あなたが私を呼んだから
あなたが私を呼んだから、必死に歯を食いしばる。
「あともう少しで、近づけそうなのに……」
『セリーナ、お願いだから目を覚まして』
「ジュールったら。私、ちゃんと起きて歩いているでしょう? 失礼しちゃうわ」
文句を言いつつ、足を前に踏み出した。
彼の声が震えていたので、そっちの方が気にかかる。
「まさか、泣いているの?」
私はようやく彼の前に立ち、腕を伸ばして彼の涙を拭う。
その瞬間――。
驚いたような琥珀色の瞳と、視線が合った。
*****
「セリーナ!!」
「……べ? あで?」
しわがれた声は、自分のものじゃないみたい。伸ばした手が、ジュールにしっかり掴まれている。冷たいのは、彼の涙かな?
――ジュールって、泣き顔も可愛い。
思わず見惚れてしまったけれど……。
――私、どうしてここにいるんだっけ?
現状がよくわからない。まだ明るいというのに、のんびり横になっている。傍らにいるジュールは、少しやつれているようだ。途端に胸が苦しくなった。
――私、お昼寝の途中でうなされて、またもや迷惑をかけた?
「セリーナ、僕のことがわかる?」
「もぢろん。ジュールざま、でじょう?」
ガラガラ声に驚いて、慌てて口を塞ごうとする。……が、腕が重くて思うように動かない。
「……なんで?」
「セリーナ――」
「ぶぼっ」
ジュールが頬をすり寄せる。
いったいどうしたの?
それより、すんごく喉が渇いた。水差しの方に首を動かしただけで、なぜかぐったり疲れてしまう。気づいた彼がコップに水を入れ、私を抱き起こしてくれた。
「ありが……んぐっ!?」
口に当たったのはコップの縁ではなく、ジュールの唇だった。喉がカラカラだったため、ふくんだ水をそのまま飲み込む。
「な……な……」
絶句する私を見つめたジュールが、嬉しそうに目を細めた。泣きながら笑うなんて、いったい何があったんだろう? 抗議する間もなく、彼は私の口をもう一度塞いで、水を注ぎ込む。
――渇いた砂漠に水が染みこむのって、こんな感じかな?
身体が潤っていくような感覚に陥って、ふとそんなことを考えた。満たされてボーッとなっていたため、私は思わず口走る。
「もっと……」
ジュールが大きく目を開き、首をかしげた。
「急に飲んだら、お腹を壊すかもしれないよ。それとも、もっとって……キスのこと?」
「まっ……」
まさか――。
ただ、クスクス笑うジュールの声を聞き、「ようやく帰って来たんだ」と、変なことを考えてしまう。なんだか長い夢を見ていたような。内容はよく覚えていないけど、気分はスッキリしている。
真顔に戻ったジュールが、突然、泣きそうに顔を歪めた。そして、私を抱きしめる。
「セリーナ……」
「――え?」
かすれた声が耳元で響いたから、ちょっぴりすぐったい。
反射的に首をすくめるが、彼の手は緩まない。
「目覚めてくれて良かった。……愛しているよ」
その瞬間、時が止まった気がした。
今のは夢? それとも――。
驚いて顔を上げると、琥珀色の双眸が刺すように私を見つめていた。
ジュールが真剣な表情で口を開く。
「セリーナ、好きなんかじゃ足りない。僕は君を、心の底から愛している」
「……っ!」
私は思わず息を呑む。
ジュールはついこの間まで、「好きがわからない」と言っていたはずだ。急な心境の変化は、どういうことだろう?
――いや、難しく考えるのはよそう。せっかく告白してくれたんだから、私も正直な気持ちを伝えたい。
「……私も。ジュール様、私もあなだを愛じでいまず」
もう、「好き」だけでは足りない。
しわがれているし小さな声だけど、精いっぱいの思いを込めた。胸のときめきや愛しさの全てが、彼に届けばいいと、そう願って。
「セリーナ……セリーナ……セリーナ……」
私の胸に顔を埋め、彼は何度も繰り返す。その身体がなぜか、小刻みに震えている。
私は彼を抱きしめて、あやすようにゆっくりと頭を叩いた。いつか彼がそうやって、私を慰めてくれたように。可愛くて頼もしいジュールが、今はこんなに愛しい。
「――え、三ヶ月も爆睡!? 本当ですか?」
「いや、爆睡ではなくて、意識を失っていたんだ。体力も相当衰えているはずだから、無理はしないでね」
「そう言われましても……」
ラブラブな時間は、即終了。
私を気遣ったジュールが距離を取り、これまでのいきさつを説明してくれたのだ。私がベッドにいたのはお昼寝ではなく、バルコニーから落ちて三ヶ月もの間目覚めなかったせいだった。それにしては清潔で、寝衣も新しい。
「つかぬことをお伺いしますが、ここには他に誰がいますか?」
「ん? 誰もいないよ」
「えっ!? じゃあ意識のない間、私の世話をしてくれたのは……」
「当然僕だよ。傷はもう治ったし心を込めて拭いたから、綺麗なはずだけど」
「○△□☆※!!」
声にならない声が出た。
正式な婚約や結婚だってまだなのに、私は愛する人に介護をさせていたらしい。……じゃ、なくて。
「まさか、全部見て……」
「そりゃあね、もちろん。でも大丈夫。いくら好きでも、意識のない相手に変なことはしないよ。君の心が戻るまで、手は出さないと決めていた」
「そう、ですか……」
恥ずかしくって顔が熱い。
私はジュールに、全てをさらけ出していたようだ。
「セリーナ、ごめん。君が傷ついたのは、僕のせいだ。腹違いの姉は、僕に近づく者を排除しようとする。処分したいが、身内なのでそうもいかない。今後は遠い田舎に隔離して、君に二度と近づかせないつもりだ」
「どうしてですか?」
「……え?」
「バルコニーから転落したのは、私の不注意です。それより、ジュール様のお姉様が生きていらして良かったわ。そのうち、仲良くなれそうな気がします」
「いや、姉は精神を病んでいて……」
病んでいる? 司書のコレットも、似たようなことを口にしていた。
「ヤンデレってことですか? それなら、慣れていますもの」
「……ヤンデレ?」
ジュールが不思議そうに首をかしげる。
偉そうに言ってみたけれど、私も詳しくはわからない。
――ま、いっか。愛する人の姉は、私にとっても大事な姉だ。少しずつ歩み寄り、仲良くなろう。そうすればいつの日か、ジュールの話で盛り上がれるかもしれない。
「ええっと……なんでもありません。ですが、お姉様とはいずれゆっくりお話してみたいです」
「セリーナ。僕達は、君に責められても仕方がないことをした。それなのに、君は……」
ジュールが声を詰まらせた。次いで私を抱きしめる。
「君が戻ってきてくれて良かった。代わりに自分の命を差し出すなんて、やっぱり無理だ。僕は、君とともに生きて行きたい」
命を差し出す? そのセリフ、どこかで聞いた気が……。
――ああ、そうか。
長い長い夢の中。父と手を繋いだ私は、どこかへ向かっていた。それは前世か、あるいは死後の世界か。けれど私は彼の声を聞き、この地に還りたいと強く望んだのだ。
あなたが私を呼んだから。
私は、この世界に戻ってくることができたのね。
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