王女 ルチア
遡って少し前――。
「わ、わたくし急に気分が悪くなりましたの。申し訳ありませんが、本日はこの辺で失礼させていただきますわ」
手巾を口に当て真っ青な顔をしたベニータが、一礼すると急いで退出していった。
「ど、どうしましょう、ルチア様。私がお待たせしたせいで、食べ過ぎて気分が悪くなったんじゃあ……」
あわあわと慌てるセリーナお姉様。
大丈夫ですわ。彼女、ああ見えて図太いですもの。
それに日頃から食事制限しているからか、出されたものに手はほとんどつけません。ガレットやサブレを美味しそうに召し上がっていらっしゃるお姉様とは大違い。
それよりも、私は先ほどのお姉様の発言の方が心配だわ。
『夜会』の後はお兄様は私と真っ直ぐ城に戻りましたし、それからもお会いしてはいませんもの。お兄様と『懇ろな関係』になる暇など、どこにもありませんでしたわよね?
ああ、もちろん。お兄様が私を口実に使ったことは承知しております。お兄様がセリーナお姉様をお慕いしていて、お引き留めしていたとの報告も受けました。二人がそんな関係になるのは、むしろ喜ばしいことですが……。
「ねぇ、セリーナお姉様。もしかしてさっきの発言、わざとですか?」
今までに王子の妃や王太子妃の座を手に入れようとして、牽制し合ったり駆け引きしてくる女性達を十分見てきた。けれど先ほどのお姉様のご様子は、そのどれとも違うような気がしたの。
「わざとって? 私、何か間違えていた?」
キョトンとしているお姉様。
ああ、やっぱり。
意味をわかっていらっしゃらなかったのね?
セリーナお姉様は今の元気なお姿からは想像もつかないけれど、ご病気がちだったと聞いている。だから17歳という年齢よりも時々ひどく幼く、頼りなく見える。強くて優しいけれどそんなギャップと可愛らしい見た目で、つい守ってあげたくなってしまう。
お兄様がこの方に惹かれたのは、そのためかもしれない。女性である事を武器にせず、自立しているように見えてその実ひどく頼りない。かと思えば何も恐れず、ご自分の意見をはっきりおっしゃる。決して押し付けでは無く、その根底には他者への『愛情』が感じられるのだ。
すり寄ってきたベニータや、他の子達とは違う。純粋で裏表の無いお姉様は、私が初めて自分から『仲良くしていただきたい』と思った存在――。
「あのね、お姉様。『懇ろな関係』っていうのはね……」
私は理解できるよう、お姉様にかみ砕いて説明してあげた。
*****
意味を聞き終えたお姉様は、可哀想なぐらい狼狽える。
「う、うわ、マジ? 嘘でしょう? ど、どどど、どーしましょうルチアちゃん……じゃなかった、姫様! わ、私、ただの知り合いって意味だと思ってて盛大な勘違いを……!!」
ふふ、知ってるわ。だって、後ろの護衛達も笑いを噛み殺して肩を震わせているもの。もしここにジュールがいれば、遠慮の無い彼は声に出して笑っていたはずよ。
セリーナお姉様は引き続き赤くなったり青くなったり。
先日の威勢の良いご令嬢と同一人物だとは、とても思えないわ。気がつけば、私までクスクス笑ってしまっていた。心から笑うのって、いつ以来かしら?
「わ、笑いごとじゃないわよ……ですわ! いえ、私は笑われても構わないんだけど。でもほら、先ほどの公爵令嬢、ベニータ様には誤解されたままだよ! 早く追いかけて訂正しておかないと。だって、彼女が未来の王太子妃なんでしょう?」
「え? なぜ?」
「だって、あなた方は昔から仲良しなんでしょう? それに、彼女も『お兄様』と呼んでお慕いするほど王太子様の事が好きなはず。優しそうで上品でとてもお似合いだと思うし……。だから絶対に、誤解は解いておかなくっちゃあ」
「そうかしら? ベニータがお兄様と、お兄様がベニータと二人きりでいるところを、私は今まで見た事が無いわ。それってつまりはそういう事よね?」
「どーいう事? でも、身分に問題はないんでしょう? 貴族の結婚は同じような家柄同士で、親が決めるのでは無いの?」
お可哀想なお兄様。これは相当努力をしないと、お姉様に振り向いていただくことはできないわね?
「普通はそうかもしれないけれど、うちの場合はちょっと違っていてね……」
気付けば私は、王家の内情をお姉様に説明していた。お父様には全部で7人の子供がいること。私達のお母様は既に亡くなっていて、側室たちがいっぱいいること。そして実権は現在お兄様が握っていらして、ある程度自由に振る舞える事などを。
お姉様は時々頷きながら真剣に聞いて下さるし、わからない事はわからないと素直に言って下さるので、私も言葉を飾らずに本音でお話できる。
いつしか話題は私のコンプレックスにまで及んでいた。
「それでね、私はお兄様に比べたら何も出来ないから、お父様や周りの者たちから疎まれているの。だから頼れるのは実のお兄様だけ。でも頼り過ぎも良く無いから、少しでもお役に立ちたくってこの前みたいな事に……。囮があんなに怖い事だとは思っていなかったの。よく気づいて下さったわね? 私、本当に軽率でしたわ」
お姉様に諭されて、あの後私は本当に反省したの。自分ではそれほどワガママを言ったつもりは無かったけれど、よくよく考えてみれば結局足を引っ張っていたし何の役にも立たなかった。
だから私は、依然として王家の重荷で価値の無い存在だ。お兄様や他の方に頼るだけの出来の悪い妹。それでも大好きなこの気持ちは本物だから、お兄様にはいつか本当に好きな方と結ばれて欲しい。
けれど、俯く私にセリーナお姉様はこう言って下さった。
「何で? 姫さんがお兄さんと同じである必要なんてどこにもないでしょう? あなたはあなたなんだから。優しいし可愛らしいから、そこにいて笑ってくれるだけで国民はきっと幸せで誇らしい気持ちになれるよ。『私達のお姫様は、こんなに愛らしくて素敵なんだ』って。直ぐに役に立つ必要なんてない。わからなければこれから探していけば良いんだから。私だって兄と比べられたらゴミ虫以下だし、ケンカしか出来ないし。それでも生きていれば楽しい事もあるし、美味しいものだって食べられる。上手く言えないけど、とりあえずはそんな感じで良いんじゃないかな?」
お姉様と話していると、今まで悩んでいた事柄が、なんてことの無いように思えてくるから不思議だ。彼女の飾らない言葉は心に響き、胸のつかえが溶けていく。王女として生まれたがゆえの義務や責任、不安や重圧。お姉様はそれら全てを笑い飛ばし、ただここにいるだけで良いと言ってくれた。
今まで、私にそんな事を言ってくれた人はいない。理解は示しても、同情するか共感したフリをするか、頑張ってと口先だけで励ますか。でもそれらが余計に重圧となって私を苦しめる事を、彼らは知らないのだ。
お姉様が自らを『ゴミ虫以下』と表現するのは変だった。
そんなにご自分を貶めてまで必死に私にわからせようとしなくても……。
だけど『ただ生きているだけで楽しく良い事があるよ』って言ってくれたのは、彼女が初めて。そうね。今はお兄様よりも私の方が、お姉様を必要としているのかもしれないわ。
「ハッ、やばい! そういえば『懇ろ』まだ訂正してねぇ!!」
焦るセリーナお姉様。
変な言葉遣いになっていらっしゃいますわよ?
私としては訂正せずに、そのままお兄様と本当に懇ろな関係になって、早くお義姉様になっていただきたいのですけれど……。
「大丈夫ですわ、お姉様。私が後からきちんと訂正しておきます」
もちろん、そんなつもりは無い。
護衛には、後からきちんと口止めをしておきましょう。お兄様とお姉様が仲良くなれるよう、これからは私も協力しなくっちゃ!
久々の楽しい予感に、私は心が浮き立った。




