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秘書官の憤慨

 囮の役目を頑張ろうと、私が自分に喝を入れ直した時――。


「そこで二人で何をしているんですか」


 王太子の肩越しに兄オーロフの冷たい声が聞こえた。

 今日の兄は黒の上着に銀の縁取りで白のパンツ。えりがビラビラしたシャツを着ていて、それが妙に似合っている。元々すらりとした体形で顔も整っているからか、今日の姿は妹から見てもかっこいい。手には書類を持っているのでまだ仕事中なんだろう。まだ終わらないのかな? 今日の舞踏会、参加しないつもり?


「何だオーロフ、また邪魔をするのか?」


 ため息をつき、肩をすくめながら王太子が向き直る。

 でも、兄は彼を見ていない。

 なぜか私の首の噛まれた跡に釘付け。


「キスマーク……。ヴァンフリード様、約束を破りましたね?」


 何だ、その殺気立った低音ボイスは。

 って、え? え? 今何て?

 キ……キ……キスマーク!?

 これがかの有名な? 


 思わずボボボと顔が赤くなる。でも、痛かったよ?

 人生初の手にチューの後は、人生初のキスマーク!

 鏡で確認してないからわからないけど……。

 でも何なんだ? 王太子。随分演技過剰じゃね?

 

 

「約束? ああ、あれね。大丈夫、君の所にはちゃんと返すから。でも、これに関しては不可抗力だ。セリーナが悪い男を好きだと言うから……」


 言ってなーい!

 グイード様を紹介してくれって言っただけで、そんな事は言ってなーい!

 私の首に跡を付けたたぶんを長い指で触りながら王太子が言う。

 一方、兄の金色の目はすごく怒ったまま。

 殴りかかりそうにも見えるけれど、大丈夫? 何なら加勢しようか?

 



 気まずくってちょっとオロオロしながら兄を見る。

 当の兄は王太子の手を払いのけ、私を彼から引き離しながら低い声で言う。


「ご自分がその悪い男だとでも? しかし私はあなたに言ってあったはずです。これは誘拐調査の為で、解決するまで止む無く義妹を貸し出すものの、決して手は出さず最後は必ず返して下さい、と。リーナは私のものです。誰にも渡しません」


 いやいや、兄貴。そのセリフはちょっと過保護行き過ぎでしょ。腹黒王太子でさえビックリしてドン引きしちゃってるよ?

 それに、「私は物ではありませーん、人でーす」ってありがちな突っ込みをしたいぐらい、二人の間のこの緊迫した空気は何だ?


「オーロフ……君はまさか!」


 シスコンか? って言いたいんでしょう、そうでしょう!

 私も最近ちょっと思ってた。ダンスの練習の時の密着具合も半端ないし、時々いろいろ触ってくるし。動じないための特訓かもしれないけれど、綺麗な顔を寄せてドギマギさせるのは、兄妹だし止めて欲しい。どこの世界に妹に手を出す兄がいる? 『お仕置き』の一部なのかもしれないけれど、変だと思う。まあ、仲良しだし実の兄妹じゃないからぎりぎりセーフなのかもしんないけれど。

 そうかと思えば真面目な顔で「露出が多い」と今日のドレスの文句を言うし、ここに来る馬車の中でも『淑女の心得』を延々と説教するし。前からずっと妹を溺愛していたのはわかるけれど、最近のはちょっと、行き過ぎだよね?




「まさか、とは? 最初にきちんと言っておいたはずですが……。ご理解いただけていないようなので、もう一度だけ言っておきます。リーナは私のものです。あなたにも誰にも譲る気などありません」


 息を呑む王太子。

 所有物だと思われていただなんて私だってビックリだよ! 賢いはずの兄が、まさか妹を自分のだって堂々と主張するなんてね?


 でも兄ちゃん、それだと私が殺されちゃうんだってば。お願いだから、誰かと恋する可能性ぐらいは残しておいて?

 あ、もちろん今日はいいや。ちゃんと囮をしなくっちゃだし、何だかいろいろあって精神的に疲れたし。舞踏会はこれからだというのに、私、こんなんで大丈夫なのかな?




「そんなのは理解したくもないし認めない、と言ったら?」


 うわ、まだ続いているのか。難しい話長げ~~な。

 所有権を主張するのってそんなに大事なことなのかな?

 でも、私は私。

 誰かのものにはなりたくないし自分の命が大事だから、恋愛に絡まない事はどーでもいい。

 

 

 ガンッッ



 あ、やべ。思わず……。

 近くにあった城の柱を拳で思わずぶっ叩いてしまった。セリーナになってから拳は鍛えていないから、柱の方は無事だけど。


「リーナ……お前!」


「セリーナ、いきなりどうしたの?」


「どうもこうもねぇ……」




 二人に対して怒って私が口を開きかけたその時――。

 天使が舞い降りた。


「あらお姉様、こんな所で奇遇ですわね? お兄様もこちらで何を? オーロフをあまり困らせるものではありませんわ。招待客の皆様も既にあちらでお待ちでしたわよ?」


 ヤンデレ候補のジュールを従え、やって来たのはルチアちゃん。確かに、イケメン二人がこんな廊下で言い合ってたら目立たないわけないよな?


「二人とも、まるで一つの骨を奪い合っている犬のようだったよ。オーロフもいい加減にしといたら? それこそ君の大好きな義妹ちゃんが困っているよ?」


 童顔のジュール君……年上なので、ジュール様だった。相変わらず顔は可愛いけれど、言ってることは手厳しい。言うに事欠いて王太子と兄を『犬』とは何だ? あれ……なら私が『骨』? もっと悪いよ。もはや生き物ですらないなんて。

 互いに顔を見合わせる兄と王太子。


「セリーナ嬢、彼らは放っておいて私達と一緒に行きませんか?」


「そうしましょう、お姉様! 女の子は女の子同士、楽しくおしゃべりしましょうよ」


 それは、とーっても魅力的な申し出。

 精神的疲労がたまっているから舞踏会前にちょっと休憩したいかも。


「ルチア姫と一緒に先に行ってて良い? ちゃんと囮の時は働くから。(さら)われそうになったら言うからよろしくね!」


 舞踏会が始まるまでのわずかな時間、せっかくだったらあまり気を遣わない相手と過ごしたい。ルチアちゃんは王女様だけど優しいし可愛らしいから、一緒にいるととても楽しい。あ、でも護衛のジュール様、『夜会』の時以来だけどあの時のこと、怒ってないかな? 機会があったらすぐに謝っておこう! だって、グイード様の次に恋愛できる可能性があるとしたら、きっとジュール様だもんね?

 

 そんなわけで、私は王女のルチアちゃんと共に彼女の私室へと移動した。



 *****




「オーロフ……。溺愛していたのは知っていたけど、義理とはいえ妹だろう?」


「それが何か? ご承知の通り私と義妹との間に血の繋がりはありません。結婚だって出来ますし、後継ぎを作ることも可能です。ずっと一緒にいましたし、問題はありませんが」


「それはどうかな? 君の気持ちを彼女は知らないよね? 小さな頃から一緒にいて、信頼して安心しきっているお兄さんがそんな#(よこしま)な感情を抱いていると知ったら、可哀想なセリーナはどう思うだろうか?」


「……何も知らないのはあなたの方では? あなたには関係ありません。私達の事に口を挟まないで下さい。余計なお喋りをしている暇があるのなら、リストに目を通して招待客の経歴を頭によく叩き込んでおいてください。この中に、誘拐事件の黒幕がいる可能性があります」


 そう言って優秀な秘書官は書類の束を手渡してきたのだった。

 

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