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秘書官 オーロフ

 年の離れた義妹ができた。けれど彼女は病弱で、一緒に遊んであげる事はできない。

 咳をする小さな身体は弱々しくて、透き通るような白い肌と細い腕はまるで陶器でできた壊れやすい人形のよう。ただ、エメラルド色の瞳は、私を見つけるといつも嬉しそうに輝いていた。

 

日当たりの良い庭に面した部屋だけが、彼女の世界の全て。ごくたまに、気分の良い時に読む本が彼女の喜び。

 全寮制の学院にいた私が休暇で帰るたび、妹のセリーナは学院の様子や外の世界の話をねだり、いつも楽しそうに聞いてくれた。


 振り返れば私は、病弱な妹にいろんな話を聞かせるために、様々な知識を詰め込んだように思う。彼女に『すごい』と褒められたくて、他人の何倍も勉強を頑張り努力をした。出世欲や野心など全くなく、あの頃はただ純粋に妹のセリーナの笑顔を見るためだけに、私は誰よりも高みを目指していたのだ。

 


 妹の病気を治すため、卒業後は医者になれば良かったのかもしれない。けれど、当代随一の名医に「生まれつきなので手の施しようがありません」と言われてしまった時、私も両親もどこかで覚悟し諦めてしまっていた。


 細く痛々しい妹の身体に処置を施すよりも、城の中で手に入る珍しいお菓子やお茶をあげたかった。調子の良い時にしか口にできないとはいえ、妹の喜ぶ顔を近くで見るのが好きだ。城での様子を面白おかしく語るたびに、瞳を(きらめ)かせ熱心に耳を傾ける妹。可愛らしく純真なセリーナは、私のたった一つの癒しでもあった。




 けれど妹の病は徐々に進行し、話をすることさえできなくなってしまう。

 長く続く咳は苦しそうで、時々血を吐く姿も痛々しく、日々痩せ細る姿は見ているだけで辛い。完治しないのなら早く楽になって欲しい、病魔が義妹をこれ以上苦しめないようにして欲しいと、気づけばそればかりを一心に願っていた。

 妹に会いたいと思う一方で、辛そうな様子を見たくは無くて仕事を言い訳にする自分。苦しみから早く解放してあげてと願いながらも、手放すことなど考えられない自分の姿がそこにはあった。


 小さな頃から大切に思い本当の妹のように慈しんできたセリーナ。

 誰からも愛された天使のような彼女の最期は、予想していたよりも遥かに静かで安らかなものだった。屋敷の中で全員に看取られ、眠るように静かに逝ってしまった義妹。

 

 ああ、これで――。

 彼女が病に苦しむことは無くなった。

 死した後は永遠に、平穏な天上世界で心安らかに過ごす事ができる。

 無論、身を切られるような辛さを味わった。だが、覚悟をしていなかったわけではない。

 

 たった一人の愛する妹セリーナ。

 その白い頬に手を伸ばし、お別れを言おうとしたその瞬間――。


 なんと彼女は目覚めた!



 

「ええっと、アタシはどうして……ここは?」


 目をしっかり開けて、辺りをキョロキョロ見回す義妹。その姿に、家族も使用人もしばらく呆然としていた。たった今息を引き取ったはずの義妹は、咳を全くしておらず元気そうだ。水色の髪も緑色の瞳も愛らしい声もそのままなのに、頬には赤味が差し、肌の血色も良くてなぜか健康そのものだった。


 驚きから覚めると当然、両親や皆は喜んだ。父は大声で『奇跡だ!』と叫んだし、継母は感激のあまり大声で泣き出してしまう。私は――嬉しかった事は嬉しかったのだが、違和感を払拭できず、どう対応して良いのかわからなかった。

 一度は呼吸が止まっておきながら、再び目を開いたセリーナ。しかし、彼女は今までの自分を……記憶の全てを忘れてしまっていた。




 義妹は、まるで別人だ。

 人は記憶を失くしただけで、こんなにも話し方や人格が変わってしまうものだろうか?

 それに、義妹は再び目覚めてからは三日と経たないうちに、ベッドの上にいるのが退屈なように伸びをしたり腰を回したりして身体を動かしだした。こんなに元気な義妹は、彼女がまだ小さい頃から一度だって見たことがない。


 セリーナは、大好きな本さえ読めなくなっていた。私の話は以前と変わらず聞くものの、意味がわかってないような、不思議そうな顔をする。最初は私も、別人ではなく義妹がすっかり『バカ』になってしまったのかと思った。なにせ死にかけたのだ。もしかしたら、恐ろしい病魔が脳にまで達していたのかもしれない。記憶が無いのも知識が全て失われているのも、きっとそのせいだ。


 休暇中、側でセリーナを観察していくうちに、私の中に『義妹は中身だけが別人じゃないか』との考えが芽生えた。大好きだった本には見向きもせず、勉強を嫌がり、出た事もない部屋を飛び出して「やってらんね~~」と屋敷中を走り回る。そうかと思えば、使用人とも物怖じせずに親しく話をし、令嬢らしからぬ言動やマナーで自由に振る舞う。


 こんな義妹の姿を、私は見たことがない。

 あのおとなしい妹が……! 

 初めはショックの方が大きかった。

 両親も当然、活発なセリーナの姿を見て気が付かなかったわけがない。問いかけるように二人を見ると、二人とも「私達はもう家族なんだから」と言って笑った。


 父も義母も自分達の可愛がってきたセリーナが、亡くなった事実を認めたくないのだ。そして、この私も。彼女がここにいて動いて笑ってさえいてくれれば、私達はそれだけで満足できた。

 ここにいるのはきっと、セリーナが望んだ理想の姿。元気であれば妹も、こんな風に明るくはしゃいだり走り回ったりしたのだろう。


 愛する妹、私の大事なセリーナ。

 以前の彼女はたぶんもう、この場所にはいない。

 一抹の寂しさを感じなかったわけではないが、ふとある考えが頭をよぎる。


 ――今の彼女をここに呼んだのは、セリーナ、お前自身なのかい?


 別人だと考えると、対応も変わってくる。

 私は今のセリーナを新たな人格として捉え、淑女に育て上げれば良い。

 幸い見た目はおとなしそうで、私達の愛した妹そのままでとても愛らしい。人形のようで触れれば壊れてしまいそうだった前とは違って、今の義妹は頑丈だ。以前は、気に病むから暗い言葉や乱暴な話は禁忌(タブー)とされていた。けれど今は平気で『バカ』と言って叱る事ができる。そして私自身も最近気がついたのだが、バカな子ほど教育のしがいがあって実はとても可愛い。


 ああ、そうか――。

 もしかしたら私も、こんな関係を望んでいたのかもしれない。

 

 一緒に外を走りたかった。

 勉強を教えてあげたり、楽しくダンスを踊ったり。兄妹げんかもしてみたかったし、飽きることなく二人で話をしていたかった。

 そして何より妹には、屋敷の外の広い世界を見せてあげたかった――。

 

 大好きなセリーナ。私の義妹。

 以前は遠慮していた関係も、今のお前なら遠慮はいらない。

 

 なぜ自分を『夜会』に連れて行ったのか、一人でも大丈夫だったんじゃないのか、とお前は私に聞いたね?


「そうだね。お前を連れて行ったこと、今はとても後悔しているよ」


 私はその時、本心からそう答えた。

 もしも『夜会』に連れて行かなければ、王太子の目に留まることはなかっただろう。お前がけがをすることも、王女の代わりに囮と決まることも、城に()ばれることもなかった。ヴァンフリードの気を引くこともなかったし、妹姫のルチアに気に入られることも、ベニータや他の女性達から嫉まれたり嫌がらせをされる危険も冒さなかったのに。

 

 お前を外に連れ出すのは、少し早かったようだ。

 手元に置いて慈しみ、私に頼り私なしではいられない程、大事にすれば良かった。

 

 大好きなリーナ。血の繋がらない私の大切な義妹。私はもう二度とお前を失うつもりは無い。たとえ王太子といえど、譲るつもりは無かった。誰であっても、お前を傷つける者に容赦はしない。知識が無く、素直なお前は無防備だから……。



 さて、リーナ。

 私の言う事を聞かずに他人を信用し過ぎたお前の罪は重い。

 これからお前に、どんな甘いお仕置きを与えようか?

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