壁ドンならぬ……
兄のオーロフに文字通り首根っこを捕まえられた私は、城の廊下をずるずる引きずられていく。せめておとなしく見えるように新調した、水色のドレスも形無しだ。
「あれ? お義兄さんの仕事ぶりを見学しなくていいの?」
そう言った張本人のせいでこんな事になってるんだけど。王太子が余計な事を言わなければ、兄をここまで怒らせなくて済んだのに……。
わざとではないにしろ、王太子と部屋で二人きり……というのはマズかったみたい。実際は、待たされたあげく飾りボタンをとめただけ。でも、聞く人によっては激しく誤解されるかも。
さすがに私も気づいてしまった。秘書官だという兄の職場に行けば、もれなく王太子が付いてくる。何がしたいのかわからないから、これ以上王太子の側にいるのはごめんだ。せっかく訓練場でバトルしている姿と武器を詳しく解説してくれる姿は、『ちょっといいな』って見直したのに――。
からかうなら、駆け引きに慣れた別の女性にして欲しい。これ以上私で遊ぶのはどうかと思う。でないと妹姫のルチアちゃんが勘違いをしてしまうし、私の兄にも『話が違う!』と激怒される。
だいたい私は、『体術(実はケンカ)の心得があって、王太子に変にすり寄らないから』っていう理由で囮として採用されたんだろう? なのに、当の王太子がすり寄って来てどうする。
しかも、ベニータ様というあんなにおとなしくて綺麗で申し分の無い婚約者候補までいるのに……。略奪とかゲス不倫とかちじょーのもつれとかって言葉は嫌いだ。
あ、もしかして――。
ルチアちゃんが信じてる有能な兄とは違い、本性は遊び人? だから、未だに相手がいないんじゃあ……。イケメンで不自由しないからって、チャラくて許されると思うなよ? ベニータ様が悲しむし、チャラ男や遊び人は純粋女子の敵だ!!
ああ、だんだん腹が立ってきた!
王太子のせいで、何で私が怒られなきゃいけないわけ?
「ちょっとお兄様! いい加減になさって下さいまし!」
城のエントランス付近でさすがの私も我慢ができなくなった。身体をひねって兄の手を振りほどく。頭脳派の義兄のくせに、意外と力がある。ここまでよく私を引っ張って来られたなって、感心したのはナイショだ。
「セリーナ、家に帰す原因を作ったのは誰だ?」
いや、別に。家に帰れるのは大歓迎なんだけどもさ。でも、身に覚えの無い事で疑われっ放しっていうのも嫌なんだけど?
「誰って……。なんで私がこんなに怒られなくちゃいけないんだ? そもそもアタ……私、何か悪い事したっけ? そりゃあ宝物庫に行くからって、王太子と部屋で二人きりに……フガッ」
兄にくってかかったらいきなり手で口を塞がれる。というより、大理石の柱に身体を押し付けられた。片方の手で私の口を押さえ、もう片方の手を後ろの柱につく兄。
もしやこれっていわゆる壁ドン? いや、柱ドン? まさかこんな所で、自分の兄貴と体験するだなんて思わなかった。
……じゃ、なくって。
「お前、ここがどこだか忘れているようだな。誰が勝手な発言を許した? 誰が聞いているのかわからないこんな所で、何を話そうとしている?」
怒りを含む綺麗な顔面が間近に迫り、余計に怖い。サラサラの茶色い髪が私の顔にかかるくらい接近している。じっと覗き込む金色の瞳。その目に映るのは、ひきつった顔の私だ。
お兄様、冷静になりましょう。でないと思わず頭突きしそう。
こんな所で妹を脅しているのを見られたら、貴方の方こそヤバいのでは?
そう思った直後、声をかけられた。
「オーロフ様? こんな所で何を……ほわわわわ~~!」
ほらね? 日ごろの鬼畜っぷりがバレても知らないからね!
私は身体を傾けて、兄の背後を覗き込む。
兄も渋々といった感じで、柱に伸ばしていた片腕を離して振り返った。
立っていたのは、眼鏡をかけた小柄な女性だ。
誰かな? もしかして、兄のファン?
その女性は、桃色の瞳をキラッキラさせていた。胸の前で厚い本を抱え、期待に満ちた視線を向けている。なんだ? 兄妹げんかがそんなに珍しいのか?
「……何か?」
兄がその女性と対峙する。
だけど声が冷たいような。
女性にはもう少し愛想よくした方がいいよ?
「はっ……! す、すみません。思わず見とれてしまって」
兄妹げんかに?
それとも兄貴に?
私が一方的に責められていたのに、見とれる要素どこにあった?
兄は困ったように長い前髪をかき上げた。
まんざらでもないのかな?
それとも、こんな状況に慣れているとか?
「――そうですか。でも、別の女性と一緒にいる男性を口説くだなんて感心しませんね」
はい? 女性じゃなくって妹だろ?
誤解を招く紛らわしい言い方は止めなさい。それに、女避けに妹を使うのは変だ。小柄で茶色い髪を三つ編みにした彼女は、愛くるしくって個人的にはありだと思う。
「あ、あの……違います。私が見とれていたのはお二人にであって、決してオーロフ様を口説いているわけでは……」
へっ、兄貴ザマァ!
イケメンだからって、誰もかれもが自分に夢中になると思うなよ!
でも、意味わからん。
私が怒られているのに、なんで見とれちゃうわけ?
止めに入ってくれたんじゃなかったの?
私は首を傾げ、子リスのような彼女を観察する。
目が合うと、なぜかポッと頬を染められた。
……え? もしかして、そっちの人?
自慢じゃあないが、ヤンキー時代私は強かった。そのせいで、女子からファンレターやプレゼントなるものをもらったこともある。まあ『喧嘩上等』と刺繍の入ったタオルは、喧嘩を売られてんのかと勘違いしちゃって、その後いろいろあったけど。仲間内でも『姉御』と呼ばれて慕われていたから、アタシは決して女性にモテないわけではない。いや、むしろ女性からしか人気が無かったような……。
あれ? でも……。
私は今日初めて城に来た。暴れたのって、この前の『夜会』の時1回きりだし。その時この子はいなかった。それなら、私の勇姿に憧れて……って、わけでもなさそうだ。
「ねえ、あなたは……」
「リーナ、時間だ。馬車が用意されているから、今日は真っ直ぐ帰りなさい」
私の問いは、兄によって封じられた。
兄の金色の瞳が語る。『これ以上口を開くな』と――。
彼女も彼女で何かを察したらしく、一礼するとそのままパタパタ走り去ってしまった。結局何が言いたかったのかな?
私は彼女にこう聞きたかった。
「ねえ、あなたは誰なの?」と。
*****
セリーナを馬車に乗せた後、城内の執務室では二人だけの会話が交わされていた。
「そう。今のところ接触してきたのはその二人か……。君の予想もあながち間違いではないかもしれないね?」
「ですが、殿下。これ以上お戯れが過ぎますと、私にも考えがあります。万が一義妹の身に危険が及んだ場合、私はあなたを決して許しません」
「君は最初から反対だったからね。じゃあ戯れでなく本気だったら良いわけ? 何ならこちらから正式に、君の家に婚約を申し入れても良いんだけど」
「なりません。最初に約束して下さったはずです。これは誘拐調査のためで、解決するまで止む無く義妹を貸し出すものの、決して手は出さず最後は必ず返して下さると……。約束を守って下さる気が無いのなら、今からでも別の者を手配致しましょう」
「そしてまた私に、うんざりするような退屈な日々を過ごせと?」
「退屈する暇も無いほど業務を回すこともできますが?」
オーロフがモノクルをかけた切れ長の冷たい目を向け、片方の眉を上げる。
「ああ、もう。わかったよ。私からは手は出さない! これでいい?」
「今のところは。ですが約束を違えた場合、私にも考えがありますので覚悟なさっておいて下さい」
「おお、怖! つくづく君を敵には回したくないものだよ。普段からこれじゃあ義妹さんも可哀想にねぇ」
「いいえ。妹には優しくしていますよ? まあ、妹といっても血の繋がりはありませんし……。さあ、今日の分をさっさと終わらせてしまいましょう」
首席秘書官の含みのある言い方に、少しだけ胸がざわつく。
けれど、残っている膨大な量の書類に忙殺されて、美貌の王太子はいつしかその事を忘れてしまっていた。




