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何かがおかしい

 ジュール様、ちょっといいですか?

 これはお城で屋敷じゃない。森の中の掘っ立て小屋はどこいった?


「ジュール様、向こうに見えるあれは……お城、ですよね?」

「まあね。代々別荘として使用されてきたが、王都から遠く管理が難しい。兄が権利を放棄したから、今は僕の家だよ」

「あれが! その、正直ここまで立派だとは思っていなくて……」

「古いし、かしこまることでもないよ。僕も普段は寮にいるから、めったに来ないし」


 かしこまるとかそういうんじゃなく、なんとなく引っかかるものがあったのだ。海辺に建つお城について、誰かと何かを話したような気がする。


「あの……今から引き返して、近くの町に宿を取ることはできますか?」

「セリーナ、ここまで来てどういうこと?」


 ジュールの声がいらだちを含む。

 いけない、彼を怒らせた?


「……ごめんなさい」

「僕の方こそキツく言ってごめんね。でも、今朝出立したのが最後の宿で、再び戻るとなると時間がかかる。古い城だけど管理の者がきちんと手を入れているから、(ほこり)っぽくはないと思うけど?」

「いえ、気になるのはそこじゃなく……」


 じゃあどこかと聞かれれば、自分でもよくわからない。崖の上に建つ城を目にした途端、強い不安が押し寄せたのだ。ここに来たのは初めてなのに、何かがおかしい。


「それなら食事かな? 大丈夫、元々休暇を過ごすつもりでいたから、食材も揃えているよ」

「休暇? 初耳です」

「言ってないからね。長い休みが取れたから、その間に君をここへ招待しようと思って。手間が省けて助かった」

「そんな!」


 オーロフから必死に逃げなくても、良かったってこと? 家でおとなしく待っていれば、ジュールが私を連れ出してくれた? 


 話している間に、私達の乗る馬が城の正面に到着した。


「セリーナ、僕の家へようこそ」


 ジュールが誇らしげににっこり笑う。

 私は彼の手に掴まって馬を降り、辺りをぐるっと見回した。


 ただの家ではなくお城なので、近くに立つとかなり大きい。灰色の石造りの城は、海を見下ろす崖の上。周りを緑の芝が囲み、頭上には抜けるような青空が広がっている。海風が心地よく、景色はとても素晴らしい。


 それなのになぜ、嫌な感じがしたんだろう? 無理を言って連れてきてもらったのに、着いたと同時に「帰りたい」と言い出すなんて、ただのわがままだ。これじゃあ、ジュールに嫌われてしまう。

 反省した私はジュールに向き直り、淑女っぽく膝を折る。


「ジュール様。素敵なお宅にお招きいただき、大変光栄です」

「どういたしまして。こちらこそ、お迎えできて光栄だ」


 応えた彼の目が、面白そうに光った。

 



 ジュールは城の中を案内してくれた。

「代々別荘として使用されてきた」と言うだけあって、歴史を感じさせる建物で、ところどころ壁の石が欠けている。管理人の男性がきちんと補修してくれるので、雨漏りや隙間(すきま)風の心配はないそうだ。


 城の一階には大きな食堂や調理室、図書室や広間なんかがある。二階は客室とジュールの部屋兼主寝室。彼の部屋に通されると、正面に大きな窓が見えた。窓の奥、外に広がる海を目にした瞬間、なぜか怖くなる。


「窓の外はバルコニーでその下が崖、ですか?」

「ああ。僕の先祖がこの眺めを気に入ってね。ここに屋敷を構えたらしい」

「そう、ですか。……っ」


 ふと何かが脳裏に浮かび、私は頭を押さえた。

 重要なことを思い出しかけたような気がしたけれど……なんだっけ?


 ジュールに感想を求められ、慌てて「綺麗ですね」と答えた。景観は言うまでもなく、内部は清潔で部屋は快適に整えられ、貯蔵庫には食材が詰まっている。この分ならさぞ、楽しい休暇になるだろう。

 他の人に挨拶したいと申し出たところ、「管理の者は今、村から通っている」と言われた。使用人もいないみたい。


 ……ってことは、ジュールと私の二人きり? 

 未婚の男女が一つ屋根の下って、そんなの有り!?


 照れる私に、ジュールが淡々と告げる。

 

「井戸の水くみや食事の準備は交代で行い、身支度は一人でしてほしい。ま、今日の夕食の仕度は僕がするけどね」


 ……あれ?

 ジュールったら、急に冷たくなったのはどうして? 

 言われなくても私は身体を動かすことが好きだから、それくらい朝飯前……って、もうすぐ夕食だった。


「わかりました」

「そう? わからないことがあれば、なんでも聞いてね」


 冷たいかと思えば優しい。ジュールはいったい、何がしたいの?


 ドレスのままだと動きにくいため、私は早速、彼からシャツとトラウザーズを借りた。与えられた部屋で着替え、鏡を見つめる。


「これって、漫画で読んだ彼シャツ!?」


 くるりと回って一人で盛り上がったことは、ジュールには内緒だ。




 前世の私は貧乏で、食事の仕度をしたり自分のことを自分でするのは当たり前。着替えや掃除はもちろん、料理だってお手のもの。居酒屋でのバイトは伊達(だて)ではなく、ビール瓶のケースや生ビールのタンクに比べたら、井戸水でいっぱいになった桶など軽々運べる。


 その日も水の入った木の桶を持ち、三階まで往復していた。すると、向こうから来たジュールとすれ違う。


「セリーナ……嫌じゃないの?」

「嫌? どうしてですか?」

「だって君は、伯爵家のご令嬢だろう? こんな仕事、拒否するのかと……」

「いえ、別に。交代で行うって言ったのは、ジュール様ですよ?」

「それは、そうだが……」

「変なジュール様」


 水くみは、筋トレ代わりになってちょうどいい。ここに来てから稽古がないのは、「身体も自分で鍛えてね」ということかな?


 また別の日には、蒸した野菜と鳥肉の料理を見て、ジュールが目を丸くする。何を隠そうタレや付け合わせのおひたし、スープも私の手作りだ。


「これを君が一人で?」

「ええ。お口に合えば良いのですが」


 一応謙遜(けんそん)してみた。

 前世と同じ調味料がないため、特にタレは試行錯誤の上完成したのだ。庭にあったレモンが隠し味で、はっきり言って自分でも上手くできたと思う。


「初めて食べたが、さっぱりして美味しい! おかしいな。君は病気がちで、長年ベッドに伏せっていたと聞いたけど? 昨日のキッシュもなかなかの出来映えだったが、こんな料理どこで覚えた?」

「あら、まあ。おほほほほ~」


 適当に笑ってごまかす。

 ジュールの疑問はもっともで、普通の貴族は炊事や洗濯、料理はおろか着替えさえ自分でしない。彼も貴族だけど騎士としての寮生活が長いため、一人でなんでもできた。数日過ごしてわかったことだが、料理の腕前は私の方が上だ。


「セリーナ、君には驚かされてばかりだね。使用人の仕事を嫌がらないどころか、楽しそうだ」

「そりゃあ、まあ。タダで泊めていただいているし、働くのは当然です」

「働くのが当然? 侯爵家の僕と婚約するのに?」

「どういう意味ですか? 婚約するからといって、何も変わりませんよね?」

 

 不思議に思って首を傾げた。

 変わらないどころか、甘い雰囲気はゼロ。むしろマイナスに近い。


「僕はてっきり、君が早々に音を上げると思っていた。『こんなはずじゃなかった。贅沢したい』と、不満を漏らすのかと……」


 ジュールったら何?

 それだとまるで私が、彼の財産目当てみたい……失礼な。地位や名誉、財産なんかに興味はない。私は彼の強さと優しさ、可愛い笑顔に惹かれたのだ。もしかして、詳しく説明しないとダメ?


 あれ? だけど私も、ジュールに「好きだ」と言われていない。私は好きでも、彼は? 以前もここに来てからも、それらしい会話はなかった。不安を感じた私は、腕輪に触れる。


 好意のない相手に、こんな高価なものは贈らないはずだよね?


 自分に大丈夫だと言い聞かせた私は、思い切って尋ねてみることにした。


「ジュール様。私と婚約したいと考えたのは、どうしてですか?」

「セリーナ、急にどうしたの? もちろん君が、僕のものだからだよ」

「いや、ものとかそういうのはもう()()り……ではなくて。その……愛情とか、す、す、好きとかそういうのは……」


 口に出すのは恥ずかしいけど、仕方がない。いろいろ飛び越えて婚約腕輪を交換したため、愛の言葉がまだなのだ。


 ところがジュールは、耳を疑う発言をする。

 

「セリーナ、好きって何? よくわからないんだけど……」


 は? 今さらそれって、どういうこと?

 やっぱりこれって……何かがおかしい。


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