近衛騎士 ジュール
ルチア王女は秘書官オーロフの妹のセリーナ嬢をいたくお気に召したようだ。『お姉様がどうした』とか『お姉様が本当のお姉様なら』などと、それはそれは嬉しそうに語る。話を聞いているうちに僕も彼女の事を良く知っているような気分になるから不思議だ。
近衛の仕事で護衛をしていない時の分まで存分に聞かされるからか、王立学院で同期だったオーロフよりも義妹のセリーナ嬢の方が身近に感じられる時がある。そのためか、印象的な水色の髪も緑の瞳もくるくると変わる表情も、たった一度会っただけなのにすぐに思い出せるようになってしまった。
これは、非常にまずい事だ。だって、オーロフの『義妹愛』が凄まじいのは学生時代から有名な話だったから。僕が彼女の事を考えているとばれたら、彼に何をされるかわからない。まあ、剣の腕だけなら彼に負けない自信はあるけれど。
ルチア様は、それまで仲が良いように見えた公爵令嬢のベニータ嬢を私室に招く事はなくなった。僕は彼女をあまり好きではなかったから、その点は良かった。ベニータ嬢は『公爵令嬢』という最も王族に近い家柄だからか、下の身分の者をバカにしているようなところがあった。本人は上手く隠していると思っているんだろうが、端々に見られる態度がそれを物語っている。
初めて会った時、挨拶をすると彼女はまず僕の爵位を聞いてきた。僕が侯爵家の次男だと知ると、途端に興味を失ったようだった。この顔のせいでかなり年下に見られていたから余計に、相手をしても仕方が無いと思われたのだろう。
僕も彼女はあまり好きなタイプではないから構わない。ベニータ嬢は、ルチア様とのお茶会の際も時々退屈しているように見受けられた。出されたお菓子も食べず、おとなしそうに見せるためか自分から会話もしないのでは、確かに何をしに来たのかわからない。よくここまで王女のお友達としての地位を、保てていたものだ。淑やかそうに見えてその実何を考えているのかわからない様では、ルチア様に飽きられるのもわかるような気がする。
その点、ルチア様のお気に入りのセリーナ嬢は違った。
まあ初めて出会った時の彼女は、笑っちゃうくらい言葉遣いや態度が乱暴だったけれど――。あんなに暴れる伯爵令嬢は他にはいない。体術が滅茶苦茶で自己流であるにも関わらず、あんなに上手く急所に決められるのも。無駄を嫌うオーロフが教えたわけではなさそうだ。上品な彼なら間違っても、『男性の大事なところを狙え』などとは絶対に義妹に教えないだろう。
先日の『夜会』で初めて彼女と出会った。
僕は誘拐犯の仲間を装っていた。
セリーナ嬢と目が合った時少し驚いたような顔はされたが、僕が目を逸らすとすぐに彼女は興味を失ったようだった。童顔のせいでバカにされたり弱く見られたりするのは慣れっこだったから、正直またかと思ってしまった。ただ、戦闘や騎士団内ではそれが却って有利に働く。舐めた奴らを見返すために腕を磨いた結果、今のこの副団長の地位がある。
だからセリーナ嬢もゴロツキの全員を倒した後……まあ、それだけでも十分称賛に価するんだけど……彼女が武器と見定めた『火かき棒』でわざとらしく自分の肩を叩きながらこちらに向かってきた時は、僕を舐めてかかる彼女をどうやって懲らしめようかとちょうど考えていたところだった。
けれどセリーナ嬢はそこからが違った。
騎士仲間ですらなかなか見抜くことが出来なかった僕の強さを、近寄るだけであっさり気づいてしまったのだ。
――瞬間、彼女の纏う空気が変わった。セリーナが僕を正面に見据えてしっかりと武器を構えなおす仕草も、僕を恐れるその表情も、全てがとても新鮮で可愛く見えてゾクゾクした。実力を一瞬で見抜かれ認められることが、こんなにも気分の良いものだとは思わなかった。
だから僕は彼女をよく知るオーロフから、何が何でも彼女の素性を聞き出そうとした。
まさか、彼の義妹だとは思わなかったけれど……。
「病気で寝込んでいる」と言っていた彼の義妹が、何をどうすればあんなに元気になるのかはわからない。でもまあ、あれだけ動けるのならきっと、病気の方が逃げ出してしまったのだろう。
オーロフが僕を『近衛騎士』だと紹介した時の、彼女の尊敬するような眼差しも忘れられない。僕はこのナリでとても若く見られるから、近衛騎士だと言ってもすぐには理解されず、疑いの視線を向けられたこともある。憧れの視線を真っ直ぐに女性から向けられた覚えはあまり無いように思う。可愛らしい女の子から素直にすごいと称賛されるのは、とても気持ちの良いものだった。
ああ、それから――。
王太子が合流した後の彼女の啖呵もすごかったな。何をどうすれば物怖じせずに、片っ端から言葉で滅多切りにできるのだろう? 旧知の間柄のこの僕でさえ、王太子のヴァンフリード様にはそこまで偉そうな口をきかないというのに……。
そんな強気で恐れを知らないセリーナ嬢を、言い負かしたり組み伏せることができたなら、どんなに楽しいことだろう――。
最近の僕は、気づけばそんな事ばかりを考えるようになっている。だがこの事は、騎士団の仲間にも時々護衛をするルチア様にも、もちろん彼女の義兄のオーロフにも気づかれてはいけない。
先ほど言い争う王太子と秘書官……ヴァンフリード様とオーロフのすぐそばに水色の髪を見つけた時は、久しぶりに心が騒いだ。無論、すぐにルチア様に進言した。「あんな所にセリーナ様がいらっしゃいますよ。話しかけられてはいかがですか?」と。君を慕うルチア様は一も二も無く同意した。
その結果、僕の近くに今こうして君がいる。楽しそうに王女と話す君を見ながら、僕も楽しい想像をめぐらせる。
『参った』と君が言うまで手合わせするのはどうだろう? クタクタになるまで稽古をつけてあげるのは? 一生懸命な君が僕に負けて、悔しそうな表情を浮かべる様子を見るのも面白そうだ。"絶対に敵わない相手"として僕を認識させるためにはどうすれば良いだろう? そんな事を考えているととても楽しい。
想像の中でなら、僕は君を自由にできる。
「……のですって! ちょっと、ジュール。聞いていて?」
「ああ、すみません、ルチア姫。少し考え事をしていて……」
腕組みをして寄りかかっていた身体を起こし、愛想良くにっこりと微笑む。今考えていた事がバレてしまえば、君はすぐに逃げ出してしまうだろうから。
「もう、ジュールったら! だからね、お姉様は騎士の強さに憧れていらっしゃるから、良ければ誰かに稽古をつけてもらいたいのですって! 副団長のあなたなら適当な人物を紹介できるでしょう?」
「あの……ご迷惑でなければで良いんです。もしお時間が空く方がいらっしゃるのなら、剣術や体術を少しでもご指導いただきたくて……」
遠慮がちに君が言う。
この前とはかなり話し方が違う。
でもまさか!
君の方から稽古がしたいと言い出すなんて。
これは僕にとっては願ってもない好機?
「そう。それなら一人心当たりがいるけど……」
オーロフに知られたらとか、彼女を気に入っているヴァンフリードがどう思うか、なんて関係ない。負けを認めて僕に屈服する彼女の姿が見たい。
「まあ、それは頼もしいわ! で、どなた? 私の知っている人かしら?」
「うん。姫様はすごくよく知っていると思うよ」
感じ良く見えるように心がけ、ニッコリ笑ってセリーナ嬢に向き直る。
「セリーナ嬢、僕でどう?」




