃないの?
水筒くれたら自分で飲めるけど。いくら馬上で揺れているとはいえ、それぐらい自分でできるし。しかも、間接キスの方が口移しよりもハードル低いよね。っていうか、病気で飲めないわけでもないのに何で口移し? お腹が空いてただけで、私そこまで弱ってないんだけど。
ジュール様の水筒を受け取る私を見た兄が、なぜか血相を変えて道を外れた。突然どうしたんだ? まさかのトイレ休憩? 途中でいなくなったと思った兄は、どこかの農家からオレンジのような果物とカステラみたいなものを一切れせしめて戻って来た。
「ほら、リーナ。果実で喉をうるおせばいい。卵のケーキも美味しいし、あげるからこちらへ乗りなさい」
もうお兄様ったら、相変わらず過保護なんだから。
私が兄の馬の方に移ったのは、もちろん言うまでも無い。
ジュール様は呆れたのかこんな事を言い出した。
「それなら僕は報告のために先に戻るよ。オーロフ、くれぐれも兄妹で道を外れないようにね!」
兄もさすがにもう農家には寄らないだろう。
お腹壊してたら別だけど。
しかもさっき確か一本道だって言ってたはずなのに「道を外れるな」っ変なの!
颯爽と走り去っていく姿を見て、ジュール様は今まで私の為にゆっくり馬を走らせてくれていたんだとわかった。食料も水も奪ってしまったし、何だかとても悪い事をしちゃったな。
行きは薬が効いて眠っていたせいかさっぱり記憶がないけれど、結構遠くまで来ていたようだ。 田舎の景色を随分見て、森を抜けた後はまた田舎。途中、夕陽に染まる黄金色の麦畑を見て「きれい~~」と、思わず感嘆の声をあげてしまった。私だって何も食欲だけでは無いのだ。たまには景色だってちゃんと見る。
でも、私の言葉を聞いた兄はなぜかとても嬉しそう。
手綱を握る手に力を込めたかと思うと、私の肩に顎を乗せ、耳元に唇を寄せて囁いてきた。
「……お前には外の美しい世界を見せてあげたかった。それが今、こんな形で叶うとは。お前が生きて私と共にいてくれて、今、どんなに感謝しているかわかるだろうか?」
その言葉に自然と涙が浮かんでくる。
これはもしかしたら元のセリーナの……記憶?
屋敷から出られなかった病弱な彼女も、大好きなお兄さんと一緒に外に出る事を夢見ていたの?
それなら、この切ないような苦しいような胸の痛みの意味もわかるような気がする。
彼女もきっと、外で元気に遊びたかった。
大好きな兄が話す外の世界が見たかった。
屋敷の外に広がる景色を大切な人と2人で、目にしてみたかったのだ。
何てことはない田舎の風景。
けれどこれこそが、外に出られなかったセリーナが『憧れていた景色』だとわかる。
草の香り土の匂い、そよぐ風の音や陽だまりの暖かさ。行き交う馬車や人の声、土埃だって愛しい。広がる田園風景や暮れゆく陽に煌めく黄金の麦の穂。そのどれもがセリーナが初めて目にする珍しいもので、私にとってはどこか懐かしくほのぼのとした優しい景色――。
「お兄様……」
今の私はあの頃と同じ身体の弱いセリーナではないけれど……。
この瞬間だけは彼女に寄り添い、彼女の愛した兄に自分の背中を委ねる。少しだけ後ろに倒れると、頼り甲斐のある胸がしっかりと身体を支えてくれた。
だからだろうか? こんな風に泣きたくなるのは。
亡くなったセリーナの事を思えば思うほど、ここにいる自分が、リーナとして彼女の兄に大事にされている事が申し訳なく思えてくる。
彼女は義兄が好きだった。
義兄の語るいろんな話が好きだった。
彼と一緒にいたくて、外の世界を見てみたくて、辛い治療も頑張った。
いつか病を治して大切な人と過ごしたいと、それだけを頼りに生きてきた。
その願いは結局、叶わなかったけれど――。
私は当然元のセリーナには会った事がないけれど、何となく身体が覚えているような気がする。だからこそ、始めのうちは兄も両親も私を本物のセリーナかどうか決めかねていたのだろう。
なのに、家族を愛し家族から愛されたセリーナの身体を私は今日、不用意に傷つけてしまったのだ。
「お兄様、ごめんなさい」
心からの謝罪の言葉が口に出る。
何を謝っているのかと突っ込まれても困るけれど。
でもどうせ、兄も両親も私の秘密を知っている。
知っていてなお私をセリーナとして扱い、誰も私の事を責めない。
「どうした、リーナ。疲れているのか? 本来なら宿を取ってゆっくりしてから帰った方が良いのだが、お前の帰りを待ち望んでいる人がたくさん城にいる。あと少しで街に入るが、頑張れるか?」
前を向いたまま私は頷く。
こんな時の兄は優しい。
いつもの『お仕置き』好きの鬼畜な兄からはほど遠い。
優しくされればされるほど、どうして良いのか困ってしまう。
兄の言葉を耳にして、遠くに見える王都の灯りを目にしながら涙を流しているのは?
セリーナ? それともリーナ?
いつまでもこうしていたいという気持ちと早く帰りたいという気持ち。そんな反対の感情を抱えるのは、セリーナの記憶が未だに私の中にあるから。それとも、今日は色々あって疲れているからかな?
だって、本当の私はこんなに弱くはないから――。
誰かに頼ったり甘えたりなんて、どうすればいいのかわからない。陰口を叩かれ、ヤンキーだと後ろ指をさされても、いつだって自分の力で乗り越えてきた。腕力と強い心があれば、これからだって大丈夫! たとえ誰にも好かれずに恋愛なんかできなくっても、ケンカさえ強ければ何とかなるさ……?!
「寝顔だけはいつ見ても素直で可愛いんだけどな……」
目を細めてクスリと笑うオーロフ。
大事な義妹の頭頂部に優しくキスを落とした。
ぐっすり眠っていた私は、もちろん気づいていなかったけど。




