あなたには似合わない
整えられた黒髪に男らしい顔立ち、たくましい体躯。
周りの景色が消え去って、彼しか見えない。
高鳴る胸の鼓動が、彼を求めて叫んでいるようで――。
「あのぉ……」
「ひゃいっ!」
医師の言葉にぶった切られて、我に返った。
「ご報告申し上げます。私の見立てでは、彼女は『記憶障害』です。焦らずに、回復するのを待つしかないかと……」
――私ってば、どうしちゃったんだろ? 他にも人がいたのに、周りが見えなくなるなんて。
なんだかすんごく恥ずかしく、ベッドの上でもぞもぞ姿勢を正す。
グイードと呼ばれた男性は、黒髪をかき上げながらため息をついた。
「やはり、過去の記憶を喪失していると?」
「はい」
「……そうか。ご苦労だった」
「とんでもない! 栄えある飛竜騎士殿のお役に立てて、光栄です」
なるほど、グイード様は飛竜騎士なんだね。
「……って、飛竜騎士ぃ!?」
そういえば、彼の衣装は飛竜騎士団の制服だ。
「黒の方が、光り物が好きな飛竜の興味を引かずに、任務を遂行しやすい」と、教えてもらったことがある。
――誰に?
「いかにも。私はラズオル国飛竜騎士団団長の、グイード・アルバローザ。思い出したのか?」
グイードという名前は、さっき教えてもらったけれど。
アルバローザは王家の名前。いかにさびれた漁村でも、それくらいみんな知っている。
「なんと!」
「ははあ~」
「貴族じゃなくって王族ってこと? ひええぇぇぇ~~」
医師や老夫婦が頭を下げる中、私は素っ頓狂な声を出す。
びっくりした、なんてもんじゃない。
のけ反り過ぎて、お腹が張ってきたような。
「痛たたた……」
「セリーナ!」
注意しないと、すぐこれだ。
グイードが走り寄り、私の背中に手を添えた。
「すまない。気が急いて、悪かった。焦らぬように言われたばかりなのに」
「いいえ、驚いた私のせいです。少し休めば平気ですから」
王族である彼の子が、お腹の中にいる?
何かの間違いではなかろうか?
「積もる話もあるだろうし、あたしらはこれで」
「そうそう。マーレ……いんや、セリーナ様。用があれば呼んでくだされ」
「え? 待って、置いていかないで!」
叫びも虚しく、老夫婦が部屋を出る。
気づけば、グイード様と二人きり。
飛竜騎士の面々は、とっくにいなくなっていた。
「音も立てずに退出するとは、さすがは飛竜騎士。精鋭揃いだね」
グイードが、ベッドの端に腰を下ろす。
その淡い青の瞳が、食い入るようにこっちを見つめている。
――いけない。もしかして、私の言葉に気分を害した?
「すみません。庶民のくせに偉そうでしたね」
「庶民? いいや、君は貴族で伯爵家のご令嬢だ」
「伯爵家ぇぇ!?」
大声を上げても、今度はのけ反らないよう注意した。
安心したのか、お腹がポコポコいっている。
これって何?
「そう。君の名前は、セリーナ・クリステル。クリステル伯爵の娘で、海辺の私の家に滞在していた。そこで悲劇に見舞われたんだ」
「悲劇?」
「……ああ。全ては、手入れを怠った私のせいだ。バルコニーの手すりが崩れ、君は崖下の海に転落した。その時に、頭を強く打ち付けたのだろう」
――崖から落ちても生きている? すごいな、私。
「セリーナ。危険な目に遭わせておきながら、すぐに探し当てられなかった私を許してくれ。本当にすまなかった」
この人、さっきから謝ってばっか。
つらさの滲む薄青の瞳と、眉間の皺が気にかかる。
「謝らないでください。どうせ覚えていないので」
何気なく口にした言葉で、彼の眉間の皺が深くなった。
その瞬間、胸が掴まれたように苦しくなる。
――なんだ? これ。
「あの、違います! 非難しているんじゃありません。私の方こそ、覚えていなくてごめんなさい。それから、えっと……」
皺を伸ばしてあげたくて、彼の顔に手を伸ばす。
深い苦悩も後悔も、あなたには似合わない!!
「セリー……ナ?」
「え? いや、これは、その……」
完全に無意識だ。
慌てて引っ込めようとしたところ、そのまま手を取られた。
彼は私の手を握り直し、形の良い唇に押し当てる。
「グ、グ、グイードさま?」
「大事な君がいなくなって、私がどんな思いでいたのかを、伝えることができたなら」
低くかすれた声に、私の心臓が狂ったように激しく動く。
グイードの祈るような表情と、伏せられた黒いまつげ。そのどれもが美しく、目が離せない!
「君のいない毎日は、地獄のようだった。生きることさえつらくて、死を望んでいた」
男らしく、自信に溢れたこの人が?
いいえ、そうじゃない。
彼は強靱な精神の中に、繊細な心も併せ持つ人。
私は彼の強さだけでなく、弱さも知っている気がする。
「すまない。こんなことを聞かされても、迷惑だろうが……」
「いいえ! 全部聞きたいです。私には、なんでも話してください」
言葉がするりとこぼれ出る。
私はもう片方の手を伸ばし、うつむく彼の髪に触れた。
「大丈夫、私はここにいる」
そう、言ってあげたくて。
突然グイードが腰を浮かせ、私を抱きしめた。
「セリーナ、会いたかった! 君が生きていてくれた。それだけで、私は……」
グイードが声を詰まらせる。
たくましく厚い胸板と漂うムスクの香り。
急に泣きたい気になって、思わず頬をすり寄せた。
――私はたぶん、彼のことが好きだった。だからこそ、側にいたのだろう。
グイードは王族で、私よりかなり年上。
とっくに結婚していて、奥さんや子供がいると思われる。
――まさか自分が、不倫をするとはね。
私は彼から離れると、悲しい気持ちでお腹をさすった。
大丈夫。たとえ一人になっても、私はあなたを立派に育ててみせるから!
私に宿った小さな奇跡。
崖から落ちても痛みを感じても、お腹の子は平気だった。
たぶん飛竜騎士の父親に似て、強い子のはず。
「セリーナ」
微笑む私に、彼が呼びかけた。
「なんでしょう?」
「お腹の子供のことは、知らなかった。だが……」
「大丈夫です。私一人でも、グレないように愛情をたっぷり注いで育てますから」
「一人? ぐれない? 君は、何を言っている?」




